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2009年11月29日 (日)

上野配線図 1967/3

東京駅に引き続き1967年3月の上野駅です。

(1967年以外の配線図はこちら。)

1967031

上野駅といいつつ、秋葉原から始まります。

東京駅の記事に出てきた161イ転てつ器はこのあたりにあります。ここから東京方は単線です。
場内信号機1Lは秋葉原と御徒町の中間ぐらいにありますから、御徒町のちょっと東京寄りはもう東京駅なんですね。
秋葉原の貨物駅は、到着1線、出発4線といったところでしょうか。

1967032

続いて御徒町~上野間です。

御徒町方から進入できるのは5・6番線だけのようです。
逆に御徒町方に出発できるのは6~9番線です。

1967033

鶯谷寄りです。

20番線まであった頃と違うのは、
・常磐線用の現11・12番線がまだできていない。
・現13番線は荷物用でしょうか、本線ではなく側線です。
・12番線と13番線(現15番線と現16番線)、14番線と15番線(現17番線と現18番線)の間に側線がある。これも荷物用?
・常磐線は高架ホームにしか発着できない。
・高架ホームと地平ホームとを結ぶ線路がある(但し私の記憶とはちょっと違う形態のような気がするのですが・・・)。

1967034

1967035

日暮里付近です。

・今は尾久(井堀)で高架と地平が振り分けられていますが、この当時は日暮里で振り分けられていました。従って日暮里~尾久間は旅客線と回送線の複々線です。
・日暮里駅の常磐線ホームのはずれから分岐している単線は田端操車場に至る通路線で、秋葉原への貨物列車用です。

昔の上野駅の写真がちょっとだけ見れる過去の記事はこちらこちら

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コメント

ヨン・サン・トウ直前の上野駅のきわめて貴重な配線を拝見し、上野駅の構内の長さに改めて考え直した次第です。“f54560zg”さんが曾て仰せのホームの遺構に関しては、日暮里駅には5面のホームが並んでいたようです(昔としては壮観-新幹線用に整理され)。そして仰せであった高架部分から地平部分手の急坂の連絡線がここなのかと認識しました。さて、むかしは東京駅~上野駅間の単線上で、上り列車として、ひたち1号・あさま1号・ひばり1号・とき1号等、また常磐中電が東京駅まで足を伸ばしていたようです。更に古くはこの区間、東シナ所属の急行十和田が走り、回送扱いで大ミハの明星・月光、熊クマの阿蘇等が尾久へと回送されていたようです。機廻しの手間を省き、柔軟と言うより尾久側の余力と、東京駅のメンツの問題だったのでしょう、多分。

この配線図に描かれている高架~地平の連絡線って、高架から急勾配を下って地平のレベルで合流、入換時は本線引き上げですよね。
私の記憶にあるのは、高架からは下り、地平からは分岐した側線が上り、高架と地平の中間ぐらいの高さの位置で合流、従って本線引き上げなし、というものなのですが、まあ、あてにならない記憶です。
今では上野とは山手線の反対側で東北~東海道が直通するようになってしまっていますので、上野側でも早く直通してほしいですね。なにしろ、「上野駅」の位置が実に中途半端になってしまいましたから。

当時熟読していた昭和46年5月号の時刻表の中で、上野駅発着の優等列車群の中に東京駅発着の列車を見つけました。 つばさ、ひばり、あさま、とき 等の一部と、やまびこ、そよかぜ、日光 等です。(ひたちは東京着のみ) 中でも臨時ながら そよかぜは2往復とも東京駅発着で、やまびこと共に他の上野駅発着の優等列車よりも誇らしげに感じたものです。 当時小学生だった私には、これらの列車が東京駅と上野駅の間はどこの線路を通るのかが何となく疑問でした。 たぶん少年心に山手線の線路をこれらの特急列車が通るのが許せなかったからでしょう…。 (当時、東京駅発着の東北本線と常磐線の普通列車や、湘南方面から常磐線に入る列車も有ったようです) 昭和46頃の配線は分かりませんが、SYさんの解説に成る程納得です。

確かに東京発着の列車は上野発着の列車よりも格が上のように感じられましたね。
東京~上野の回送線は旅客営業列車以外にも尾久客操~品川客操間の回送列車・秋葉原への貨物列車・年末の荷物電車などいろいろ使用されていました。ですのでこれが廃止になると聞いたときは、「そんなことできるの?」と真剣に思ったものでした。

時刻表上、大きな出発駅には出発番線と入線時刻が表示され、巻末の車両編成を確認しながら運用ダイヤを方眼紙に描いたものです。中途からは大きな通過駅にも発着番線が挿入され…ともあれ、上野駅は格好の舞台でした、151系から181系になり、485系の登場…勉強に託けて紙と定規と時刻表と、先達の表現方法の模倣の・・・時間でした。あんまし勉強しなくてしっかりとした知識体系のある方には、嫉妬と尊敬を同時に感じてしまいます…機械を更新しました。

SYさん、私も全く同じことをやってました。上野が格好の舞台であったのも同じです。方眼紙まで同じです(笑)。パズルを解いているような妙な面白さがありましたね。
「機械」とはPCのことですか?

 秋葉原貨物駅は高架式の他に例を見ない構造の貨物駅でした貨物はエレベータ等で運ばれたり シュートで下へ降ろしたりしていました 然し今や跡形も無くなり東北上越新幹線とヨドバシカメラ秋葉原店等になってしまいましたが一つだけ遺構が残ってました 其れは東京上野連絡線と貨物駅の間に有った短い2番ホームです 丁度新幹線が上野に向かって勾配を下りトンネルに入る直前クロスしている一般道を掘り下げてクリアーいる所の頭上に少しだけ残っていたのです 上野寄りは今も電留線として残っていますね 以上

 暇人通信 上野東京間の連絡線(東北本線)完工 試運転が始まりました 話は変わりますが44年前会社を定時で退社して川崎から良く乗車した東海道本線熱海発高崎行き普通電車が有りました使用車両は115系でした東京迄は良く乗車しました東京で可也の間時間調整していた様でした東京上野間は単線で片線は留置線として使用列車二本位は留置されてる特に夕方はブルトレが品川から回送され一反神田辺りまで回送留置機廻ししてましたそんな関係で時間調整をしていたのでしょう

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