« 東海道線東京周辺の貨物ルートの変遷 | トップページ | 品川配線図 »

2009年12月26日 (土)

汐留配線図

東海道線の旅客の始発が東京駅なら貨物の始発は汐留駅、ということでまず手始めに汐留駅からです。

 

(1957年以前の配線図はこちら。)

 

汐留については1967年3月時点での配線図をつい先日すでに記事にしていますが、今回はそれ以外の時期のものをご紹介します。

 

まずは1961年3月。

 

1961031

 

1961032
1967年3月時点を基準として、これと比較すると、
1)芝浦駅へのルートが違う。
1961年当時は芝浦駅に向かう列車は汐留駅を東京駅方向に向けて出発していたものが、1967年には品川駅方向に向けて出発する形になっています。この間に線路の付け替えが行なわれたのでしょうね。
2)汐留駅~芝浦駅間には場内・出発信号機が設けられている。
1967年時点では入換信号機による構内運転になっていますが、1961年時点では汐留駅~芝浦駅間は一人前の「列車」としての運転だったようです。
一方の東京市場駅の方はどうかと言えば、1967年時点では入換信号機が設けられていますが、1961年時点では信号機などは何も記載されていません。

 

続いて1977年10月。

 

1977101

 

1977102

 

197710
1967年時点と比べて大きく変わったのは、1973年に開通した浜松町から東京貨物ターミナルへ向かう貨物線でしょうか。単線の汐留線から複線の線路が分岐するという、ちょっと変わった形態の分岐です。

 

続いて1986年3月。

 

198603

 

198603_2
東京市場駅は1984年2月1日に廃止になっており、配線図からは「東京市場」という駅名も消されてしまっていますが、実態上は汐留駅の構内側線として残っていたようです。
一方の芝浦駅は1985年3月1日の廃止で、こちらのほうは東京市場駅とは対照的にきれいに消えてしまっており、「芝浦着発」という線路名だけが残されています。
汐留駅本体もこの8か月後には廃止となりました。

 

汐留駅廃止以後に浜松町駅からのカートレインが設定されていた時期がありますが、この時どのような配線になっていたかはわかりません。

 

配線図はT.Mさんよりご提供いただきました。
年表はJTB発行の停車場変遷大事典に基づきます。

 

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 東海道線東京周辺の貨物ルートの変遷 | トップページ | 品川配線図 »

コメント

芝浦の臨港線はそんなに規模は大きく無い手頃な線でした 竹芝桟橋には途中に本線から突然側線が分岐して冷蔵車が入線していた冷蔵倉庫や貨車二両位しか入れない側線等倉庫の間に引かれ居ました 竹芝から隣の日の出桟橋との間の 古川の橋梁は片上がりの開閉橋が架かって居ました 竹芝の倉庫は鉄筋コンクリート作り出下が隣の日の出桟橋には都交通局の臨港線が有りました 竹芝がコンクリートの倉庫でしたが日の出桟橋は木造モルタル作りの平屋建て数等建つてました 然も倉庫には使われていない600mmゲージのトロッコ用線路が引かれておりターンテーブルの跡も有りました 図1961年には芝浦川の橋梁は国鉄だけでした(此の当時の様子は月光仮面のドラマの中で撮影された映像が有りました)が図1977年には上流の国鉄橋梁と下流の都交通局橋梁の二つ架かっておりますが上流の国鉄橋梁は過つて船がぶつかり使用不能になり廃止されました其の為芝浦貨物駅へ行く列車は廃線になるまで下流側の都交通局線を迂回して運行されてました終点の芝浦駅にも交通局の臨港線と貨物駅の二つが有りました 芝浦貨物駅は手頃な駅でした
 近年竹芝桟橋は再開発され昔の様子は解らない途中の日の出桟橋は平屋倉庫が未だ残っている芝浦駅は跡形も無くなった ただ新橋から伸びてきているゆりかもめ線は元芝浦線の跡を通っている様です

y yoshikawaさん、芝浦川の2つの橋梁の件、また、このあたりの風景描写など、現地に行った人でないとわからない貴重な情報ありがとうございます。、

 品川歴史館で発行しておる機関誌品川歴史館紀要第28号入手しました先年歴史館企画展品川鐵道事始にちなんでと云う特集記事がメインでした 新橋停車場発掘調査の折の調査員のレポート記事に発掘で出土した遺構の内どれが何時の遺構かの調査で駅構内配置図と照らし合わさねばならぬ 当時交通博物館保管されておる古い新橋駅構内図等で遺跡の建物跡を特定して行つた様子を記載して居りました 当時の配線図も初期の頃の年代不詳の配線図とお馴染みの1881年1897年1911年の各図が掲載されておりました 他に二代目横浜駅発掘調査の記事と汽車土瓶の発掘調査等の論文が掲載されており可也のボリュームでした 此の手の書物は得てして神社仏閣等の話しが多く尚且つ学者が書くので堅苦しいのが多いが此の号は比較的読みやすい記事でした

私も退職後はyyoshikawaさんのようになりたい・・・。

管理人様はじめまして、ブログ「アナログからデジタルへ」のすんやと申します。

今回私のブログで昭和61年の汐留貨物駅のページを公開するにあたって、貴ブログの「汐留配線図」を参考にさせていただきましたので、ご挨拶代わりにコメントさせていただきました。
貴重な情報をありがとうございました。

5月20日に散歩がてら品川港南口から田町迄歩きました 新幹線旧東京運転所跡や品川機関区跡等高層ビル等に変り大体の位置のみ把枠出来ました 例の高輪橋地下道を潜り山側へ向かい札の辻橋を渡り又海側へ 大汐線跡の状況を見ました
意外にコンクリート枕木と最新のクリップタイプのレール締結化されてました架線は外されてますが何時でも列車が通れる状態ですが田町の辺りは線路が砂にうもれていました 廃線になって30年近くたちますが未だきちんとして居るのは羽田と都心を結ぶ新線として利用のためでしょうか状態は他の廃線跡よりは保存状態は良さそうです

すんやさん、コメントありがとうございます。
ブログ拝見しました。大変貴重な写真ですね。続編を楽しみにしています。

yyoshikawaさん、大汐線開業から汐留駅廃止までわずかに13年ですから、もったいないですよね。

そおいえば大汐線高架も現在残念高架の一つでしょう唯併設されている新幹線東京運転所へ回送線が有るので少しだけ残念差は緩和されますね 羽田連絡線計画が実現されれば再度復活の可能性が有ります唯旧汐留線分部は単線ですので其の辺り如何するのか此の区間地下化するとしても工事に時間が掛る都心部に新たなターミナルをもうけるのか横総線に繫げるのか あるいいは高架で新幹線を越えて東海道本線上を通して東京駅へ行くか・・・いずれにしても未だ先の事ですね


 

yyoshikawaさん、いろいろと妄想(?)が膨らんできますね。

平成が間もなく終わる前日浜離宮へ行きました其れはさて置き 汐留駅跡は高層ビルが乱立して貨物駅であった頃の面影は微塵も有りません旧新橋ステーション復元駅舎では6月迄貨物関係の企画展を模様してますので近々見に行く予定でいます 築地市場の解体工事が随分進んでるのを浜離宮から見物しました 帰路道端に踏切警報器が一つ残ってました築地市場引き込み線の警報機です線路跡は道路として残ってます

yyoshikawさん、こんばんは。

貨物関係の企画展の情報をありがとうございます。

先月の28日に汐留に行ったのですが、企画展のことは知らず寄りませんでした。

http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/

機会をみつけて行ってみたいと思います。

旧新橋ステーションでの貨物関係の企画展見に行ました 何処かで見たような展示パネル等後で受け付けで聞くと先達て鉄博で開催していたかもつのひみつ展を規模縮小して展示したとの事でした
唯旧新橋ステーションは入館料は無料ですのでご近所の方は見にいってください

yyoshikawaさん、KASAさん
情報ありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 汐留配線図:

» 第90回 汐留貨物駅 その7 昭和61年 [アナログからデジタルへ]
汐留貨物駅シリーズの第七回です。 今回もブログ「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」の「汐留配線図」を参考にさせていただきました。 こちらに掲載されている1986年3月の配線図をあわせてご覧になると分かりやすいと思います。 国鉄 汐留駅 下1番~10番線 ◆ 撮影日:1986/12 PENTAX LX smc PENTAX 24mm F2.8/Nikon COOLS...... [続きを読む]

« 東海道線東京周辺の貨物ルートの変遷 | トップページ | 品川配線図 »

過去の記事

2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ