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2009年11月28日 (土)

東京配線図 1967/3

私自身もすっかり忘れていたのですが、昔古本屋さんで東海道線の線路図なる本のようなものを買いました。1967年3月現在とちょっと古いのですが、東海道線の東京~熱海間を中心に各駅の配線が描かれています。
久々に見て、改めて感動してしまいましたので、その中から一部をご紹介します。

(1967年以外の配線図はこちら。)

まずは東京駅。

Image002

Image004

新幹線が開業してまだ2年半しか経っていない頃です。

・新幹線は16~19番線の4線で、在来線は15番線まであります。
・当然、ホームのない11番線もあります。
・東京~上野間は本線でつながっています。この本線は1枚目の図の左端、161イの転てつ器までは単線で、そこから上野寄りは複線です。
・図には描かれていませんが、この161イの転てつ器は秋葉原駅のホームの脇にあります。ですから実態上は「東京~秋葉原間は単線、秋葉原~上野間は複線」なのですが、161イの転てつ器付近の場内信号機1Lは東京駅の第1場内信号機のようですので、書類上は「東京~上野間は複線」ということになるんでしょうね。
・東京~秋葉原間は、単線といっても車両をいったん引き上げる留置線が直列に4~5つくらい並んでいますので、一見複線のようです。
・中央線の場内信号機には誘導信号機が設けられています。ホームの先に荷物電車が止まっている時に電車を進入させる場合に使用したんでしょうか。
・山手線及び京浜東北線ホームの有楽町寄りには荷物電車用の線路があります。図ではわかりづらいのですが、21から22ロまでの間及び24ロから25までの短い間が荷物電車の発着線・積卸線で、ここに茶色いクモニ13が止まっているのをよく見かけた記憶があります。
・その上の西1番線・西2番線あたりは東海道線用の荷物電車の溜まり場で、湘南色のクモユニ74やクモニ83が止まっていました。
・東海道線の上り場内信号機は第1場内と第2場内に分かれており、第1場内で7~13番線/14~15番線を振り分け、第2場内で7~13番線を振り分けているような信号機の配置になっていますが、線路の配線がこれとは一致していなく、14番線に入る場合にも第2場内を通過するようになっています。ちょっと変です。
・東海道線の上りは7~15番線のいずれにも到着できますが、下りは7番線からは出発できません。つまり7番線は東海道線に関しては到着専用です。
・同様に、東北線の上りは11番線以外に到着できます。下りは11番線・15番線からは出発できません。

この当時は電車用6線、列車用9線、新幹線用4線、合計19線だったわけですが、新幹線が在来線を侵略し、横須賀線は地下に、中央線は3階に逃げるなどして、現在では電車用6線、列車用4線、新幹線用10線、合計20線になっています(地上部分のみ)。

東京駅がちょっとだけ写っている過去の記事はこちら

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コメント

中央線南方の入換え線は、進入する電車ごとにポイントが動いていたとか、安全側線の役割を負っていたことになり、中央線の2分ダイヤを陰で支えていたと聞きました。荷電ホーム、11番線や神田方の引上げ待機線等、本当に懐かしゅう御座います。ところでgoo地図で戦後間もない頃の東京駅の姿を御覧になったでしょうか。八重洲口の簡素な光景や、見難いのですが、まだ転車台も残遺しており・・・新幹線建設が全く以てエポックメイキングだと痛感させられます。

>・東海道線の上り場内信号機は第1場内と第2場内に分かれており、第1場内で7~13番線/14~15番線を振り分け、第2場内で7~13番線を振り分けているような信号機の配置になっていますが、線路の配線がこれとは一致していなく、14番線に入る場合にも第2場内を通過するようになっています。ちょっと変です。

14番線に入る場合は、
111イロ渡り→128イ→114→115イロ渡り
のルートだったのではないでしょうか。このルートなら14番線に入る時には第二場内72Rを通過しませんから不自然では無くなります。ただ確かなことは連動表を見ないと何とも言えないのですが。

SYさん、昔は荷物のための設備が結構多かったんだなあと感じさせられました。新幹線ホームの用地は昔は何だったんでしょうか。留置線とかあったのでしょうか。goo地図見てみます。

14番線への進入ルートはおっしゃるとおりだと思います。14番線に入るとき、72Rのすぐ脇を通るので勘違いしてしまいました。ゴメンナサイ。

うわー。
遂に東京駅。
皆さんのように語彙が豊富でないので、いつも感嘆詞先行ですみません。
先日の「点と線」、ここで少し小出しに。
皆さんよくご存知とは思いますが、あの場面。
書かずにいられません。
本図の未だ新幹線のホームがない頃です。
12・13番ホームから、14番ホームと並びの(島式なので同一の)15番ホームから発車する「あさかぜ」に乗り込む2人連れを目撃させるあの場面です。(心中に見せかける伏線)
たった4分間の偶然を装う作為です。
と、本日はここまでです。

本当は、もっと正確に記したいので、「点と線」を探しているのですが、どこの本屋さんに行ってもないのでこれ以上書けないのが真相です。

東京駅。
語るのは、畏れ多いです。
ただ、昔は呉線の駅にある行き先・時刻表示板に誇らしげに「東京」行きの表示があったのは確かです。

以上、何時も突然の侵入でご迷惑をおかけします。
そぐわない場合は、別のところに移動させるか、削除お願いいたします。(東京駅ですので)


私の記憶の中での東京駅の原点は在来線が1~15番線、新幹線が16~19番線だった、ちょうどこの頃なんですが、「点と線」の頃はまだ新幹線もなかったんですね。この頃は東京に住んでおり、「あまぎ」やブルトレを撮影するためホームをうろちょろしていました。

東京駅。
初めて来たのは、昭和48年の11月。
修学旅行で早朝に到着。「わこうど」号でした。
2回目は昭和50年2月。
新幹線で来て、中野まで中央線。
3回、4回目は昭和53年の晩秋。
やはり新幹線で来て、今度は、国立まで中央線。東京駅の大きさに驚くばかりでした。
当時の中央線の先は、入替線になっていて、東海道線とは繋がっていなかったんですね。
繋がっているとばかり思っていました。
現在の、中央線の先はどうなっているんでしょうか?
見る機会は何度もあったのですが、本図を見るまであまり関心がなかったので見たことはありませんでした。急に知りたくなりました。
それにしても、中央線を真上に上げ、山手線、京浜東北線、東海道線をずらしていく大工事をよくやったものだと感心するばかりです。


東京駅とはとんとご無沙汰です。いや、正確には乗り換えのためにホームに降り立つことはたまにあるのですが、東京駅自体を眺めた最後はいつだったか・・・。
中央線は暴走して車止めを突き破ると大変なことになりますので、きっと頑丈な車止めがあるのでしょう(笑)。
横須賀線を地下にする工事にも感心してしまいますね。

昨日、出張で神田まで来ました。
やっとで駅前の本屋さんで「点と線」入手出来ました。
それにしても、中央線の電車、随分スマートになりましたね。
また、品川駅の寝台特急の留置線、とうとう剥がされているように見えました。

品川客車区、東京機関区といえば名門中の名門車両基地だったのに・・・。この先いったいどうなるのでしょうか。

東海道新幹線の
現在の「14・15番線」が、
完全行き止まり式ホーム=16~19番線と
                違う方向 なのは、
その当時は「国鉄」であり、
東北・上越新幹線と「つなげる」構想 が
    まだ あった時期 だから。

その後に、
東京駅の「大改良工事」にて、
「当時の1・2番線→現在の3・4番線ホームの上に、
現在の中央線=1・2番線ホームができ、
順次、移設する工事 が進み、
東海道線のホーム工事 も進み、
新幹線ホーム=1面線→2面4線化の工事 も、
            無事に終わり」にて、
「番線変更→20~23番線」となり、
過日=「現在のホームの場所」に なっています。


昔の「東京駅」の本、
過日、古本屋さんで購入し、今も大切に、あり。

確か、東京駅「中央線」ホーム は、

神田駅 側→「上がり勾配→
→東京駅進入=シーサスポイント →
→「東京駅のホーム」→ 端に 車止」 ですよね。

ラッシュ時 には、
新横浜新幹線ホーム のような
=「交互発着」ですよね。

「Youtube」には、
「中央線快速
神田→東京 前面展望」が、あり。

 縦貫線再開と東京駅が普通の中間駅になり東京折り返しは特急踊り子やサンライズ瀬戸出雲湘南ライナー以外普通列車は早朝夜間のみとなり
 折り返し駅名物の車内清掃とホーム反対側の扉開けが見られ無くなりました 最近水の給水栓も見られ無くなりました

 中央線ホームの先の線路は過走余裕距離として使用されていました。ATS-Pどころか、ATSそのものが生まれる前です。
 この距離を確保できなければ場内に警戒信号を
出すことになって2分間隔は不可能だったそうです。
 また神田方のシーサスクロッシングのボイントは空気転換でした。電動式に対して数秒間の短縮ができたことで2分間隔のダイヤに貢献したと聞いています。

yyoshikawaさん、上野駅は地平ホームがありますのでまだ終端駅の雰囲気が残りますが、東京駅はおっしゃる通り中間駅になってしまいましたね。
C6217さん、中央線ホームの先にある転てつ器(13)は、過走余裕距離内の転てつ器ですので、たとえ車両が通過することがなくてもせっせと転換を繰り返していたんでしょうね。

 日本が誇る天下の新幹線 唯単に高速度で走る車両だけの技術では無く鉄道全体のシステム其の物を根本から再構築した総合的運輸システムだと思うのです・旅客専用線・踏切無し・駅配線単純化・分岐部は高速列車直線側通過基本・高度なキャブシグナル・全区間分岐制御を集中化・車両の単一(JR東日本は営業思想の違いと集客状況の違いで多彩な車両の存在) 戦前の新京阪電鐵の思想を長距離化した共も云えます 
 其れが為開業50年間乗客を巻き込んだ重大事故は皆無(正面衝突 脱線転覆等)例外は営業運転中の軸箱焼付き 運転所構内での全軸脱線等は有りました
 何処ぞの国が誇る真似高速列 車最近海外展開しようとしておるようですが 正面衝突高架下転落の大事故おこしておるのは唯高速車両を作っただけ総合システムの構築はおざなり とにかく世界トップを狙うだけでは駄目と思うものです

はじめまして。
そういえば、「東海道ライン」という本の第1巻に省線開業当初からの中央停車場→東京駅の配線変遷が掲載されていたのを思い出しました。
今の新幹線ホーム~八重洲口あたりに当時は東京機関区があったようで、最初は八重洲方に入り口がなかったようです。

中央線の重層高架についてはJRからのプレスリリースを知った瞬間に鳥肌が立ったのをよく覚えています。

都筑。さん、はじめまして。
昔の東京駅につきましては拙ブログの「東京配線図」の記事で昭和10年のものをご紹介させていただいており、おっしゃるとおり機関区のほか客車区も設けられていたようです。
新幹線のホーム増設のたびに在来線ホームを削ってきたわけですが、とうとう限界が来て3階建てになったわけですね。確かにずいぶんと思い切った発想でしたね。

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