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2010年1月 7日 (木)

川崎配線図

川崎駅は南武線の分岐駅であり、かつては浜川崎方面への貨物支線も分岐していました。

(1957年以前の配線図はこちら。)

まずは1961年3月。

196103_2

・貨物用の副本線は1~3番線でしょうか。東海道線発着は1・2番線、浜川崎方面に対しては1~3番線かと思われます。
・東海道線に対しては色灯式信号機ですが、浜川崎方面に対しては腕木式信号機である点がちょっと変わっていると思います。たとえば2番線から出発する場合、鶴見方に対する出発信号機は色灯式の3Cですが浜川崎方に対する出発信号機は腕木式の52Bと思われ、同じ線路から出発するのに進路によって信号機の種類が違うというのは珍しいのではないでしょうか。
・貨物側線も多数設けられており、「東部」「仕訳」「臨港」「西」などの名称が付けられています。
・南武線は、線路的には東海道線とはつながっていませんが、そのつながっていない南武線側にも名糖や東芝の専用線が設けられているのも変わっていますね。どのような方法で貨車の入換が行なわれていたのでしょうか。
・京浜東北線に関しては、鶴見方の下り出発及び上り場内信号機が半自動の信号機なのに対し、品川方の下り場内及び上り出発に相当する信号機が自動の信号機になっているのが「?」ですね。

次に1967年3月。

196703_2

・貨物側線群については大きな変化はありませんが、52Aと16Aが「使用停止中」と記載されています。つまり、1番線は浜川崎方面の発着には使用できなくなったということだと思います。
・鶴見方に東海道線と京浜東北線間の渡り線が設けられていますが、これは非常用ではないかと思われます。但し、入換標識9、10の意味がよくわかりません。
・京浜東北線に関しては、品川方の場内・出発信号機が半自動化されているほか、上記渡り線の追加に伴い信号機の増設も行なわれています。

続いて1977年10月。

197710
・1973年10月1日に浜川崎への貨物支線が廃止されましたが、単純にちょん切られただけの状態になっています。
・東海道線側の車扱貨物の取扱いも1976年2月14日に廃止されてしまいましたが、貨物側線群はまだそのままの状態で残っています。
・鶴見方の東海道線と京浜東北線間の渡り線周辺には先の入換標識9、10のほか新たに21L/R、22L/Rが設けられています。この渡り線を使用した入換作業が想定されていたっぽいですね。

最後に1986年3月。

198603

・東海道線側の貨物側線はだいぶ整理されてしまいましたが、大森や蒲田のようにきれいさっぱりではなく一部が残りました。
・副本線は下り1番線だけのようで、しかも下り列車専用、上り列車は進入もできません。
・連動装置は継電化されたようです。
・南武線側の専用線貨物の取扱いも1981年9月1日に廃止されてしまったため、このあたりの専用線も整理されてしまっています。

最後にちょっとだけ、南武線の終端付近の写真です。2009年12月12日撮影です。

2009121201
南武2番線の終端です。
1986年当時と違ってすぐに車止めになっています。
かつてはこのあたりで東芝の専用線が左側に分岐していたのが何となくわかるような・・・・。

2009121203
南武1番線の終端です。

2009121202
その先のほうです。
結構レールが光っているように見えるのですが・・・・、なぜ?

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。
年表はJTB発行の停車場変遷大事典に基づきます。

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コメント

30年余前、Mookなるシリーズで首都圏の航空写真を載せた図書があり、川崎駅に貨物扱いと南武線側への連絡線があった痕跡が窺え、東京圏で唯一当時有していたRP誌の折り込みの『首都圏管内配線略図』(昭和47年頃)にはそれが記されてなく、驚きでした。なおその図には京葉線区に有明・行徳貨物駅、鷺沼操車場(京葉区付近)の計画が記されておりました(最早想像も出来ませんが)。古くの『発達史』から複写した図では、京浜の川崎庫や矢向から伸び川崎市場駅が記され、南武線川崎駅北北西側に伸びる形でホーム施設の形をまとって二ヶ所が記されており、その一部が今回ようやく理解できました。さらに掲げておられる図から旧式の信号機につられ、一層川崎新町乃至小田操車駅の役割や如何と思え、一つ知れば二つ疑問が増えるという、自身の浅学を痛感しております、トホホ…。

SYさん、川崎から浜川崎方面への短絡線はどのように使われていたのか興味深いですね。
東京貨タから湾岸沿いに進む貨物ルートは幻になってしまいましたので、鹿島方面への貨物は相変わらず新金線経由なんですね、きっと。

こちらにもコメントさせていただきます。
南武線側の専用線ですが、配線図のとおり東海道線とはつながっていません。
で、どうやって貨車を入れていたかというと、
新鶴見~向河原~南武線経由で入れていたようで、確か専用線一覧だったかと思いますが「向河原経由」の指定がされていた資料を見た記憶があります。

かたぎさん、私もよく考えておらず、漠然と尻手経由と思い込んでいましたが、よく考えれば尻手では新鶴見方から川崎には行けませんね。それで向河原の短絡線が使用されていたわけですね。
ただ、向河原の短絡線は1973年に廃止され、川崎の専用線は1981年まで存続していたようですから、1973年以降はまた違ったルートで貨車が出入りしていたんでしょうか。

いつも間にやら川崎駅の記事があったのですね(気がつかなかった、汗)
工場への引込み線は写真の車止め付近ではなく、ホーム中央から分岐していたような気がします。
一度だけ扉が開いて入替をしているのを見た記憶が・・・
写真が欲しいですぅ(泣)

川﨑駅の東海道線と南武線の間には昭和10年(この頃は南武鉄道)と昭和26年の線路図によりますと東海道本線上下線と京浜東北線南行線北行線を横切っている連絡線がありました。何時まで使用されていたのかは解りませんが昭和36年の線路図では無くなっています。
常磐線の金町駅みたいですね。

LUNさん、目立たぬようにひっそりと記事にしました。このあたりは守備範囲外でして、写真がありませんで・・・。
T.Mさんのコメント、お久しぶりですね。T.Mさんからご提供いただいた配線図に関する皆様のコメントはご覧の通りです。ぜひT.Mさんのご挨拶を頂戴したいところですね(笑)。
ところで、川崎の渡り線の件、これは大変失礼しました。東京や品川などは追加で1935年などの配線図を記事にしたのですが、川崎や鶴見、汐留などは追加していませんでした。私もすっかり忘れていまして、T.Mさんのコメントで川崎の配線図を見てびっくりした次第です。今後追加していきたいと思います。

私見では東海道線の貨物は産業貨物の物流とは別のものであったのではないかと思います。(東海道本線の貨物列車)
ですので、東芝や明治製糖の貨物は、南武線:新鶴見操車場経由で品鶴線を走っていたと思います。

東芝堀川町工場への引込線はちょうど写真のあたりから工場がのぞけるように入って行ったはず。

構内図にあるように北側跨線橋は西側が東芝への専用改札になってました。
写真にも写っている南武線線路をまたいでいる部分はその名残ですね。
北側跨線橋から昔の北口(東側)が開設されていたのに1986年のものにも描かれていませんね。いつだったっけか。

cubicsさん、コメントありがとうございます。
少なくとも1961年以降はおっしゃる通り南武線経由でしか出入りができなくなっているのですが、それ以前は海側から大胆に旅客線を横切る線路が設けられたりして、東海道線からの出入りが中心だったのではないかと思っています。
写真の北側跨線橋の西端はかつての東芝専用改札の名残だったのですね、情報ありがとうございます。

国土地理院 国土変遷アーカイブ の写真(URL 欄に入ってるかな?)を見ると、1974年の写真で既に貨物輸送はなかったと思いますが、引込線がわかります。
まさに写真撮影地点(画面を外れた左)に東芝の入り口の扉があったことになります。
お城を模した明治製糖もまだ建っています。
旧・中央跨線橋からも東芝専用改札があったような気もしますが、この時代の記憶ってネットにもなかなかないんですよね。

ところで、私見では貨物輸送(沿線工場等)と荷物輸送(東海道線)に関しては品鶴線の建設により分離されたのではないかと考えております。川崎以北へ貨物輸送する場合、品鶴線、山手貨物線経由となり、東海道線は経由しませんし、上るにしても下るにしても、いったん新鶴見に入るかと。
戦後復興では浜川崎方面の支線も活躍したかもしれませんが、規模的に貧弱であり限定的ではなかったかなと思っております。

余談ですが向河原の連絡線はガードの下からのぞいたり、○○を○ー○に置いたり・・・(自粛)。

cubicsさん、国土地理院 国土変遷アーカイブ は現在うまく見れないようですので代わりに同じ1974年の国土画像情報(カラー空中写真)を。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/74/ckt-74-15/c42/ckt-74-15_c42_31.jpg
おっしゃる通り品鶴線の開通で東海道線の貨物輸送ルートが大きく変わったのは確かですね。但し大森駅、蒲田駅、川崎駅ではそれぞれ1974/10、1976/2、1981/9まで貨物営業が行われていたように川崎以北の東海道線にも品鶴線開通後も約50年の間は貨物列車が走っていました(限定的といえば限定的ですが(笑))。
今だから言いますが、私の場合は新金線でしたね・・・、反省しております、ハイ。

偶然このページを見て懐かしく思います。汐留より、大森、蒲田、川崎とゴロゴロと下って来る少数連結EF10か12、13・15ぽい貨物列車を鶴見川近辺で見た事があります。この列車は鶴見駅海側貨物線で折り返し、高島貨物線を北上して新鶴見に入っていました。浜川崎貨物線は、3時ごろ川崎からおそらく浜川崎区のC11・12あたりが少ない貨物を川崎新町方面に引いていました。なぜこの事を思い出したかというと、川崎駅出発腕木信号機の傍のポイントの構造が普段見た事がない構造をしていたからです。今思えば、ディテクターバーが取り付けられていたのです。南武貨物は、C11・12位の汽車が門を開け東芝構内で、午後によく入れ替えをしていました。これらは昭和34・5年ころなのであいまいですが、写真は小さい時でカメラがないのが残念です。その後浜川崎貨物線の最後は、京浜急行・第一京浜国乗り越し橋梁撤去時に、本で見たムカデ型の操縦車をしっかりそばで見ました。撤去作業は見れませんでした。現在は一部築堤が残り、残りの土地は、販売されてしまい、わずかに判る程度です。

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