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2009年12月29日 (火)

大崎配線図

品鶴線と山手貨物線と大崎支線が三角形を形成する一帯ですね。

(1957年以前の配線図はこちら。)

例によってまずは1961年3月です。

196103

品川からの品鶴線は目黒川信号場で山手貨物線を分岐し、ついで蛇窪信号場で大崎支線と合流します。
「三角形を形成」と書きましたが、実際には立体交差を含んだ変則的な形です。

この時代はまだ品川電車区は品川駅付近に存在していますので、大井工場への通路線のみが設けられています。従って山手貨物線は山手電車線と同レベルで大崎駅に進入しています。

注目は蛇窪信号場の信号機1C。新鶴見方への下り本線から品川方もしくは大崎方のいずれかに出発するためのものと思われます。昔の展望車列車の編成ごと転向の名残でしょうか。それともそれ以外にも用途があったのでしょうか。

続いて1967年3月。

196703

目黒川及び蛇窪の両信号場は大崎駅に統合されましたので名前が消えてしまいました。

「あれ?」と思ったのは、旧目黒川(信)から先の山手貨物線が単線で描かれていること。
推定ですが、(新)品川電車区開設にともない、これの入出区線と山手貨物線の平面交差を避けるため山手貨物線を高架にする工事が行なわれ、この関係で一時的に単線にされていたのではないかと思うのですが。
また、この高架化工事の結果、山手貨物線は大崎を素通りせざるを得ない配線になったようです。

旧蛇窪信号場にはまだ転向用(?)の5Rが設けられています。

続いて1977年10月。

197710

山手貨物線は複線に戻っており、一応の完成形ではないかと思われます。

旧蛇窪(信)には相変わらず5RHCが設けられています。「C」ですから、どうも品川方面に向かうための信号機のようですね。

大崎駅の明電舎の専用線への分岐器は複分岐です。

最後に1986年3月。

198603

品鶴線は横須賀線に乗っ取られ、線路名称が「横須賀(品鶴)線」になってしまいました。

大崎駅は1980年10月1日に貨物扱いが廃止となり、貨物側線もだいぶ整理されてしまいました。

旧蛇窪にはやっぱり5RHCが・・・・。残っているということは、使っているってことなんでしょうか? 今でもあるのでしょうか?

この後、大崎駅は湘南新宿ラインやりんかい線などでまた大きく変化したようですね。(最近全く行ったことがないので想像がつきません(汗))。

貨物関係で見れば、品川方面~新鶴見方面のルートは横須賀線に姿を変え、新宿方面~新鶴見方面のルートは湘南新宿ラインに姿を変え、品川方面~新宿方面のルートは成田エクスプレス専用に近い状態ではないでしょうか。
新宿方面~新鶴見方面のルートにはまだ若干貨物列車が走っていますが、武蔵野線との使い分けがよくわかりません・・・・。

配線図は一部を除きT.Mさんよりご提供いただきました。
年表はJTB発行の停車場変遷大事典に基づきます。

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コメント

たびたび失礼します。国鉄時代のダイヤを見ると、品川-恵比寿-大崎(蛇窪)-品川という予定臨の回送列車が設定されていました。おそらくいろんな経路で走っているうちにエンドが逆になってしまったりした列車の向きを正すため利用できるようにと存知していたのだと思います。ながめているだけでも飽きないというか奥が深いです。なおウィキペディアによれば渡り線は撤去されてしまったとのことです。
線路図とダイヤと運転時刻表が揃えば三種の神器。脳内国鉄は轟音をたてて列車が走り出します。失礼しました。

tercelさん、またまた貴重な情報ありがとうございます。予定臨として設定されていたというところがオドロキですね。実際にそのスジでどのような列車が運転されたのか興味深いです。
私は線路図だけで列車が暴走してしまいます(笑)。

たびたび登場します。
大崎駅の三角地帯は、元々天皇陛下の御料車の関係ですが、原宿の宮廷ホ-ムが完成する前は東京駅から乗車と下車をされていましたし配属先が大井工場ですけど御料車〔天皇陛下が乗られる貴賓室がホ-ム側になる為に〕の位置が問題になる様です。戦後は〔はと〕〔平和〕等のスイテとかマイテの位置に使われました。
また明電舎はシキが配属され発電機等の輸送が行われていました。その後大型発電機の製造に力を注ぐ為に大崎駅が手狭になり沼津に工場が移転しました。

つるたまさん、貴賓室とホームの位置関係・・・。ずいぶんと気を遣っていたんですね。

大崎配線図に寄せて 昭和30年代前半の頃未だつばめ はとが客車時代の頃 上り運用で東京に戻って来たつばめ はとは翌日運用の為毎日編成ごと方向転換して居ました 大崎迄は目黒川信号所から山手貨物線を機関車が牽引で来て其の侭一担大崎中線で待機信号が変わるのを待って大崎支線下り線を推進にて蛇窪信号所迄運行一担品鶴線下り線上で停車亘り線が切り替わるのを待って品鶴線上り線に転線其の侭品川へは機関車牽引で向かいました 今と違いダイヤに余裕を持たせて居たのでしょう 今は湘南新宿ラインや横須賀線成田エクスプレス偶に貨物列車等が頻繁に行き来して居る関係上本線折り返しは考えられ無い 現在でも運用の関係で方向が逆に成る列車も有る其れ等は新鶴見信号所迄行き品川に戻る様にして居ます 

大崎地元追伸
やはり昭和30年代前半の頃現在湘南新宿ラインや埼京線臨海線のホームの有る辺りは山手貨物でもかなり大きな貨物ヤードが有りました常に貨車が多数留置されてる 頻繁に貨物列車は遣って来るので一日中線路脇で見てても飽きない 楽しい時代でした 常時入れ替え機が来て頻繁に入れ替えをしていました 古くはB6 86 DD13 等でした 明電社側にガトリークレーンで石炭の荷卸しジブクレーンでの重量物積み下ろし等して居りました 大井工場入出場車の回送 つばめ はとの方転 見た事の無い貨車 本当に良い時代でした当時の写真は私の父が撮影して居りキャビネ版で伸ばして有ります 埼京線が恵比寿迄延長された時恵比寿駅は亘り線が既に無く其の侭大崎駅の中線まで回送して折り返して居ました 其の後大崎の構内配線を全て取り払いホームを二本増設し湘南新宿ライン埼京線臨海線と山手線が連絡するターミナル駅に発展したのも貨物ヤードが残っていたおかげです
 後二つ東海道連絡線と三共製薬引き込み線に付いて記します 大崎構内配線図には記載されてませんが大正時代の地図には大崎駅から東海道本線の大井町迄の連絡線と其処から分岐して東海道本線の直ぐ側迄伸びる側線が記載されてました 東海道本線の連絡線は日清戦争の折東北地方からの軍事列車を直接東海道本線に向かえる様に引かれた線でした日本鉄道品川線の分岐となる所に信号所を設置 大崎信号所と命名後の大崎駅である其の後此の連絡線は日露戦争の折第一次大戦等でも軍事輸送に使われた 品鶴線が開通後必要性が無くなると大井町側は完全に切られ行き止まりの状態で残り大井工場の試運転線として利用されて居りました其の後大井工場一画に山手線の電車区を作る居り入出庫線となり現在迄後地は利用されております 次に三共製薬引き込み線に付いて記載します 此の引き込み線は大崎駅からは直接出入りでき無い配線でした  大井工場の引き上げ線から分岐して品鶴線を潜り三共の工場内に入って居ました昭和30年代始めには廃止に成り分岐も取り外されたが線路は新幹線が開業する頃まで残って居ました 大崎の品鶴線ガードは道路引き上げ線大崎支線大井工場入出庫線道路を渡る長いガードと少し離れて短いガードの二つ架かっており短い方のガードが三共引き込み線のでした 大崎電車区を建設した時入出庫線が長いガードを潜る様に成り以前より有った道路は弾き出され元三共引き込み線の有った所を道路に変更利用された 大井工場裏の道が大崎へ向かって行くと新幹線の高架に当たり直角に折れ直ぐT字路で曲がらぬと大崎方面に行けない一寸とややこしい状態なのは此の為であります
   

y yosikawaさん、大量のコメントありがとうございます(笑)。そしてまた地元の方ならではの貴重な情報ありがとうございます。
大崎から蛇窪までの推進運転、蛇窪での本線上の折り返しなど、現在では到底考えられないですね。
三共製薬引き込み線と折れ曲がった道路の関係につきましてもありがとうございます。

 地元ネタを1961年と1967年の配線図の間に新幹線建設工事に伴い品鶴線の移設及び単線化されて居ました工事が済むと元の複線に戻されましたが路盤の地固めに新鶴のD51 が来て居ました
 現在槍ヶ崎の台地から隣りの権現台の台地迄の間の品鶴線築堤のガードには旧ガードのピアーが残っております 
 1935年の配線図で山手線一番線の外に側線が記載されております私の父から聞いた話でラッシュ終了後電車を留置していたと語ってました

y yoshikawaさん、地元の方しか知りえないネタありがとうございます。

 地元ネタを大崎駅の五反田側目黒川の側迄嘗で入れ替え用の引き上げ線が伸びていました其の引き上げ線と平行して今一つ短い側線が有りました川迄伸びた側線は引き上げ線と同じ所に車止めが有りまるで引き上げ線が二本有る様に見える
此の側線は一箇所のみ片亘線で繋がっているだけ片端も大崎貨物駅粗荷線の手前で車止めで終わってる本当に短い側線ですが嘗て引き込み線一覧に木材市場線と記載されてたと記憶してます
戦前西尾さんの写真に池上線ホームからの写真に此の辺りを写したのが有り当時から存在していたようです此の引き込み線に貨車が入線して居るのはめつたに有りませんでした。

地元ネタ追伸 此処20年位で大崎は駅も周辺もガラッと様変わりしました まず貨物ヤードは湘南新宿ラインと埼京線臨海高速臨海線用ホーム2面4線に代わりました周辺の工場等は高層ビルに代わり すかりビジネスタウンに成りました山手線沿線で一番田舎駅が今や乗降客数が多い駅の一つになりましたが今だに目黒川蛇窪の平面交差は残って折り 特に蛇窪の平面交差はダイヤ設定上問題に成っきており将来相鉄が直通する様になると破綻してしまいかねない為品鶴線から直接大崎駅に繋ぐ短絡線計画が有りますが 半径160mで30/1000下り込可也無理な線形で繋ぐ予定現在のホームの真ん中辺りに降りて来るので北行ホームを五反田方向に移動させる予定 ただ北行の貨物列車は通常の大崎支線(最近蛇窪線に代わった様です) 経由で運行予定 ただ此の計画東日本大震災の影響で予算面で難しくなり沙汰やみ状態になってます。

y yoshikawaさん、
>五反田側の引き上げ線と平行した短い側線
1977年の配線図に記載されている「東元(専)」(?)のことですね。何屋さんなんでしょう。
>品鶴線から直接大崎駅に繋ぐ短絡線
かなり厳しそうな線形ですね。

 仰せのとおり以前材木加工工場が有りました ただ可也以前から貨車が入線してる様子は殆ど有りませんでした 側線の有効長の関係(二軸単車二両位)で直接入れ替え機が入線出来る配線で無いので引き上げ線から貨車を一担押し込んで後は人力で工場の所定荷扱い場迄貨車移動荷降し後再び元の押し込み線の位置迄人力で押して行ていたと思います
 以前は何処でも人力入れ替えとか馬力入れ替え牛力入れ替え等当たり前にやってた(映像も残ってます)アントが導入されてからは見られ無くなりました 明電社の引き込み線にはアントが有りました

y yoshikawaさん、私も人力の入換は見た記憶があるのですが、さすがに馬や牛は記憶がアリマセンです。

昨年秋 CSTVのヒストリーチャンネルで鉄道の日記念番組で北海道で馬が引いてるドキュメンタリー映像が流れて居ました

yyshikawaさん、そういうのもあったんですね。

地元ネタ 今は大崎周辺は山手線最期の大規模再開発も可也進み色々な工場も無くなり高層ビル乱立しておる 然し少し時間を戻すと西口には明電社 東京鍛造 園池 東口には高砂製作所 東京製缶 少し離れて東洋現像 御殿山ソニー
南に三共製薬その他中小工場が有りました それらの工場向け貨物の扱いも多かった特に1960年代始めの頃は何処の駅も貨車が埋め尽くしていました大崎も当然貨車だらけ四六時入れ替え作業が行なはれていました 着発貨車は牽引機が入れ替え その後は入れ替え機が構内を行き帰して貨車を動かしていた 我が家古いアルバムにB6や86が入れ替えしている写真が残っている 蒸気が無くなるとDD13が入れ替え作業していた 大井工場は専用に入れ替え機が常駐していました C12が電車を入れ替えていた大井工場の一部のに架線の張られていない線路があった蒸気機関車の他に電車も入れ替え専用車が有りました昔木造モハ10其の後クモハ12が2両編成で入れ替えして居ました此の2両は改造クモハ12の中でユニークな変形車でした 其の後はクモニ13が2両で入れ替えをしていました1両はカナリヤ色もう1両はトヨだけカナリヤ色に塗っていました 最後は101系チョン切車が入れ替えに当たっています
 一時期大井工場では電車博物館を作ろうとしていましたナデやクモニ13クモハ12(052 053)クモヤ90800 等集めていました大井工場開放日の展示車両として使っていましたがナデ以外は外に留置していた為クモヤ90等は車体の痛みが酷くなり結局廃車解体されてしまい車体の一部だけ鉄道博物館に展示されてます 

yyoshikawaさん、私が若い頃の感覚ですと、大崎駅というのは鉄道好きにとっては特別の駅でしたが、一般の鉄道利用者の方から見ると山手線の中では地味な部類に属する存在だったような気がします。今では周辺の状況もさることながら埼京線や湘南新宿ライン、りんかい線など鉄道駅としても大変貌を遂げましたね。
また工場隣接駅ゆえに、他では見られないようなゲテモノ(失礼)的な車両が見られる楽しい駅でもありますね。

 鉄道ピクトリアル9月号山手貨物線特集です内容豊富でお買い得です

yyoshikawaさん、個人的にはもうちょっと列車や車両が写っていない(線路がよく見える)ほうがありがたかったかも(笑)。

 話は逸れますが山科でコメントしましたが 臨海線品川埠頭下の複線トンネル分岐は実際乗車して見ると異様さに感動すると思います 丁度駅間で突然複線同士分岐するのですから 地上ですと目黒川と蛇窪の分岐が有りますがトンネル内は日本中でここだけでは無いでしょうか

 東京縦貫線運行再開に伴い東京の北方と南方の車両が共通運用になりの行き来が盛んになりました 其れに伴い此れ迄は湘南新宿ラインは231系オンリーであったのが3月14日ダイヤ改正で233系も湘南新宿ラインに投入されました 此れで東京の東側縦貫線西側縦貫線両線が統一された車両運用になりました

yyoshikawaさん、231系? 233系? スミマセン、最近の新しい電車のことはよくわからなくなってしまいました・・・。

はじめまして。いつも楽しく拝見しています。

大崎駅で(というよりも山手線で)、ずっと気になっていたことがあり、書き込み失礼いたします。

1986年3月時の図表で、山電上り2k627mに設置されている場内信号機(読み取りにくいですが、88LDと88LYですかね)。これは消灯状態(使用停止ではない)で現存していますが、何のためにあるのか疑問に思っています。また、88LYが山電上りからどの線路への進入の可否を現示するものなのかも判然としません。

通常はATCで運転する山手線ですが、この信号機は特に意味あり気な感じがして、ずっと気になりつつ答えが出ていません。

tc8147さん、確かにそうですね。
①ATC化時に撤去された信号機と撤去されずに残った信号機は何が違うの?
②(88LYではなくて多分)S8LYの進路は何処?そもそも進路表示機らしきものが付いているのに「Y」だけって?
③この信号機で進入する列車はどんな列車?
御存知の方がいらしたら教えていただきたいですね。

ATC化後も残った、Sのついた信号機は工臨用信号機です。夜中にATCを積んでない機関車が走るとき使うらしいです。連動駅の場内と出発だけ残ってます。

#偉そうに書きましたが私も点灯しているの見たことないです

「2010年2月17日 (水) 鶴見駅配線図」のコメント欄で、DEHA1000さんが書かれている、EF65-1000が引く工臨列車などがその例ではないでしょうか。

名無し信通区さん、KASAさん、ありがとうございます。この信号機が活躍している姿を見るのはなかなか難しそうですね。

 品川歴史館発行の図録品川鉄道事始に鉄道省時代の大井工場空撮絵葉書が掲載されております 小さい画像ですが拡大鏡で視ると品鶴線及び大崎支線や目蒲電鉄大井町線高架が見える事から1934~37年頃図録にも年代記載されています 
 此の時代大井工場は煉瓦造りの建屋ばかりです 以前コメントした鉄道技術研究所の蒸気機関車用ダイナモメーター建屋(此れだけは鉄筋コンクリート製)も見えます 大崎支線が大井工場敷地から外れる辺りでした 工場正門と工場事務所の間には芝生を植えた庭園になっつてました
 此の絵葉書の少し前1925年頃の大井工場配線図には1067mm線路とは別に資材運搬用の605~762mmのトロッコ線路が各建屋間を結んでいます
当時の大井工場は新橋工場以来の車両整備とは別に御料車及び優等客車製造も行う製造所の機能も兼ね備えてました 当然重量物等運搬する為にトロッコを必要としていたのでしょう 今はターレットカーやフォクリフトトラック等使用出来ますが
当時は其の様な物が無い時代トロッコ使用がベストだったのでしょう 因みに煉瓦の建屋は1956年頃迄存在してました 其の後大井工場近代化でガラッと変りました

yyoshikawaさん、っ鉄道工場内の設備は普段お目にかかれませんので、いろいろと珍しいものがあったんでしょうね。

皆様、私の投げかけた山手線の地上信号機に関する疑問に対して、コメントをくださいましてありがとうございます。

工臨用という話は、納得のいくようないかないような微妙な気分です。すみません、コメントをくださった皆様を信用していないのではないのです。そう遠くない過去には、工臨のために活躍したんだろうなと思いを馳せました。

ただ、今となっては工臨のために残す必要性は薄いのではないか、と思ってしまうのです。

現在では、ロングレール輸送にしても、バラスト輸送にしても、線路閉鎖して保守用車で運んでしまうのが一般的です。保安方式を変更してまで、あえて工臨を走らせる必要性は薄そうです。

検測関係の試運転列車にしても、E491系はATCを積んでいますから、白昼堂々定期列車の合間に検測してしまうことが多いです。

ちなみに、山手線の他駅をみると、2014年中に池袋駅に設置されていた場内・出発とも使用停止になっています。それ以前の時点で、新宿駅の場内・出発とも使用停止になっていました。そのため現在では、大崎駅出発信号機S5Rの防護区間は、田端駅の場内信号機までということになると思われます(長い!!)。

自分が通勤等で使うのが山手線の西側ばかりで、東側の状況はあまり存じておりません。すみません。

 地上信号機のこと、ATC区間では信号トラブルがあれば運転不能になります。その時に使用する信号機ではないかと独断で見ています。
 次の駅までの開通確認をして進出すれば山手線なら10分間隔が可能と思われます。
 以上は全くの当て推量です。ごめんなさい。

 大崎支線蛇窪支線 此の二線同一路線です何故二ツの名称が存在するのか?JR東日本の方針として名称の変更したのか其れとも組織内の一部で名称を変更したのか
 と云うのも大崎支線内に有る可動橋踏切作業用門扉の名称表示の線名が大崎支線と蛇窪支線の二通り存在する事です 線内には可動橋二箇所踏切二箇所作業用門扉一箇所有ります
 大崎寄りから西広町ガード 西広町可動橋門扉権現台踏切 苗木原踏切 古戸越ガードの順番で存在しております
 此れ等の名称表示に記載されておるのは路線名施設名距離数が記載されております 嘗て国鉄時代は唯施設名称だけでしたが近年JR東日本では全ての可動橋踏切門扉に名称等記載したプラ製板を張り付けております
 其の名称表示に大崎支線と蛇窪支線の二通りの表示がなされておるのです 可動橋は蛇窪支線踏切と門扉は大崎支線と其々表示されております何故此の様な二表示になってしまったのか疑問です 西広町ガードは大井工場で保管していた木造御召客車を大宮鉄道博物館へ移送のおり最初に潜ったガードです ガードの直ぐ側に大井工場資材般出入の為の門が有る為です
  
 
 

蛇窪の5RHCは、15イ~15ロの渡り線とともに、90年代の半ば頃に撤去されたように記憶しています。
当時私は品川車掌区で乗務員をしており、ごくたまにここを使用する臨行路がありました。事業用車2両に方転するクハを挟んだ編成などでしたが、非貫通車の場合は、今では考えられませんが運転士と車掌が線路に降りて乗務位置を交換していました。

撤去後は、このような列車は新鶴見まで行って折り返すようになりました。

yyoshikawaさん、両端をとって「大崎蛇窪支線」がいいと思います(笑)。
刻苦七十年さん、別に時間さえ確保できるのであれば問題ないのでしょうが、本線上で折り返すのって何か違和感を感じてしまいますね。まして運転士さん・車掌さんが線路に降りるって・・・。

明電舎への引込線が道路を横切っていた記憶はありますが、かなり以前に撤去されたようです。当然、その先(明電舎構内)に続いていた線路は、国鉄(JR)構内と分断されて無意味な物と化したわけですが、2002年の埼京線ホーム設置時点でも、明電舎自体が退去するまで、線路の一部が明電舎構内に残っていました。
(現在の南自由通路が西側道路の手前で途切れており、その端に立つと明電舎構内を斜め上から眺めることができたので、構内に残る線路が見えたのです。)
もちろん、現在は跡形もありませんが・・・

さて、掲載配線図の最新版(1986年)以降、2002年の埼京線ホーム設置までは、大きな変化はなかったものの、小さな変化はありました。
1996年から始まった埼京線・新宿~恵比寿間延長運転に伴い、恵比寿で折り返しできない埼京線電車は、恵比寿~大崎間を回送し、ホームのない大崎で折り返していました。このとき折り返しに使われていたのは、基本的には大支中線でしたが、平日ラッシュ時は1線で捌ききれず、大支上本での折り返しも行われていました。つまり、大支上本から新宿方面への出発も可能だったのです。
(夕方ラッシュ時の新宿発小田原行きライナーは、通常は大支上本を通過していましたが、たまにダイヤが乱れて大支上本に埼京線が在線しているときにライナーが来ると、ライナーが大支中線に入線し、一旦停車後に発車してゆく、という珍しいこともありました。)
その後、2002年の埼京線ホーム(2面4線)設置後は、現在に至るまで新宿方面・横浜方面・りんかい線新木場方面の全3方向に対し、4線すべて到着・発車とも可能となり、臨機応変な運用ができるようになっています。

my2000さん、大支上本での折り返しの情報ありがとうございます。ライナーが大支中線に入線し、一旦停車後に発車してゆくというのもスゴイですね。

 最近区内の暗渠路を散歩がてら通ります デ暗渠関係のサイトを見る様になり興味深い記事を見付けました 鉄道線に囲まれた地域例えば私の地元品鶴線(横須賀線)と大崎支線に囲まれた苗木原と云う所や東北本線と京浜東北線に囲まれた中里等を鉄道島とそのサイトでは命名してました
 当を得た命名と思いました さて地元大崎の品鶴線と大崎支線に囲まれた此の地域昔から何と無く模型のレイアウト見たいな雰囲気が有るなと何時も思っています

 大崎では毎年10月の連休にしながわ夢さん橋と言うイベントが開催されております 大崎再開発の第一期のニューシティービルが完成した時から続居て居り地元の大なイベントです 今年はニューシティー内のO(オー)美術館でしながわ夢さん橋大崎今昔展を開催しており大崎駅の昔と言う写真パネル展示も有り面白い写真が有るかと思い見に行くと二枚見覚えの有る写真が展示して有りました1960年代に父親が撮影した写真で一枚は青大将の方向転換の為大崎に停車中の写真と品鶴線のEF13二輌に8620一輌繫いだ三重連回送列車の写真の二枚でした 以前にやはり同じ様な企画展の折写真を提出其の折データーとして保存しますとの事で了解していましたのでおそらく展示したのでしょう 品川夢さん橋2015は10月10日~12日の三日間だけですのでご近所の御方は見に来て下さい

yyoshikawaさん、「鉄道島」ですか、確かにその通りですね(笑)。
美術館のイベントに写真が展示されるとは、yyoshikawaさんのお父様は相当貴重な写真を御撮りになってこられたんですね。いつかは公開をお願いしますね。

近くに住んでいながら、週末休めないので行くことは適いませんでした。ざんねん。

 大崎が新たなる飛躍を迎えそうです と云うのも西口ソニービル前にバスターミナルを建設しておりました 
 山手線の駅で路線バスが一系統しかない駅は大崎だけではないでしょうか 然も都バスが来ない駅である都内の駅なのに 原因の一つはバスの通れる大通りが東口の山手通りしかない事 駅前広場が無い 西口は工場ばかりで道が狭かった 近年西口再開発で漸く道幅が広くなり駅前広場の整備 タクシー乗り場の設地 続いてバスターミナルの建設され今月完了 12月7日より長距離路線バスが発着する事になりました 他に東口の山手通りを通る渋谷大井町間の東急バスの一部が折り返す事になります 山手線一のど田舎駅大崎が世間並の駅になった事です
 尚以前西口を通る路線バスが有りました 品川水族館送迎バスでした 当初はボンネットバスを新造投入して区内を循環してましたが利用客が少なく廃止され現在は大井町水族間のみ運行しております ボンネットバスは東急バスと京急バスに一輌ずつ配置しておりました 余談ですが・・・ 
 西口

 余談の続き12月7日大崎駅西口バスターミナルがいよいよ開設されましたくす玉割等のセレモニーやバスの展示屋台等出店も有り品川区では今迄長距離路線バスターミナルは有りませんでしたので区も初めての為広報で開業を祝してました 丁度一周間前同じ大崎駅でJR東日本がまんをじして送り出した次世代通勤電車235系の運行開始セレモニーでやはりくす玉割テープカット等やり運行開始したが故障続きで当初の予定運用を打ち切り原因が判明する迄当面運行出来ぬとの事
 何やらこんにちの鉄道とバスの状況を明と暗で表して居るみたいです さて長距離バスは夜行便の為未だ見てません

yyoshikawaさん、
>山手線一のど田舎駅大崎
いやいや、ご謙遜ですよね・・・。

こんにちは。
今日も大変興味深い記事、楽しく拝見させて頂きました。
横須賀線はたまに使う路線ではあるのですが、線路をきちんと観察したこともなく、数年前に初めて意識して線路を見てみました。
品鶴線区間は、総和初期に客貨分離された貨物線と聞き、今は完全に旅客線ですが、往時には長閑な雰囲気だったのだろうと想像していました。
目黒川や蛇窪の信号場を見ていると貨物線時代のあらゆる方向に列車を振り分けられる、大きな鉄道の構造を感じ取りました。また高度成長期に東海道新幹線を品鶴線の用地に作るなど、当時にもまだまだ余裕のあったエリアを通っていたのだろうと想像していました。
今では成田エクスプレス、湘南新宿ラインも加わり、貨物列車は数が少なくなってしまったと思いますが、夜中に見ていれば少しは往時を想像させるような貨物の風景が見られるのかもしれません。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/

風旅記さん、昔は貨物がメインの駅という印象でしたが、今では様変わりしてしまいましたね。

1967年配線図には品鶴線大崎支線の踏切の名称が記載されています 此の内高倉踏切に付いて述べます 元々此の踏切は無人の第四種でした当然警報器も無い踏切でした 此の踏切は東海道品川宿から碑文谷へ向かう碑文谷道の踏切でした
其の後警報器と遮断機が設置されましたが通常遮断機が下がった状態で人や車が横断の折遮断機を手動で上げて通過する列車が近ずくと自動的に遮断機が下がるのでした 元々余り通行量の少ない踏切でしたので此の様な半自動遮断機を設置したのでしょう
其の後人専用地下道化され高倉踏切は廃止されました 大崎の近所には廃止された踏切は他に四か所位存在してました中には築堤に有た階段で上り渡ると又階段を下りなければならない踏切も有りました

高倉踏切は新幹線工事の頃地下道化されたと思います現在再開発工事中で地下道は通行不能状態です
碑文谷道は下り東海道本線が目黒川橋梁を渡り次に渡る短い架道橋に今でも名前が付けられております

yyoshikawaさん、このようなところに昔は第四種踏切があったのですね。前後に階段があるというのも何とも不思議な踏切です。

毎年の事ですが大崎駅は8月の第二の金土日の3日間は何故か早朝にも関わらずりんかい線への大量の乗り換え客が殺到します 東京ビックサイトでコミックマーケットが開催される為早い時間に向かうのです
りんかい線が大崎に連絡される様になり便利になったためです
今年大崎駅は開業115周年を迎えます 親子限定大崎駅探検イベントを開催とのポスターが駅に掲示されました 親子限定が味噌です
大崎短絡線問題は品川開発後に先送りされた様です相鉄線のJR東急直通連絡線工事も予定より伸びる様です出来あがると益々大崎便利になりますね

yyoshikawaさん、昔は地味な印象の駅でしたが(失礼)、大崎駅はますます発展しますね。

山手線大崎駅に付いて少々
大崎は山手線出入庫列車用に4面2本のホームが電車区開設時に設けられました
大崎は山手線では一番南端の駅内廻り列車は南下して来ますが大崎で280°位の曲率で方向を変え品川へ向かいます
其の為駅品川寄りはホームを出ると直ぐに左カーブしますホーム先端からカーブ迄の間にダブルクロス一組入れるのがやっとの状態です
其の為内廻りホームと外回りホームは少しずれて造りダブルクロスポイントの用地を捻出しておりますさて此のダブルクロスですが1番線は本線ですので当然直線です2番線は入出庫列車用ですので進出時分岐側です唯此のダブルクロス通常のダブルクロスですと4ッの分岐は全て同じ角度であるのが普通ですが大崎のダブルクロス2番線進出ポイントはY若しくは振り分けポイントの様です原因は駅を出て直ぐカーブが始まるのと電車区入出庫線が少し右へシフトされてる為と思います
おそらく駅実配線図では分岐方向及び敷設状況等きちんと記載されて居るのでしょう

大崎短絡線は現在品川駅改良及び再開発及び渋谷駅改良工事に伴い凍結されていおります 用地は既に確保され現在はJR資材置き場になっております
昨日町会の会合でJRが当面資材置き場に渋谷駅改良工事用資材置き場にして夜間に工事資材の出し入れすると申し入れて来たと報告がった
大崎短絡線は湘南新宿ラインと横須賀線増発相鉄乗り入れ等による増発に伴う元蛇窪信号所平面交差を解消する為に建設予定で進められていたのですが他所の工事優先に伴い現在中断ちゅうです
大崎支線沿いの区役所通り拡幅工事も区の方で開始段階になり大井町線架道橋拡幅大崎支線架道橋拡幅品鶴線架道橋拡幅等日々ダイナミックな話題が付きません区役所通りは都道26号線と環状6号線(山手通)を結ぶものでです余談ですが

yyoshikawaさん、大崎~品川間は山手線が環状線であることを実感できる区間かもしれませんね。
自治会ルートからも情報を得ていらっしゃるとは、再度恐れ入ります。

9月3日投稿のダブルクロスの事ですが普通のダブルクロスは互いに平行して居る線路同士を結ぶので当然何方の線も平行 クロス側は分岐するパターンが主です稀にクロス側が直線で本来平行である筈の本線側が分岐と云うパターンも有ります田町駅の山手線京浜東北線間のダブルクロスは折り返し中線が有る関係で確か山手線ホーム寄りは分岐側が本線と云うパターンです東京メトロ半蔵門線及び東急田園都市線渋谷駅田園都市線側ダブルクロスは島式ホーム及び田園都市線側単線シールドトンネルの為クロス側が直線本線側が何方も分岐側と云うパターンです
さて大崎の山手線内廻りのダブルクロスは入出庫線側が曲線からの接線でなく多少其れより外向きな為と外廻り線との平面交差にシングルスリップが有る関係から標準的なダブルクロスから多少変形したダブルクロスとなったのではと思います
外廻りは用地の関係でダブルクロスを敷設出来ずやもうえずシングルスリップを挿入して賄う荒良治で現在の状況になった 
ダブルクロスの内廻りから車庫への入出庫は滅多に使われる事は無く錆びて居りますが車両交換等の折使用されます 外回りのシングルスリップも同様の使いかたとして敷設されております

yyoshikawaさん、限られたスペースの中で車両基地への入出区ルート確保のために配線設計にはかなり苦労されたんでしょうね。

昨日町会の年末特別警戒の巡回後の飲み会で近所の方が映画シンゴジラを見て居たら大崎付近の品鶴線土手をゴジラが崩していたと言ってました
私はシンゴジラ「を見て無いもので確信は無いのですが長年地元に住んでると映画のワンシーンでも直に解るものなのですね
因みにゴジラの最初の作品では品川の八ッ山橋で東海道本線の客車列車を破壊してました
ゴジラの脚本を書いたのは大の鉄道ファンであった作詞家で脚本家の関沢新一氏でした

yyoshikawaさん、大崎・品川界隈はずいぶんとゴジラにヒドイ目にあわされてきたんですね(笑)。

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