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2009年12月20日 (日)

長野 1978/8/15 その2

前回の記事でご紹介しきれなかった長野駅の写真を改めて掲示します。

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工事中の6・7番線ホームです。

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その向こうには廃墟が・・・。
長野工場栗田派出所らしいのですが、現役には見えません。

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高崎方からです。

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高崎方からです。

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本屋です。

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荘厳な本屋に比べて、裏手の東口はこじんまりしています。

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長野工場栗田派出所の裏手です。

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新幹線工事で取り壊されてしまったと思うのですが、結構感動的な建造物でした。

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コメント

この頃は、既に栗田工場から吉田工場へ機能移転してしまっていたんでしょうね、裏手はこうなっていたんですか。長鉄局は民営化後、しばらくJR長野支社として使用されていましたが、96年頃解体、東口に移転。今はJR系のホテルになっています。そういえば扇形庫のあった場所もホテルになっていますね。長野運転所を廃墟にしてしまった?條ノ井機関区もその名称が消え、時代の流れに栄枯盛衰を感じます。門前町長野の象徴だった長野駅に郷愁を感じる方は多いのではないでしょうか、変わっていないのは如是姫像だけのようです。感慨無量の写真いつもありがとうございます。

この当時の東口はいかにも「裏側」という感じでしたが、大きく様変わりしているのでしょうね(2002年に行っているのですが、東口側の記憶がありません・・・)。SLの廃車体が放置されていたあたりに新幹線ホームができるなんて、全く想像できないことでした。

長野工場、昔は長野工機部っていいましたっけ?
煉瓦造りの建屋はとても風格があり、歴史を感じさせてくれました。長野空襲(確か昭和20年8月14日)の時の弾痕があったとも聞いています。

煉瓦造りの建物には一種独特の重厚な雰囲気がありますよね。保存の話とかは持ち上がらなかったのでしょうか。

昨年末、神保町をウロウロしていたらおもしろい本を見つけました。「国鉄長工物語」千曲洋著、銀河書房、昭和60年発行。特雪Aさんのお話の<長野空襲の弾痕>写真が掲載されていました。意外なことに明治18年の直江津機械場が前身で、明治23年直江津線開通で長野に移設、現在に至るのですが、昭和11年新潟鉄道管理局開設時にはその管下になり長野工機部になった時期もあり、その激動の歴史とそこに働いた方々の証言が熱く甦りお勧めしたいのですが、なかなか入手できないかも。なお前記にて篠ノ井の字が間違っていました。大変申し訳ございません。誤字誤表記ありましたらご了承下さい。SY先生のコメントも復活!今年も盛り上げましょう!!

沼津区さん、情報ありがとうございます。
検索してみたのですが、残念ながら見つかりませんでした。その代わりいろいろ面白そうなものも。本当に便利な世の中です。

はじめまして、エスと申します。画像検索でたどり着きました。大変懐かしい写真を見せていただきありがとうございます。小学生の頃、当時の国鉄のご厚意により栗田工場内の空きスペースで校外写生の授業がありました。鉄道好きの私は飯山線に唯一残された飯山行き貨物列車、特急、急行等に目を奪われ、全く写生に集中出来なかった思い出が・・・。(笑)

信鉄人エスさん、はじめまして。
貴重な経験ですね。同じ状況だったら私も全く集中出来なかったであろうと思います(笑)。

この時代は信越線もまだまだ輸送力増強工事が盛んで、記事にあるホーム増設や屋代付近に最後まで残っていた単線区間の複線化も完成が近づいていましたね。
長野工場や機関区の煉瓦造りの建物は、保存運動も起きましたが、煉瓦ゆえに移築も困難で、新幹線や東口のホテル・商業施設の下に消えてしまいました。
子供心にも印象的な建築でしたが、幼児の目には「なんだか怖い建物」でした(笑)。

刻苦七十年さん、ガラスの割れた煉瓦造りの建物、感動的ではありますが反面コワイ存在でもありますね。

長野駅東口の写真、とても懐かしいです。
小学生が使用する社会科の資料集に掲載させていただくことは可能ですか?

Qooさん
お役に立つのであればご利用いただいてOKです。

ありがとうございます!とても助かります。
よろしければ、メールをいただけますか?
どのような資料集なのか、詳しくお話しさせていただきたいと思いますので…。よろしくお願いします。

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