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2009年12月 8日 (火)

長野 1971~1975

小諸駅と同じく、過去の記事より以前の長野駅での記録です。

まずは1971年の夏です。
この年、ファミリーD51号なるSL列車が長野~黒姫間で運転されており、父に頼んで連れて行ってもらいました(乗車はしていません。見に行っただけです)。長野駅は初体験でした。
ファミリーD51号はD512の牽引で、その勇姿が何枚かの写真となってアルバムには貼られているのですが、探せどネガが見つかりませんでした。従って、肝心のD512の写真をお見せできず、申し訳ありません。
代わりにそれ以外の写真を・・・。

Img120
篠ノ井線からのローカル列車です。
まだ篠ノ井線は非電化でしたので、DD51が牽引していました。
跨線橋といい右奥に見える建物といい、「むかし」ですね。

Img123
構内で見かけたDD15です。
長野には何度か行っていますが、もっぱら入換はDE10で、DD15にはめったにお目にかかれなかったように記憶しています。ほとんど「冬専用」だったのかもしれません。

Img122
華やかにSL列車が運転されている一方で、駅裏の方はこんな状況でした。
一番右はC12でしょうか。それ以外はほとんどD51ではないかと思います。
左から2列目の一番手前の手書きのナンバーがかろうじて読めます。「D51571」のようです。調べると、稲沢第一で1971年6月21日に廃車となった機関車です。
同時期に稲沢第一ではD51571以外に468、528、648、815が廃車になっており、これらもこの中にいるのでしょうか。
C12に関してはC1282が1971年4月17日に木曽福島で、C12163が1971年3月15日に稲沢第一で廃車になっていますので、このいずれかなのかもしれません。
なおファミリーD51号のD512も所属は稲沢第一で、言ってみればD51571とは同じ仲間でした。D51571がひっそりとスクラップと化したのに比べ、D512はイベント列車牽引で活躍し、1971年12月13日に廃車となった後に大阪で静態保存されるなど、ずいぶん明暗が分かれてしまいました。

Img121
廃車群を別の角度から。
左は末尾が「68」のようですので、先のD51468かもしれません。
中央の機関車はナンバーが読めそうで読めませんが戦時設計機ですね。この時期の廃車では近隣の機関区には該当するものが見当たりませんでしたので、かなり遠くから連れてこられたものかもしれません。

続いて1972年夏。
ファミリーD51号はこの年も運転されました。この年の機関車はD51207です。

Image002
今度は写真があります。
(たいした写真ではありませんが)

Image004

Image008
区名札は「長」になっています。
1972年5月21日に米子から転入、1972年11月21日に廃車となりましたので、長野在籍はちょうど半年でした。

続いて1973年4月。
直前の1973年3月に篠ノ井線が電化されました。

Img126
新宿行きの424列車です。
EF62ばっかりの長野でEF64が見れるようになりました。

Img125
信越線のローカル列車は1971年頃に70系と80系でほとんど電車化されていますが、70系の場合、なぜか直江津寄りの先頭車はクハ68でした。

続いて1974年7月。

Img148
1972年6月5日新製のDD167です。当初は長野運転所配置でしたが、篠ノ井機関区開設に伴い移動しました。

Img147
偶然出会ったC622です。
最初は「何で長野にC622が?」と思ったものですが、多分長野工場に用があったんでしょうね。

最後に1975年夏。

19750815a1
お役御免の591系です。
3年後には彼らは岡谷にいました。

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コメント

f54560zg さん、こんばんわ。

長野駅の懐かしい写真をありがとうございます。

篠ノ井駅のコメント欄で皆さんが盛り上がっていた時は出遅れて書けませんでしたが、実は、私の母の実家が篠ノ井にあり、小学生の頃は、毎年夏には、長野へ行ってました。

赤羽~篠ノ井間がぎりぎり200km未満でしたので、いつも急行「信州」か「妙高」でしたね。

SL列車も、72年かもしれませんが、おじと一緒に乗った記憶があります。

ただ、当時の写真をほとんど残していないのが残念です。それだけに、たいへん懐かしい気持ちで拝見させていただきました。

専用線好きさん、こんばんは。
私も春・夏に信州に帰省するのが習慣でしたが、もっぱら客車鈍行でした。
少しでも長く列車に乗っていられるのでそうしていたのですが、両親にしてみれば安上がりで助かったのではないかと思います(笑)。

長野市に4年間住んでいました。何年か前に、鉄道友の会長野支部の会報に思い出の一枚として、長野運転所の転車台に乗ったC622の写真を見て驚いたことがありましたが、当時SLの全検を担当していたのが長野工場だったと知り、納得しました。小諸、草津と本命ではないのにラッキーな遭遇が続きますね!今回の写真で思い出すのは、最後の振り子式ではなく、この留置線にいたキ100を撮った事と、隣りに写っている長野鉄道管理局です。一度だけ管理局を訪れました、重厚な石造りの階段が印象深かったです。前回の『長野』で書こうと思ったのですが、善光寺を模した仏閣型駅舎の2階、時計台の部分に入れていただいたことがあります。何があるのか興味津々でしたが、職員のロッカールームとして使用されていて、夏は非常に暑いとのことでした。線路から外れてすみませんでした。

どこかで現長野工場に廃車扱い用の数本の仕訳線をみた記憶があります。何台もの車両が時刻を無言で待っているようでした。無論工場の図面はなかなか手に入れられないもので、ここだと指摘できる確たる自信はありません。ただそれを呼びさますような、歴史ある長野工場に集約されたSL群の姿は、寂しさと悲しみをより深く誘います。“沼津区”さんの仰せの通り全検担当でした。美容整形とは申しませんが、思うに工場はより延命措置を施して頂ける病院であって欲しいとより強く思い直された次第です、部品を何とか調達し交換できれば・・・。

沼津区さん、そうなんです、考えると結構ラッキーな遭遇をしているような気がします。ただ、いかんせんん、おっしゃるとおり「本命」ではないんです・・・。
あの建物は長野鉄道管理局だったんですか、知りませんでした。今はもうないのでしょうか。
2001年の時の写真を見ると、パラボラアンテナの鉄骨部分が残っているように見えるのですが・・・。
SYさん、鉄道工場ではまさに病院ですね。誕生あり、手術あり、そして・・・。大宮工場も車窓から悲しい光景を見ることができたような記憶があります。

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