大崎配線図
品鶴線と山手貨物線と大崎支線が三角形を形成する一帯ですね。
(1957年以前の配線図はこちら。)
例によってまずは1961年3月です。
品川からの品鶴線は目黒川信号場で山手貨物線を分岐し、ついで蛇窪信号場で大崎支線と合流します。
「三角形を形成」と書きましたが、実際には立体交差を含んだ変則的な形です。
この時代はまだ品川電車区は品川駅付近に存在していますので、大井工場への通路線のみが設けられています。従って山手貨物線は山手電車線と同レベルで大崎駅に進入しています。
注目は蛇窪信号場の信号機1C。新鶴見方への下り本線から品川方もしくは大崎方のいずれかに出発するためのものと思われます。昔の展望車列車の編成ごと転向の名残でしょうか。それともそれ以外にも用途があったのでしょうか。
続いて1967年3月。
目黒川及び蛇窪の両信号場は大崎駅に統合されましたので名前が消えてしまいました。
「あれ?」と思ったのは、旧目黒川(信)から先の山手貨物線が単線で描かれていること。
推定ですが、(新)品川電車区開設にともない、これの入出区線と山手貨物線の平面交差を避けるため山手貨物線を高架にする工事が行なわれ、この関係で一時的に単線にされていたのではないかと思うのですが。
また、この高架化工事の結果、山手貨物線は大崎を素通りせざるを得ない配線になったようです。
旧蛇窪信号場にはまだ転向用(?)の5Rが設けられています。
続いて1977年10月。
山手貨物線は複線に戻っており、一応の完成形ではないかと思われます。
旧蛇窪(信)には相変わらず5RHCが設けられています。「C」ですから、どうも品川方面に向かうための信号機のようですね。
大崎駅の明電舎の専用線への分岐器は複分岐です。
最後に1986年3月。
品鶴線は横須賀線に乗っ取られ、線路名称が「横須賀(品鶴)線」になってしまいました。
大崎駅は1980年10月1日に貨物扱いが廃止となり、貨物側線もだいぶ整理されてしまいました。
旧蛇窪にはやっぱり5RHCが・・・・。残っているということは、使っているってことなんでしょうか? 今でもあるのでしょうか?
この後、大崎駅は湘南新宿ラインやりんかい線などでまた大きく変化したようですね。(最近全く行ったことがないので想像がつきません(汗))。
貨物関係で見れば、品川方面~新鶴見方面のルートは横須賀線に姿を変え、新宿方面~新鶴見方面のルートは湘南新宿ラインに姿を変え、品川方面~新宿方面のルートは成田エクスプレス専用に近い状態ではないでしょうか。
新宿方面~新鶴見方面のルートにはまだ若干貨物列車が走っていますが、武蔵野線との使い分けがよくわかりません・・・・。
配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。
年表はJTB発行の停車場変遷大事典に基づきます。
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コメント
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たびたび失礼します。国鉄時代のダイヤを見ると、品川-恵比寿-大崎(蛇窪)-品川という予定臨の回送列車が設定されていました。おそらくいろんな経路で走っているうちにエンドが逆になってしまったりした列車の向きを正すため利用できるようにと存知していたのだと思います。ながめているだけでも飽きないというか奥が深いです。なおウィキペディアによれば渡り線は撤去されてしまったとのことです。
線路図とダイヤと運転時刻表が揃えば三種の神器。脳内国鉄は轟音をたてて列車が走り出します。失礼しました。
投稿: tercel | 2010年11月 1日 (月) 22時46分
tercelさん、またまた貴重な情報ありがとうございます。予定臨として設定されていたというところがオドロキですね。実際にそのスジでどのような列車が運転されたのか興味深いです。
私は線路図だけで列車が暴走してしまいます(笑)。
投稿: f54560zg | 2010年11月 2日 (火) 21時08分
たびたび登場します。
大崎駅の三角地帯は、元々天皇陛下の御料車の関係ですが、原宿の宮廷ホ-ムが完成する前は東京駅から乗車と下車をされていましたし配属先が大井工場ですけど御料車〔天皇陛下が乗られる貴賓室がホ-ム側になる為に〕の位置が問題になる様です。戦後は〔はと〕〔平和〕等のスイテとかマイテの位置に使われました。
また明電舎はシキが配属され発電機等の輸送が行われていました。その後大型発電機の製造に力を注ぐ為に大崎駅が手狭になり沼津に工場が移転しました。
投稿: つるたま | 2012年7月10日 (火) 18時54分
つるたまさん、貴賓室とホームの位置関係・・・。ずいぶんと気を遣っていたんですね。
投稿: f54560zg | 2012年7月15日 (日) 20時33分
大崎配線図に寄せて 昭和30年代前半の頃未だつばめ はとが客車時代の頃 上り運用で東京に戻って来たつばめ はとは翌日運用の為毎日編成ごと方向転換して居ました 大崎迄は目黒川信号所から山手貨物線を機関車が牽引で来て其の侭一担大崎中線で待機信号が変わるのを待って大崎支線下り線を推進にて蛇窪信号所迄運行一担品鶴線下り線上で停車亘り線が切り替わるのを待って品鶴線上り線に転線其の侭品川へは機関車牽引で向かいました 今と違いダイヤに余裕を持たせて居たのでしょう 今は湘南新宿ラインや横須賀線成田エクスプレス偶に貨物列車等が頻繁に行き来して居る関係上本線折り返しは考えられ無い 現在でも運用の関係で方向が逆に成る列車も有る其れ等は新鶴見信号所迄行き品川に戻る様にして居ます
投稿: y yoshikawa | 2014年2月14日 (金) 18時03分
大崎地元追伸
やはり昭和30年代前半の頃現在湘南新宿ラインや埼京線臨海線のホームの有る辺りは山手貨物でもかなり大きな貨物ヤードが有りました常に貨車が多数留置されてる 頻繁に貨物列車は遣って来るので一日中線路脇で見てても飽きない 楽しい時代でした 常時入れ替え機が来て頻繁に入れ替えをしていました 古くはB6 86 DD13 等でした 明電社側にガトリークレーンで石炭の荷卸しジブクレーンでの重量物積み下ろし等して居りました 大井工場入出場車の回送 つばめ はとの方転 見た事の無い貨車 本当に良い時代でした当時の写真は私の父が撮影して居りキャビネ版で伸ばして有ります 埼京線が恵比寿迄延長された時恵比寿駅は亘り線が既に無く其の侭大崎駅の中線まで回送して折り返して居ました 其の後大崎の構内配線を全て取り払いホームを二本増設し湘南新宿ライン埼京線臨海線と山手線が連絡するターミナル駅に発展したのも貨物ヤードが残っていたおかげです
後二つ東海道連絡線と三共製薬引き込み線に付いて記します 大崎構内配線図には記載されてませんが大正時代の地図には大崎駅から東海道本線の大井町迄の連絡線と其処から分岐して東海道本線の直ぐ側迄伸びる側線が記載されてました 東海道本線の連絡線は日清戦争の折東北地方からの軍事列車を直接東海道本線に向かえる様に引かれた線でした日本鉄道品川線の分岐となる所に信号所を設置 大崎信号所と命名後の大崎駅である其の後此の連絡線は日露戦争の折第一次大戦等でも軍事輸送に使われた 品鶴線が開通後必要性が無くなると大井町側は完全に切られ行き止まりの状態で残り大井工場の試運転線として利用されて居りました其の後大井工場一画に山手線の電車区を作る居り入出庫線となり現在迄後地は利用されております 次に三共製薬引き込み線に付いて記載します 此の引き込み線は大崎駅からは直接出入りでき無い配線でした 大井工場の引き上げ線から分岐して品鶴線を潜り三共の工場内に入って居ました昭和30年代始めには廃止に成り分岐も取り外されたが線路は新幹線が開業する頃まで残って居ました 大崎の品鶴線ガードは道路引き上げ線大崎支線大井工場入出庫線道路を渡る長いガードと少し離れて短いガードの二つ架かっており短い方のガードが三共引き込み線のでした 大崎電車区を建設した時入出庫線が長いガードを潜る様に成り以前より有った道路は弾き出され元三共引き込み線の有った所を道路に変更利用された 大井工場裏の道が大崎へ向かって行くと新幹線の高架に当たり直角に折れ直ぐT字路で曲がらぬと大崎方面に行けない一寸とややこしい状態なのは此の為であります
投稿: y yosikawa | 2014年2月14日 (金) 19時49分
y yosikawaさん、大量のコメントありがとうございます(笑)。そしてまた地元の方ならではの貴重な情報ありがとうございます。
大崎から蛇窪までの推進運転、蛇窪での本線上の折り返しなど、現在では到底考えられないですね。
三共製薬引き込み線と折れ曲がった道路の関係につきましてもありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2014年2月15日 (土) 17時56分
地元ネタを1961年と1967年の配線図の間に新幹線建設工事に伴い品鶴線の移設及び単線化されて居ました工事が済むと元の複線に戻されましたが路盤の地固めに新鶴のD51 が来て居ました
現在槍ヶ崎の台地から隣りの権現台の台地迄の間の品鶴線築堤のガードには旧ガードのピアーが残っております
1935年の配線図で山手線一番線の外に側線が記載されております私の父から聞いた話でラッシュ終了後電車を留置していたと語ってました
投稿: y yoshikawa | 2014年2月21日 (金) 13時06分
y yoshikawaさん、地元の方しか知りえないネタありがとうございます。
投稿: f54560zg | 2014年2月25日 (火) 20時47分
地元ネタを大崎駅の五反田側目黒川の側迄嘗で入れ替え用の引き上げ線が伸びていました其の引き上げ線と平行して今一つ短い側線が有りました川迄伸びた側線は引き上げ線と同じ所に車止めが有りまるで引き上げ線が二本有る様に見える
此の側線は一箇所のみ片亘線で繋がっているだけ片端も大崎貨物駅粗荷線の手前で車止めで終わってる本当に短い側線ですが嘗て引き込み線一覧に木材市場線と記載されてたと記憶してます
戦前西尾さんの写真に池上線ホームからの写真に此の辺りを写したのが有り当時から存在していたようです此の引き込み線に貨車が入線して居るのはめつたに有りませんでした。
投稿: y yoshikawa | 2014年3月15日 (土) 13時47分
地元ネタ追伸 此処20年位で大崎は駅も周辺もガラッと様変わりしました まず貨物ヤードは湘南新宿ラインと埼京線臨海高速臨海線用ホーム2面4線に代わりました周辺の工場等は高層ビルに代わり すかりビジネスタウンに成りました山手線沿線で一番田舎駅が今や乗降客数が多い駅の一つになりましたが今だに目黒川蛇窪の平面交差は残って折り 特に蛇窪の平面交差はダイヤ設定上問題に成っきており将来相鉄が直通する様になると破綻してしまいかねない為品鶴線から直接大崎駅に繋ぐ短絡線計画が有りますが 半径160mで30/1000下り込可也無理な線形で繋ぐ予定現在のホームの真ん中辺りに降りて来るので北行ホームを五反田方向に移動させる予定 ただ北行の貨物列車は通常の大崎支線(最近蛇窪線に代わった様です) 経由で運行予定 ただ此の計画東日本大震災の影響で予算面で難しくなり沙汰やみ状態になってます。
投稿: y yoshikawa | 2014年3月15日 (土) 14時59分
y yoshikawaさん、
>五反田側の引き上げ線と平行した短い側線
1977年の配線図に記載されている「東元(専)」(?)のことですね。何屋さんなんでしょう。
>品鶴線から直接大崎駅に繋ぐ短絡線
かなり厳しそうな線形ですね。
投稿: f54560zg | 2014年3月16日 (日) 22時34分
仰せのとおり以前材木加工工場が有りました ただ可也以前から貨車が入線してる様子は殆ど有りませんでした 側線の有効長の関係(二軸単車二両位)で直接入れ替え機が入線出来る配線で無いので引き上げ線から貨車を一担押し込んで後は人力で工場の所定荷扱い場迄貨車移動荷降し後再び元の押し込み線の位置迄人力で押して行ていたと思います
以前は何処でも人力入れ替えとか馬力入れ替え牛力入れ替え等当たり前にやってた(映像も残ってます)アントが導入されてからは見られ無くなりました 明電社の引き込み線にはアントが有りました
投稿: y yoshikawa | 2014年3月18日 (火) 10時34分
y yoshikawaさん、私も人力の入換は見た記憶があるのですが、さすがに馬や牛は記憶がアリマセンです。
投稿: f54560zg | 2014年3月18日 (火) 22時54分
昨年秋 CSTVのヒストリーチャンネルで鉄道の日記念番組で北海道で馬が引いてるドキュメンタリー映像が流れて居ました
投稿: yyshikawa | 2014年3月20日 (木) 10時10分
yyshikawaさん、そういうのもあったんですね。
投稿: f54560zg | 2014年3月23日 (日) 15時34分
地元ネタ 今は大崎周辺は山手線最期の大規模再開発も可也進み色々な工場も無くなり高層ビル乱立しておる 然し少し時間を戻すと西口には明電社 東京鍛造 園池 東口には高砂製作所 東京製缶 少し離れて東洋現像 御殿山ソニー
南に三共製薬その他中小工場が有りました それらの工場向け貨物の扱いも多かった特に1960年代始めの頃は何処の駅も貨車が埋め尽くしていました大崎も当然貨車だらけ四六時入れ替え作業が行なはれていました 着発貨車は牽引機が入れ替え その後は入れ替え機が構内を行き帰して貨車を動かしていた 我が家古いアルバムにB6や86が入れ替えしている写真が残っている 蒸気が無くなるとDD13が入れ替え作業していた 大井工場は専用に入れ替え機が常駐していました C12が電車を入れ替えていた大井工場の一部のに架線の張られていない線路があった蒸気機関車の他に電車も入れ替え専用車が有りました昔木造モハ10其の後クモハ12が2両編成で入れ替えして居ました此の2両は改造クモハ12の中でユニークな変形車でした 其の後はクモニ13が2両で入れ替えをしていました1両はカナリヤ色もう1両はトヨだけカナリヤ色に塗っていました 最後は101系チョン切車が入れ替えに当たっています
一時期大井工場では電車博物館を作ろうとしていましたナデやクモニ13クモハ12(052 053)クモヤ90800 等集めていました大井工場開放日の展示車両として使っていましたがナデ以外は外に留置していた為クモヤ90等は車体の痛みが酷くなり結局廃車解体されてしまい車体の一部だけ鉄道博物館に展示されてます
投稿: yyoshikawa | 2014年4月13日 (日) 23時26分
yyoshikawaさん、私が若い頃の感覚ですと、大崎駅というのは鉄道好きにとっては特別の駅でしたが、一般の鉄道利用者の方から見ると山手線の中では地味な部類に属する存在だったような気がします。今では周辺の状況もさることながら埼京線や湘南新宿ライン、りんかい線など鉄道駅としても大変貌を遂げましたね。
また工場隣接駅ゆえに、他では見られないようなゲテモノ(失礼)的な車両が見られる楽しい駅でもありますね。
投稿: f54560zg | 2014年4月16日 (水) 22時33分
鉄道ピクトリアル9月号山手貨物線特集です内容豊富でお買い得です
投稿: yyoshikawa | 2014年7月22日 (火) 11時55分
yyoshikawaさん、個人的にはもうちょっと列車や車両が写っていない(線路がよく見える)ほうがありがたかったかも(笑)。
投稿: f54560zg | 2014年8月 3日 (日) 20時28分
話は逸れますが山科でコメントしましたが 臨海線品川埠頭下の複線トンネル分岐は実際乗車して見ると異様さに感動すると思います 丁度駅間で突然複線同士分岐するのですから 地上ですと目黒川と蛇窪の分岐が有りますがトンネル内は日本中でここだけでは無いでしょうか
投稿: yyoshikawa | 2014年10月27日 (月) 18時53分
東京縦貫線運行再開に伴い東京の北方と南方の車両が共通運用になりの行き来が盛んになりました 其れに伴い此れ迄は湘南新宿ラインは231系オンリーであったのが3月14日ダイヤ改正で233系も湘南新宿ラインに投入されました 此れで東京の東側縦貫線西側縦貫線両線が統一された車両運用になりました
投稿: yyoshikawa | 2015年3月16日 (月) 14時43分
yyoshikawaさん、231系? 233系? スミマセン、最近の新しい電車のことはよくわからなくなってしまいました・・・。
投稿: f54560zg | 2015年3月20日 (金) 21時30分
はじめまして。いつも楽しく拝見しています。
大崎駅で(というよりも山手線で)、ずっと気になっていたことがあり、書き込み失礼いたします。
1986年3月時の図表で、山電上り2k627mに設置されている場内信号機(読み取りにくいですが、88LDと88LYですかね)。これは消灯状態(使用停止ではない)で現存していますが、何のためにあるのか疑問に思っています。また、88LYが山電上りからどの線路への進入の可否を現示するものなのかも判然としません。
通常はATCで運転する山手線ですが、この信号機は特に意味あり気な感じがして、ずっと気になりつつ答えが出ていません。
投稿: tc8147 | 2015年4月 9日 (木) 07時16分
tc8147さん、確かにそうですね。
①ATC化時に撤去された信号機と撤去されずに残った信号機は何が違うの?
②(88LYではなくて多分)S8LYの進路は何処?そもそも進路表示機らしきものが付いているのに「Y」だけって?
③この信号機で進入する列車はどんな列車?
御存知の方がいらしたら教えていただきたいですね。
投稿: f54560zg | 2015年4月12日 (日) 14時22分
ATC化後も残った、Sのついた信号機は工臨用信号機です。夜中にATCを積んでない機関車が走るとき使うらしいです。連動駅の場内と出発だけ残ってます。
#偉そうに書きましたが私も点灯しているの見たことないです
投稿: 名無し信通区 | 2015年4月17日 (金) 01時43分
「2010年2月17日 (水) 鶴見駅配線図」のコメント欄で、DEHA1000さんが書かれている、EF65-1000が引く工臨列車などがその例ではないでしょうか。
投稿: KASA | 2015年4月17日 (金) 02時35分
名無し信通区さん、KASAさん、ありがとうございます。この信号機が活躍している姿を見るのはなかなか難しそうですね。
投稿: f54560zg | 2015年4月19日 (日) 20時38分
品川歴史館発行の図録品川鉄道事始に鉄道省時代の大井工場空撮絵葉書が掲載されております 小さい画像ですが拡大鏡で視ると品鶴線及び大崎支線や目蒲電鉄大井町線高架が見える事から1934~37年頃図録にも年代記載されています
此の時代大井工場は煉瓦造りの建屋ばかりです 以前コメントした鉄道技術研究所の蒸気機関車用ダイナモメーター建屋(此れだけは鉄筋コンクリート製)も見えます 大崎支線が大井工場敷地から外れる辺りでした 工場正門と工場事務所の間には芝生を植えた庭園になっつてました
此の絵葉書の少し前1925年頃の大井工場配線図には1067mm線路とは別に資材運搬用の605~762mmのトロッコ線路が各建屋間を結んでいます
当時の大井工場は新橋工場以来の車両整備とは別に御料車及び優等客車製造も行う製造所の機能も兼ね備えてました 当然重量物等運搬する為にトロッコを必要としていたのでしょう 今はターレットカーやフォクリフトトラック等使用出来ますが
当時は其の様な物が無い時代トロッコ使用がベストだったのでしょう 因みに煉瓦の建屋は1956年頃迄存在してました 其の後大井工場近代化でガラッと変りました
投稿: yyoshikawa | 2015年4月20日 (月) 22時12分
yyoshikawaさん、っ鉄道工場内の設備は普段お目にかかれませんので、いろいろと珍しいものがあったんでしょうね。
投稿: f54560zg | 2015年4月26日 (日) 17時42分
皆様、私の投げかけた山手線の地上信号機に関する疑問に対して、コメントをくださいましてありがとうございます。
工臨用という話は、納得のいくようないかないような微妙な気分です。すみません、コメントをくださった皆様を信用していないのではないのです。そう遠くない過去には、工臨のために活躍したんだろうなと思いを馳せました。
ただ、今となっては工臨のために残す必要性は薄いのではないか、と思ってしまうのです。
現在では、ロングレール輸送にしても、バラスト輸送にしても、線路閉鎖して保守用車で運んでしまうのが一般的です。保安方式を変更してまで、あえて工臨を走らせる必要性は薄そうです。
検測関係の試運転列車にしても、E491系はATCを積んでいますから、白昼堂々定期列車の合間に検測してしまうことが多いです。
ちなみに、山手線の他駅をみると、2014年中に池袋駅に設置されていた場内・出発とも使用停止になっています。それ以前の時点で、新宿駅の場内・出発とも使用停止になっていました。そのため現在では、大崎駅出発信号機S5Rの防護区間は、田端駅の場内信号機までということになると思われます(長い!!)。
自分が通勤等で使うのが山手線の西側ばかりで、東側の状況はあまり存じておりません。すみません。
投稿: tc8147 | 2015年5月10日 (日) 11時09分
地上信号機のこと、ATC区間では信号トラブルがあれば運転不能になります。その時に使用する信号機ではないかと独断で見ています。
次の駅までの開通確認をして進出すれば山手線なら10分間隔が可能と思われます。
以上は全くの当て推量です。ごめんなさい。
投稿: C6217 | 2015年5月10日 (日) 17時38分
大崎支線蛇窪支線 此の二線同一路線です何故二ツの名称が存在するのか?JR東日本の方針として名称の変更したのか其れとも組織内の一部で名称を変更したのか
と云うのも大崎支線内に有る可動橋踏切作業用門扉の名称表示の線名が大崎支線と蛇窪支線の二通り存在する事です 線内には可動橋二箇所踏切二箇所作業用門扉一箇所有ります
大崎寄りから西広町ガード 西広町可動橋門扉権現台踏切 苗木原踏切 古戸越ガードの順番で存在しております
此れ等の名称表示に記載されておるのは路線名施設名距離数が記載されております 嘗て国鉄時代は唯施設名称だけでしたが近年JR東日本では全ての可動橋踏切門扉に名称等記載したプラ製板を張り付けております
其の名称表示に大崎支線と蛇窪支線の二通りの表示がなされておるのです 可動橋は蛇窪支線踏切と門扉は大崎支線と其々表示されております何故此の様な二表示になってしまったのか疑問です 西広町ガードは大井工場で保管していた木造御召客車を大宮鉄道博物館へ移送のおり最初に潜ったガードです ガードの直ぐ側に大井工場資材般出入の為の門が有る為です
投稿: yyoshikawa | 2015年6月10日 (水) 19時10分
蛇窪の5RHCは、15イ~15ロの渡り線とともに、90年代の半ば頃に撤去されたように記憶しています。
当時私は品川車掌区で乗務員をしており、ごくたまにここを使用する臨行路がありました。事業用車2両に方転するクハを挟んだ編成などでしたが、非貫通車の場合は、今では考えられませんが運転士と車掌が線路に降りて乗務位置を交換していました。
撤去後は、このような列車は新鶴見まで行って折り返すようになりました。
投稿: 刻苦七十年 | 2015年6月18日 (木) 21時24分
yyoshikawaさん、両端をとって「大崎蛇窪支線」がいいと思います(笑)。
刻苦七十年さん、別に時間さえ確保できるのであれば問題ないのでしょうが、本線上で折り返すのって何か違和感を感じてしまいますね。まして運転士さん・車掌さんが線路に降りるって・・・。
投稿: f54560zg | 2015年6月19日 (金) 21時00分
明電舎への引込線が道路を横切っていた記憶はありますが、かなり以前に撤去されたようです。当然、その先(明電舎構内)に続いていた線路は、国鉄(JR)構内と分断されて無意味な物と化したわけですが、2002年の埼京線ホーム設置時点でも、明電舎自体が退去するまで、線路の一部が明電舎構内に残っていました。
(現在の南自由通路が西側道路の手前で途切れており、その端に立つと明電舎構内を斜め上から眺めることができたので、構内に残る線路が見えたのです。)
もちろん、現在は跡形もありませんが・・・
さて、掲載配線図の最新版(1986年)以降、2002年の埼京線ホーム設置までは、大きな変化はなかったものの、小さな変化はありました。
1996年から始まった埼京線・新宿~恵比寿間延長運転に伴い、恵比寿で折り返しできない埼京線電車は、恵比寿~大崎間を回送し、ホームのない大崎で折り返していました。このとき折り返しに使われていたのは、基本的には大支中線でしたが、平日ラッシュ時は1線で捌ききれず、大支上本での折り返しも行われていました。つまり、大支上本から新宿方面への出発も可能だったのです。
(夕方ラッシュ時の新宿発小田原行きライナーは、通常は大支上本を通過していましたが、たまにダイヤが乱れて大支上本に埼京線が在線しているときにライナーが来ると、ライナーが大支中線に入線し、一旦停車後に発車してゆく、という珍しいこともありました。)
その後、2002年の埼京線ホーム(2面4線)設置後は、現在に至るまで新宿方面・横浜方面・りんかい線新木場方面の全3方向に対し、4線すべて到着・発車とも可能となり、臨機応変な運用ができるようになっています。
投稿: my2000 | 2015年8月22日 (土) 03時22分
my2000さん、大支上本での折り返しの情報ありがとうございます。ライナーが大支中線に入線し、一旦停車後に発車してゆくというのもスゴイですね。
投稿: f54560zg | 2015年8月29日 (土) 14時44分
最近区内の暗渠路を散歩がてら通ります デ暗渠関係のサイトを見る様になり興味深い記事を見付けました 鉄道線に囲まれた地域例えば私の地元品鶴線(横須賀線)と大崎支線に囲まれた苗木原と云う所や東北本線と京浜東北線に囲まれた中里等を鉄道島とそのサイトでは命名してました
当を得た命名と思いました さて地元大崎の品鶴線と大崎支線に囲まれた此の地域昔から何と無く模型のレイアウト見たいな雰囲気が有るなと何時も思っています
投稿: yyoshikawa | 2015年10月 7日 (水) 18時50分
大崎では毎年10月の連休にしながわ夢さん橋と言うイベントが開催されております 大崎再開発の第一期のニューシティービルが完成した時から続居て居り地元の大なイベントです 今年はニューシティー内のO(オー)美術館でしながわ夢さん橋大崎今昔展を開催しており大崎駅の昔と言う写真パネル展示も有り面白い写真が有るかと思い見に行くと二枚見覚えの有る写真が展示して有りました1960年代に父親が撮影した写真で一枚は青大将の方向転換の為大崎に停車中の写真と品鶴線のEF13二輌に8620一輌繫いだ三重連回送列車の写真の二枚でした 以前にやはり同じ様な企画展の折写真を提出其の折データーとして保存しますとの事で了解していましたのでおそらく展示したのでしょう 品川夢さん橋2015は10月10日~12日の三日間だけですのでご近所の御方は見に来て下さい
投稿: yyoshikawa | 2015年10月10日 (土) 21時59分
yyoshikawaさん、「鉄道島」ですか、確かにその通りですね(笑)。
美術館のイベントに写真が展示されるとは、yyoshikawaさんのお父様は相当貴重な写真を御撮りになってこられたんですね。いつかは公開をお願いしますね。
投稿: f54560zg | 2015年10月12日 (月) 17時31分
近くに住んでいながら、週末休めないので行くことは適いませんでした。ざんねん。
投稿: オーイナル野焼き | 2015年10月13日 (火) 23時40分
大崎が新たなる飛躍を迎えそうです と云うのも西口ソニービル前にバスターミナルを建設しておりました
山手線の駅で路線バスが一系統しかない駅は大崎だけではないでしょうか 然も都バスが来ない駅である都内の駅なのに 原因の一つはバスの通れる大通りが東口の山手通りしかない事 駅前広場が無い 西口は工場ばかりで道が狭かった 近年西口再開発で漸く道幅が広くなり駅前広場の整備 タクシー乗り場の設地 続いてバスターミナルの建設され今月完了 12月7日より長距離路線バスが発着する事になりました 他に東口の山手通りを通る渋谷大井町間の東急バスの一部が折り返す事になります 山手線一のど田舎駅大崎が世間並の駅になった事です
尚以前西口を通る路線バスが有りました 品川水族館送迎バスでした 当初はボンネットバスを新造投入して区内を循環してましたが利用客が少なく廃止され現在は大井町水族間のみ運行しております ボンネットバスは東急バスと京急バスに一輌ずつ配置しておりました 余談ですが・・・
西口
投稿: yyoshikawa | 2015年12月 2日 (水) 18時00分
余談の続き12月7日大崎駅西口バスターミナルがいよいよ開設されましたくす玉割等のセレモニーやバスの展示屋台等出店も有り品川区では今迄長距離路線バスターミナルは有りませんでしたので区も初めての為広報で開業を祝してました 丁度一周間前同じ大崎駅でJR東日本がまんをじして送り出した次世代通勤電車235系の運行開始セレモニーでやはりくす玉割テープカット等やり運行開始したが故障続きで当初の予定運用を打ち切り原因が判明する迄当面運行出来ぬとの事
何やらこんにちの鉄道とバスの状況を明と暗で表して居るみたいです さて長距離バスは夜行便の為未だ見てません
投稿: yyoshikawa | 2015年12月 8日 (火) 17時00分
yyoshikawaさん、
>山手線一のど田舎駅大崎
いやいや、ご謙遜ですよね・・・。
投稿: f54560zg | 2015年12月13日 (日) 22時10分
こんにちは。
今日も大変興味深い記事、楽しく拝見させて頂きました。
横須賀線はたまに使う路線ではあるのですが、線路をきちんと観察したこともなく、数年前に初めて意識して線路を見てみました。
品鶴線区間は、総和初期に客貨分離された貨物線と聞き、今は完全に旅客線ですが、往時には長閑な雰囲気だったのだろうと想像していました。
目黒川や蛇窪の信号場を見ていると貨物線時代のあらゆる方向に列車を振り分けられる、大きな鉄道の構造を感じ取りました。また高度成長期に東海道新幹線を品鶴線の用地に作るなど、当時にもまだまだ余裕のあったエリアを通っていたのだろうと想像していました。
今では成田エクスプレス、湘南新宿ラインも加わり、貨物列車は数が少なくなってしまったと思いますが、夜中に見ていれば少しは往時を想像させるような貨物の風景が見られるのかもしれません。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/
投稿: 風旅記 | 2016年5月15日 (日) 15時40分
風旅記さん、昔は貨物がメインの駅という印象でしたが、今では様変わりしてしまいましたね。
投稿: f54560zg | 2016年5月18日 (水) 21時41分
1967年配線図には品鶴線大崎支線の踏切の名称が記載されています 此の内高倉踏切に付いて述べます 元々此の踏切は無人の第四種でした当然警報器も無い踏切でした 此の踏切は東海道品川宿から碑文谷へ向かう碑文谷道の踏切でした
其の後警報器と遮断機が設置されましたが通常遮断機が下がった状態で人や車が横断の折遮断機を手動で上げて通過する列車が近ずくと自動的に遮断機が下がるのでした 元々余り通行量の少ない踏切でしたので此の様な半自動遮断機を設置したのでしょう
其の後人専用地下道化され高倉踏切は廃止されました 大崎の近所には廃止された踏切は他に四か所位存在してました中には築堤に有た階段で上り渡ると又階段を下りなければならない踏切も有りました
投稿: yyoshikawa | 2016年7月 6日 (水) 18時32分
高倉踏切は新幹線工事の頃地下道化されたと思います現在再開発工事中で地下道は通行不能状態です
碑文谷道は下り東海道本線が目黒川橋梁を渡り次に渡る短い架道橋に今でも名前が付けられております
投稿: yyoshikawa | 2016年7月 6日 (水) 18時43分
yyoshikawaさん、このようなところに昔は第四種踏切があったのですね。前後に階段があるというのも何とも不思議な踏切です。
投稿: f54560zg | 2016年7月 6日 (水) 22時45分
毎年の事ですが大崎駅は8月の第二の金土日の3日間は何故か早朝にも関わらずりんかい線への大量の乗り換え客が殺到します 東京ビックサイトでコミックマーケットが開催される為早い時間に向かうのです
りんかい線が大崎に連絡される様になり便利になったためです
今年大崎駅は開業115周年を迎えます 親子限定大崎駅探検イベントを開催とのポスターが駅に掲示されました 親子限定が味噌です
大崎短絡線問題は品川開発後に先送りされた様です相鉄線のJR東急直通連絡線工事も予定より伸びる様です出来あがると益々大崎便利になりますね
投稿: yyoshikawa | 2016年8月29日 (月) 15時07分
yyoshikawaさん、昔は地味な印象の駅でしたが(失礼)、大崎駅はますます発展しますね。
投稿: f54560zg | 2016年8月30日 (火) 21時47分
山手線大崎駅に付いて少々
大崎は山手線出入庫列車用に4面2本のホームが電車区開設時に設けられました
大崎は山手線では一番南端の駅内廻り列車は南下して来ますが大崎で280°位の曲率で方向を変え品川へ向かいます
其の為駅品川寄りはホームを出ると直ぐに左カーブしますホーム先端からカーブ迄の間にダブルクロス一組入れるのがやっとの状態です
其の為内廻りホームと外回りホームは少しずれて造りダブルクロスポイントの用地を捻出しておりますさて此のダブルクロスですが1番線は本線ですので当然直線です2番線は入出庫列車用ですので進出時分岐側です唯此のダブルクロス通常のダブルクロスですと4ッの分岐は全て同じ角度であるのが普通ですが大崎のダブルクロス2番線進出ポイントはY若しくは振り分けポイントの様です原因は駅を出て直ぐカーブが始まるのと電車区入出庫線が少し右へシフトされてる為と思います
おそらく駅実配線図では分岐方向及び敷設状況等きちんと記載されて居るのでしょう
投稿: yyoshikawa | 2016年9月 3日 (土) 16時49分
大崎短絡線は現在品川駅改良及び再開発及び渋谷駅改良工事に伴い凍結されていおります 用地は既に確保され現在はJR資材置き場になっております
昨日町会の会合でJRが当面資材置き場に渋谷駅改良工事用資材置き場にして夜間に工事資材の出し入れすると申し入れて来たと報告がった
大崎短絡線は湘南新宿ラインと横須賀線増発相鉄乗り入れ等による増発に伴う元蛇窪信号所平面交差を解消する為に建設予定で進められていたのですが他所の工事優先に伴い現在中断ちゅうです
大崎支線沿いの区役所通り拡幅工事も区の方で開始段階になり大井町線架道橋拡幅大崎支線架道橋拡幅品鶴線架道橋拡幅等日々ダイナミックな話題が付きません区役所通りは都道26号線と環状6号線(山手通)を結ぶものでです余談ですが
投稿: yyoshikawa | 2016年9月 4日 (日) 08時17分
yyoshikawaさん、大崎~品川間は山手線が環状線であることを実感できる区間かもしれませんね。
自治会ルートからも情報を得ていらっしゃるとは、再度恐れ入ります。
投稿: f54560zg | 2016年9月 4日 (日) 16時28分
9月3日投稿のダブルクロスの事ですが普通のダブルクロスは互いに平行して居る線路同士を結ぶので当然何方の線も平行 クロス側は分岐するパターンが主です稀にクロス側が直線で本来平行である筈の本線側が分岐と云うパターンも有ります田町駅の山手線京浜東北線間のダブルクロスは折り返し中線が有る関係で確か山手線ホーム寄りは分岐側が本線と云うパターンです東京メトロ半蔵門線及び東急田園都市線渋谷駅田園都市線側ダブルクロスは島式ホーム及び田園都市線側単線シールドトンネルの為クロス側が直線本線側が何方も分岐側と云うパターンです
さて大崎の山手線内廻りのダブルクロスは入出庫線側が曲線からの接線でなく多少其れより外向きな為と外廻り線との平面交差にシングルスリップが有る関係から標準的なダブルクロスから多少変形したダブルクロスとなったのではと思います
外廻りは用地の関係でダブルクロスを敷設出来ずやもうえずシングルスリップを挿入して賄う荒良治で現在の状況になった
ダブルクロスの内廻りから車庫への入出庫は滅多に使われる事は無く錆びて居りますが車両交換等の折使用されます 外回りのシングルスリップも同様の使いかたとして敷設されております
投稿: yyoshikawa | 2016年9月 5日 (月) 18時19分
yyoshikawaさん、限られたスペースの中で車両基地への入出区ルート確保のために配線設計にはかなり苦労されたんでしょうね。
投稿: f54560zg | 2016年9月11日 (日) 10時24分
昨日町会の年末特別警戒の巡回後の飲み会で近所の方が映画シンゴジラを見て居たら大崎付近の品鶴線土手をゴジラが崩していたと言ってました
私はシンゴジラ「を見て無いもので確信は無いのですが長年地元に住んでると映画のワンシーンでも直に解るものなのですね
因みにゴジラの最初の作品では品川の八ッ山橋で東海道本線の客車列車を破壊してました
ゴジラの脚本を書いたのは大の鉄道ファンであった作詞家で脚本家の関沢新一氏でした
投稿: yyoshikawa | 2016年12月27日 (火) 16時44分
yyoshikawaさん、大崎・品川界隈はずいぶんとゴジラにヒドイ目にあわされてきたんですね(笑)。
投稿: f54560zg | 2016年12月28日 (水) 17時02分
江戸時代当時江戸の町は千代田の城を中心に朱引地と呼ばれる行政区分の内側を江戸市街其の外は郡部と分けられていました 北は板橋宿西は内藤新宿南は品川宿東は千住宿辺り迄が主引地の境でした とわいえ江戸から明治の頃迄は文京千代田港中央墨田台東辺りが市街地であった(但し其の内の大半は武家屋敷がしめていた)主引地に沿いに日本鐡道が官設鐵道との連絡の為に現在の山手線を建設した当時沿線は朱引地内乍未だ閑散とした郊外の台地上の農村地帯を縫っていました明治末頃から東京の人口拡大に伴い山手線沿線は住宅地や商業地で埋め尽くされた大正時代には東京の省線電車はどの線も既に最大5輌編成の電車が運行されてました当時より山手線の電車区は池袋と品川のニ区が担当してました其の後更に7輌編成運行となり両電車区は飽和状態になりました戦後1960年代半ば頃から夜間蒲田電車区や南浦和電車区に外泊させねばならぬ飽和状態を迎え新電車区を建設する話しが持ち上がりますが如何にせん町中を縫う山手線に新たな車庫を作るだけの用地は果たして有るのか 戦後一時期戸山ヶ原に米軍が住宅地を保有していたが返還の話しが持ち上がると国鉄は山手線用新電車区用地にしようとしましたが結局中止の運びとなり折しも持ちあがった大井工場整備計画の一貫として大井工場の東海道本線寄りの鉄道官舎の用地に地下一階中二階の複合電車区を建設漸く他区への夜間外泊は無くなりました 市街地とかした現在の山手沿線で更に電車区の建設は今後とも無理でしょう
投稿: yyoshikawa | 2017年4月16日 (日) 09時22分
yyoshikawaさん、大都市圏での鉄道用地確保はホントに大変ですね。車両基地は無理でしょうし、複々線化、高架化といった工事でも、考えるだけでもイヤになる困難が容易に想像できます。
投稿: f54560zg | 2017年4月16日 (日) 18時42分
yyoshikawaさんの過去コメントを読んでいて気付いたことがあるので、亀レスですが一言。
2016年9月5日のyyoshikawaさんのコメントの最後に「外回りのシングルスリップも同様の使いかたとして敷設されております」とあります。確かに、通常の入出庫電車は4番線発着ですので、当該シングルスリップは車両交換等のみで使用されるものと思われがちですが、実は、3番線到着の外回り入庫電車が通常ダイヤで深夜に3本(客扱1本・回送2本)設定されており、当該シングルスリップは毎日使われていますので、錆びてはおりません。
具体的には、平日は深夜00:49着(2343G)・01:01着(品川00:55着2345Gの回送)・01:14着(品川01:08着2471Gの回送)の3本、土休日は深夜00:44着(2311G)・00:57着(品川00:52着2371Gの回送)・01:10着(品川01:03着2405Gの回送)の3本が、3番線到着で入庫します。
(ダイヤは2017年3月4日改正の現行ダイヤ)
上記のとおり1本は乗車可能ですので、車内自動放送が「次は終点・大崎、お出口は左側・・・」と対応できているのか、一度乗って確かめてみたいものです。
あ、「一言」としては長すぎましたね。失礼しました。
投稿: my2000 | 2017年4月17日 (月) 02時25分
my2000様御指摘有難う御座います
深夜は夢の中ですので見に行く事は出来ず確認してませんでした
投稿: yyoshikawa | 2017年4月17日 (月) 15時48分
>yyoshikawaさん
いや、ご存知ないのも仕方ないですよ。
その光景を見たとしたら、その後に大崎から乗車可能なのは品川行き最終のみですから、近隣在住でない限り目撃は困難だと思います。
ちなみに、先月の改正前は、土休日に客扱3番到着入庫がもう1本(00:28着)ありました。
投稿: my2000 | 2017年4月18日 (火) 01時18分
my2000さん、yyoshikawaさん、列車本数の少なくなる深夜には日中では見られないようなルートで列車が走るのですね。
my2000さん、ご乗車レポートお待ちしています(笑)。
投稿: f54560zg | 2017年4月19日 (水) 22時04分
大崎の5番線8番線は御承知の通り両方向に出発出来る様北側も南側も全ての線に出発信号が設けられてます
朝7時発のりんかい線新木場行きは8番線から発車します暫く北行線を逆走します
ダイヤに余裕のある早朝は別として7時代に逆走が有るのは驚きです
夜間最終の埼京線大崎行に乗車した時は8番線に入線してました
其の後同列車は何処へ回送されるのか
何故かと云えば5番線と8番線は夜間通過列車用に明ておかねばならない為です微々ですがまだ大崎支線に貨物列車が存在してるからです
投稿: yyoshikawa | 2017年12月 1日 (金) 21時10分
yyoshikawaさん、山手貨物線にはまだ貨物列車が走っているんですよね。近々記事にしたいと思います。
投稿: f54560zg | 2017年12月 4日 (月) 21時08分
先日町会役員の飲み会の帰り夜20時05分大崎支線苗木原踏切で南行コンテナ貨物が通過していました牽引はEH500でした普段此の時間外出しない為気付かなかったです今度撮影しようと考えてます
投稿: yyoshikawa | 2017年12月18日 (月) 18時56分
来る5月26/27日及び6月2/3日に渋谷駅山手貨物線移設工事に伴い大崎及び新宿間で湘南新宿ライン及び埼京線東京臨海高速鉄道りんかい線及び貨物列車が運休します
大崎ではこのような工事運休の折湘南新宿ラインとりんかい線は折り返し運行となりますがは大崎ではりんかい線は5番6番線利用湘南新宿ラインは7番8番線を利用して居り返すのが常です列車本数の少ない湘南新宿ラインは8番線折り返しををメインに7番線をサブとして利用 列車本数の多いりんかい線折り返しは5番6番両方を使用多少の支障で済みますが唯8番線から折り返す湘南新宿ラインは都合2本の線路を横断折り返しの折りんかい線構外停止を余儀なくなります
投稿: yyoshikawa | 2018年4月15日 (日) 18時45分
追伸 大崎駅5~8番線は御承知の如く全ての線路に両方向に出られる出発信号が設置されています両通です通常はりんかい線の折り返し及び大井工場(現東京総合車両所)に入場回送列車が使用するのは6番7番線ですが今回の様な大工事等で運休の折は此の両通が威力を発揮するのです
投稿: yyoshikawa | 2018年4月15日 (日) 20時28分
yyoshikawaさん、大崎駅の5~8番線はいろいろな異常時を想定して融通の利く配線になっているんでしょうね。
投稿: f54560zg | 2018年4月15日 (日) 21時15分
今朝の事です5時頃大崎駅でホーム末端に設置されておる抑止信号の表示が点滅駅放送では田町駅付近で煙が発生してますとの事 何時もですと外回りの電車が大崎到着後5時11分発内回り始発電車が入線して来るのですが今日に限り外回りが途中で足止めされてたので先に入線してきたが其れから発車時間を過ぎても抑止信号が点滅分岐は二番線側に変わっているので何れ發車するだろうと思い乗車していたが一番線に後発が入線してきた 乗車中の編成は231‐502編成到着したのは231‐501編成珍しく山手の第一編成と第二編成が顔を揃えたで運転指令から二番線の始発が先に発車すると後発の車掌に連絡指令がきて乗客を全員二番線の始発へ乗り換えさせたが今度は二番線始発は品川迄回送扱いにすると再び指令が車掌に届き再び乗り換えさせられた一番線を先発にするのかと思ったが二番線の回送を先に発車させてしまう乗客の事を考えない総合運転指令所の対応は何時も問題になる JR東日本ではこういう時の直接乗客の意見を聞く組織が無いのは問題だと思うのですがいかがでしょうか
また愚痴を述べてしまいました
投稿: yyoshikawa | 2018年7月18日 (水) 20時39分
yyoshikawaさん、行ったり来たりさせられる乗客はたまったものではありませんね。まあ、JR側にもいろいろ事情があるのでしょうが・・・。
それはさておき、
>何時もですと外回りの電車が大崎到着後5時11分発内回り始発電車が入線して来る
いつもこんな時間に出動されているのですか?
投稿: f54560zg | 2018年7月18日 (水) 21時24分
その昔、
東海道線 には
「一等展望車=スイテ・マイテ」があり
一番後ろに連結 されており、
東京に到着の車両 を
出発する方向 にする
いわゆる→「全体を方向転換させる」必要 が
生じています。
そのため 、
三角=デルタ線 が、できたそう。
横須賀線・湘南新宿ライン等 で、
デルタ線、現在も、大きく活用 されていますね。
投稿: | 2019年1月 1日 (火) 16時20分
大崎のデルタ線は特急客車の方向転換の為に敷設された訳では無く山手線と品鶴線間の貨物列車を円滑に運行する為に設置されたのであり丁度デルタ線を形成された為展望車連結特急の方向転換に利用されたのです飽く迄貨物優先の為のデルタ線です品鶴線開通前は展望車付特急列車は新橋駅(汐留駅)中央駅(現東京駅)の構内の転車台で一輌ずつ方向転換してました
品鶴線開通以前田端方面からの山手貨物は品川迄行き其処で改めて列車を仕立て直し東海道方面へ向かいました
品鶴線開通により品川経由で対東海道方面へ向かうより大崎より短絡の為のデルタ線を建設し直接東海道方面へ向かわす様にしたんです
投稿: yyoshikawa | 2019年1月 1日 (火) 17時54分
平成31年、明けましておめでとうございます。
yyoshikawa さんのおっしゃる通り、蛇窪信号場~大崎間の通称「大崎支線」は貨物列車のために建設されたものです。
開通日は昭和9(1934)年12月1日、丹那トンネルと同時でした。
当時は東京の客車区が手狭になってきて、品川にあった貨物操車場を新鶴見へ移転し、その跡に新たな客車操車場を建設することになりました。
そこで貨物列車の運転ルートを変えるために必要な短絡線だったのです。
品川客車区の完成は1942(昭和17)年とのことですが、客操の機能はもしかしたらそれ以前に始まっていたかもしれません。
以後半世紀にわたって東京発着の東海道線優等列車を受け持ってきた品川客車区ですが、その跡地に位置する現在の電留線に往時の名残を見出すことはほぼ不可能ですね。
なお戦前の展望車付き特急列車の始終着駅にはデルタ線の無い方がむしろ多く、「富士」の下関(のち長崎)も、「燕」の神戸(客車の基地は明石)も、展望車を転車台で回していたはずです。
投稿: クモイ103 | 2019年1月 1日 (火) 19時26分
クモイ103さん、今年もよろしくお願いします。
おっしゃる通り都合よくデルタ線があるわけではありませんね。客車の転向は大変な手間かと思いますが、当時の誇りだったのでしょうか。
投稿: f54560zg | 2019年1月 4日 (金) 18時14分
東京総合車輛所(旧品川電車区)と第一三共製薬との間の道を歩いていてふと気付いた何時の間にか山手線の入出庫線が中線付の三線区間が複線に変更されてた アレと思い何で減ったのか能々考えてたらりんかい線が大崎乗り入れ時大崎支線北行きを旧引き上げ線跡に移動南行きは山手入出庫線を一線減らし東京総合車輛センター入出線を移設し用地確保して移設二本分空けた所へ地下から乗り入れて来るりんかい線の複線用地確保し線路敷設し大崎に乗り入れる様になった 人口密集地の都会での線増工事するのは用地の確保が技術者の一番頭を悩ますの事なんでしょう
投稿: yyoshikawa | 2019年5月 4日 (土) 16時02分
yyoshikawaさん
大崎駅はずいぶんと変わりましたからね。りんかい線乗り入れではさぞかし苦労があったのでしょう。
投稿: f54560zg | 2019年5月 9日 (木) 20時16分
来る11月16日品川駅線路移設に伴う山手線大崎折り返し運転若しかして普段まったく使用されない駅北側の対向渡り線を使用するのかそれとも一番線若しくは二番線到着内廻り列車を東京総合車輛センター線に引き上げ後三番線若しくは四番線に据え付け外廻り折り返しとして發車させるのか当日が楽しみです
投稿: yyoshikawa | 2019年9月22日 (日) 08時38分
yyoshikawaさん
東京総合車輛センター線に引き上げ、と想像します。
投稿: f54560zg | 2019年9月22日 (日) 17時59分
1964年より以前の大崎について少し述べようと思います一連の新幹線工事終了し続いて大井工場構内改良工事及び山手線新電車区設地に伴う山手貨物線と車庫入出線との立体交差駅ホーム増設貨物側線の配線と分岐変更等可也大規模な工事でしたが当時列車の運休は無く恙無く完了した
工事開始前大崎駅には駅舎が二ッ存在してました山手通りに面した方の駅舎が主駅舎で明電舎よりの駅舎は副駅舎でした 何方の駅舎もホームとの間は跨線橋で結ばれていました主駅舎側跨線橋は線路一本ですので短かかったが明電舎側の副駅舎からの跨線橋は貨物側線の上を通る関係で可也長かったのを子供心に覚えてます 当時山手貨物線大崎支線品鶴線は常に貨物列車が行き交っており線路端で飽きず貨物列車を眺める日々でした 夕方山手貨物線にライトグリーンの客車列車がEF58牽引で品川方から大崎駅貨物中線にやって来て少し停車後推進運転で大崎支線をノロノロ蛇窪信号所迄行折り返し品鶴線を機関車牽引で品川へ向かってゆきました特急つばめ号の方向転換作業でした 大崎駅北側には山手通りの陸橋が有り鉄筋コンクリート製高架と線路上は鉄桁橋で横断してましたが当時は橋の前後が急カーブでした現在は陸橋は掛け直され急カーブも緩和されました 山手通り陸橋の北側に貨物上屋が有り其の先目黒川橋梁手前に東京材木市場の引き込み線が有りました現在材木市場跡は現在年金事務所の建物が建てます 貨物上屋跡は都営住宅が建てます 大崎駅南側に道幅の狭い跨線陸橋が有り山手通りと南側跨線陸橋の間に貨車ヤードが広がってました荒荷扱い所や石炭取り降ろし用門型クレーンが有り無蓋車からバケットで石炭を降ろしていました 其の北側に重量物用ジブクレーンが一基ありました 長物車に自動車等を積む為の設備も有りました 南側跨線陸橋の脇に保線区建屋が有りました 多分現在の南口の辺りと略同じ位置です 明電舎側の副駅舎脇には蔵造りの建物が有り手荷物一時預かり所でした 大崎駅の周辺は工場ばかりで駅前商店街は皆無であったのは山手線で此処だけでした 明電舎工場敷地内に一般道路が有り其の道に交差する工場建屋間を結ぶトロッコ(超大型トロッコでした)線路四線が横断してました流石に重電メーカーの工場です 他の建屋にも普通のトロッコの線路が有りました明電舎の隣には園池の工場と東京鍛造の工場が有り昼間は鍛造用プレスがドンガン大きな音を立てていた 明電舎の工場は更に品鶴線の先にもありました 山手線の内側には高砂ポンプの工場東京製缶の工場が有りました品鶴線の脇には三共製薬の工場が有り大井工場への線路脇から三共製薬敷地内に専用線が伸びていましたが殆ど貨車の出入りはありませんでした 南側跨線陸橋の反対側側に食肉工場が有り時々大崎で降ろされた豚が跨線陸橋上を歩かされて食肉工場へ向かっていたと父親が言ってました 南跨線陸橋と品鶴線交差部迄の間に信号扱い所建屋が有り機械連動で各分岐を転換してました信号扱い所の脇に百反下踏切が有りました踏切番の小屋が有り二階建てでした 貨物列車の通過時や貨車の入れ替え大井工場から入出場車の通過大井工場内入れ替え作業等で直々閉まってました 週末に新宿発の臨時急行列車いこい号がたまに通過してました
貨物全盛時代貨物列車の編成中に民鉄貨車が連結されてる事も有りました中でも葛生発浜川崎行き東武鉄道の貨車だけで編成された貨物列車が日に数往復してました 白ちゃけた貨車の隊列は不思議な光景でした 時々原宿宮廷ホーム発のお召し列車が通過する時は警察官が線路脇におり一目でお召し運用が有るなと解ります
投稿: yyoshikawa | 2020年4月16日 (木) 19時31分
配線図とは関係有りませんがつい先日横須賀線向け新車235系が運用についたのか試運転なのかわかりませんが品鶴線を走行してました 既に山手線向け0番台は配置完了し次はどの線に配置されるのか
東海道東北高崎線は321系233系京浜東北中央快速埼京南武横浜線も233系が運用され総武緩行線は山手線から転籍した231系と総武緩行オリジナルの231系常磐線はオリジナルの231系が其々使用されており首都圏通勤車は231系233系が主力になってます 比べ横須賀線は217系が主力でしたが遂に車輛交換の時期が来たのでしょう
投稿: yyoshikawa | 2020年8月 5日 (水) 15時53分
山手線の、あえて残してある、場内や出発信号機、山手線をATC化した時の、鉄道と電気技術誌、の前身には、工臨用との記載があります
続き
アップされている配線図にも、S1R、S4L、S5R、S8LDとS8LYの記載が有りますね。
で、電気と電気技術誌、の前身には、ATCと色灯信号機は切り替えて使う、つまり、夜間に工臨の為だけに使う。
で、とうの問題のS8LY。
配線図を読み解いていくと、S8LDは常用ATC進路に9LC(大崎2番線)と9LD(大崎1番線)が有りますから、これは新宿側から大崎1番線へのルートと読み取れる。
S8LYは、現在の配線なら、大崎5番線または6番線へのルート。
なぜ?、よーく見れば判りますが、山手貨物上り場内信号機に、A,C,Dとルート有りますね?。で山手線(内回り)ルートにもDの記載ルートが有る。
と、いうことは、山手線(内回り外回り)と山手貨物線の連動機は別で有る。
つまり、ここを渡るルートS8LYを構成するには、事前に打ち合わせ(多分電話)をしたあと、
大崎(内回り外回り)の連動機でS8LYを引く→大崎(山手貨物)の連動機で照査を求めるブザー鳴動→大崎(山手貨物)で照査テコを引く→S8LYが現示。
まあ、このルート、無くても、東京総合車両センターこと大井工場で入れ換えすれば、不要、ですが。
なので、こんな面倒なルートが残されたかは、完全に、謎。
ちなみに、照査テコが有る駅は、例えば、田園都市線と半蔵門線の境界になる渋谷(もっともこの渋谷駅の照査テコは普段駅扱いではなく、東急TTCとメトロ指令システムで列車番号突き合わせて、OK、なら自動で照査テコ反位、ただし駅扱いをさぜるをえない時は列車ごとに照査テコを扱う)、代々木上原(小田急とメトロの連動機が別で跨がるルート構成の時は照査テコ)、と、あげていったらきりがない。
あと、変わり種な照査テコは、例えば上に上げた、代々木上原、なら、普段なら、メトロと小田急の跨がるルートのポイント(例えば101イと101ロ)は、双動作しますが、夜間保守の際に、双動作ポイントを相手側の信号担当(実際的にはその前に指令長どうしで)の承認の元、単独で動かしても構わないようにする為の照査テコ(つまり相手側に照査テコが有る)、という変わり種も有ります。
よーく、見たら、信号扱い所の記号も、2箇所ありました。
投稿: 通過せん | 2021年7月20日 (火) 21時17分
通過せんさん
大量投下ありがとうございます(笑)。お詳しいですね。まだよく拝見できていませんのでじっくり読ませていただきます。
せっかくのコメントが読みにくくなってしまいましたのでまとめさせていただきました。
投稿: f54560zg | 2021年7月21日 (水) 19時32分
通過せんさん
選別押しボタンのDは26RDの通り大支中線(だけ)と思っていたのですが、他扱所の大崎1番線もDだったのですね、なるほどです。ところでS8LYの進路はどこ・・・?
投稿: f54560zg | 2021年7月22日 (木) 20時37分
大崎駅の山手線東京総合車輛所から内廻り線への入出線の山手線外廻線との平面交差部のシングルスリップ今思うに何故ダブルスリップにしておくべきだったと思うのは私一人でしょうか・・国鉄時代ターミナル等の巨大工事は無いと考えていた為か最初の大崎駅改良工事の折シングルスリップを敷設した 若しダブルスリップであれば今回の様な渋谷改良工事で内廻り線池袋大崎間運休大崎折り返しで一々回送線へ引き上げる必要は無い 外廻りからダブルスリップ経由二番線に直接入線其の儘折り返せる シングルスリップでは一担四番線に到着後入出庫へ折り返し入線後二番線へ転線折り返し発車と云う手間が生じてしまう何回も乗務員が前後の運転台へ移動せねばならぬ手間外廻り線を頻繁に横断等であります
投稿: yyoshikawa | 2021年10月21日 (木) 16時59分
渋谷駅山手線内廻り線線路移設及びホーム拡幅工事で品川新宿間山手貨物線臨時列車に今朝方乗車しました大方の憶測と裏腹に中電運用の231系及び233系15輌編成を使用して運行してました中電としては珍しい短距離運用です 品川から乗車目黒川で品鶴線から分岐山手貨物線に此れ迄一般者が乗車する事のない路線に進入大崎駅は当然無停車で通過しました何時もと少し違う風景を単区間ですが車窓から見る事が出来ました 山手線の大崎折り返しは品川駅線路移設の折と同じく東京総合車輛所入出線に一担引き上げて折り返しています池袋では新宿方の中線を利用して折り返してます
投稿: yyoshikawa | 2021年10月23日 (土) 13時41分
yyoshikawaさん
出動お疲れ様です。
>品川から目黒川で山手貨物線
普通はなかなか乗れないルートですね。
投稿: f54560zg | 2021年10月23日 (土) 19時53分