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2009年10月 8日 (木)

白河 2002/7/13

Photo

昔は機関区が設けられていたようですが、この時点では跡形もありません。
島式ホームが1本しかない割には妙に副本線が充実(?)しており、特に青森方へは4本の線路から出発できるようになっています。
どのような使い方がされているのかよくわかりませんが、貨物用というよりは回送電車の発着用なのかな、という気がします。

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東京方です。

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東京方です。歴史を感じさせる建物です。

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東京方からです。

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青森方です。

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青森方からです。

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青森方です。
4本の出発信号機が並びます。

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青森方です。

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上り場内信号機です。ここは2灯ではありませんね。

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駅本屋は風格のある建物です。

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でもその周りはただっ広い空間になっており、ちょっと異様な雰囲気です。

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これは1984年9月29日撮影です。132レ黒磯行きです。
この頃は黒磯以北のローカル列車はほとんどが客車列車でした。
また、貨物営業は1986年まで行なわれていたようです。

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コメント

現今の配線図、多謝申し上げます。自身は高校期に得た白河の図版で、探したのは正直白河の関でした。明瞭な形で気付いたのは国鉄バス専用道で、後に棚倉へ到る廃線でした。地形図上何処がサミットか、いつも探すのですが、この近辺は明瞭ではありませんでした。同駅についてはまあ貨物の付帯的、ないし仕訳線も無くなり、お写真の限り更地で役割が無くなってしまったことに、トホホです。機関区もあったようですが・・・・自然がなす地形の微妙さは人知を越えます。

初めまして。
いつも新しい日記を楽しみにしています。
白河駅は未だ下車していせんが、待合室も木造の頑強な造りになっています。
駅の位置が土盛りの高架になっているのは地方ではめずらしいと思います。

SYさん、白河付近はそれなりに標高差があるようですが、余り勾配区間という感じはしないですね。白河の関のとおり、ここから先は「みちのく」ですね。
京葉帝都さん、コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりで、本屋とホームが地下道で結ばれている駅はめずらしいですね。それに駅の周囲に建物などがないので土盛りがすごく目立ってしまっています。

【白河】白河機関区と言えばC59の印象が強いのですが、SLの女王C62の一部が落成後に宇都宮機関区を経て、すぐに白河機関区へ投入されて東北本線で足慣らしをしていたようす。 更にC61も転属してきて華やかさを増していたようです。 白河機関区も主力機が姿を消したのが昭和30年代と早く、SL全盛期の様子が謎めいた機関区の一つです。 晩年はC12が細々と活躍していたようですが、立派なラウンドハウス(おそらく青森方右手、20番線級?)を持て余していたのでしょうか‥。 白河機関区を思い出す時、連想するのが糸崎機関区です。 やはりC59のイメージが強いのでしょう。 この白河機関区で終焉を迎えた多くのC59がC60に改造され、活躍期間を伸ばしたようです。 幹線都市駅を除く中間駅にある同規模の機関区は、上諏訪、中津川、出水などがありますが、その代表格とも言える白河機関区が早期に役目を終えて姿を消してしまったのは残念です。 この白河駅って京葉帝都さんのおっしゃるように、盛り土をして出来た駅のなのですね。高台にあるように見えるのはそのためですね。 また近場から産出される石材の運搬用に軌道が敷かれていとか‥。 ここ白河でも鉄路にまつわる話題は尽きません。

白河機関区には申し訳ないのですが、私にとっても白河機関区は謎めいた機関区で、むしろ、「何で白河に機関区が?宇都宮や郡山では足りないの?それとも補機基地?」と思ったものです。C59が配置された本線用の主力機関区だったのですね。
木曽福島や紀伊田辺も同類と思われますが、この種の機関区は無煙化の際に蒸機に代わってディーゼル機や電機が配置されることもなく、さびしく消えてしまいましたね。

昭和33年の線路図によりますと、白河の機関区は下り線の側線群の外側にあったようです。上野方と青森方の両方からの側線が転車台に繋がっておりちょうど転車台が三角形の頂点のような位置にありました。
上り線の側線には白棚の名のついている側線がありました。
昔の白棚線の名残りなんでしょうね。

T.Mさん、ありがとうございます。 以前、白河機関区の写真で、高台にあるような扇形車庫の背面側を写した姿を見たことがあり、T.Mさんのご教示に白河機関区の雰囲気が段々掴めてきました。 白河機関区の晩年までC12が長らく配置されていましたので、廃線になった支線でも有ったのかと調べたら、白棚線のことかと思ったのですが、白棚線の廃止は戦時中らしく、機関区の全景自体が掴めていないのにC12の用途が気になります‥。(入換えが必要な専用線や駅などが近くに有ったのでしょうか‥) 前回の私のコメントの最後の部分「軌道が敷かれていとか‥。」は、「軌道が敷かれていたとか‥。」ですね。 間抜けな私が、た 抜けをしていました。

T.Mさん、いつもフォローありがとうございます。
E10さん、白河のC12は確かに気になりますね。白河のほか、近隣の磐城西郷とかに遠征していたのでしょうか。機関区は、最後のほうは宇都宮運転所の白河支所になっていたようですから、同所のDD13に置き換えられたのでしょうか。

蒸機時代に白河で全列車の機関車交換が行われていたと聞いています。機関区単位でいえば、上野~宇都宮~白河、白河~福島~仙台・長町、と運用から見ても適当な位置だったのでしょう。
宇都宮を抑えて白河にC62・C59が配置されたのもうなづけます。先刻に記された山陽本線の糸崎も同じような場所に位置しています。
東北本線は白河まで高崎局の管内(後に東京北局、先年まで大宮支社)だったので白河区のカマの運用は東京方面に限られていました。
現在の支社の境界は行政に合わせる目的もあって福島・栃木県境の豊原~白坂となっています。

 白川は奈良時代より関所が開設されており交通の要所で有り此処からは北は蝦夷の国とされ地の果てと云われた 時代が下り日本鐵道が東北の台地に線路を伸ばして行く折関東と東北の境の峠越えの北側の基地としての機能を持たせた其の為機関庫を含む大きな構内を設けたのでしょう
 此処からは私の考えですが東北本線は沿線に何箇所も峠越えの区間が存在しておる事は御承知の事 若し鉄道国有化が無かったとしたら 日本鐵道がどんな機関車を此の線に導入したか?動輪径1520mm位のマウンテンかノーザン形機関車又はガーラット形機関車当たりをひょつとして導入していた可能性が有ったのではと思う次第です

C6217さん、yyoshikawaさん、お二方のコメントは興味深いですね。
境界線が管理局の境目で設置されていたのは、>−< の記号を合わせたような印を時刻表の路線図で目にしていましたので、朧げながら意識はしていたのですが、C6217さんのお話で何十年来の時を経てようやくはっきりしてきました。
ただ、今だに国鉄時代の管理局の境界線の認識のままですが。

遥か昔、この白河が蝦夷との境界だったとはびっくりです。
鉄路とは関連薄くとも、蝦夷と言えば時が下った頃の松前藩とかしか思い浮かず、松前藩の参勤交代はどうしていたのかとか思いをはせてしまいます。

機関車交代に忙しかったであろう白河駅が島式ホーム上下二線なのは、立地と、やはり常磐線の存在に動力近代化が比較的早く、その役割を黒磯駅に禅譲したからでしょうか。
黒磯の項でも触れたのですが、近隣の勾配区間にマレー機が投入された歴史を見ても、yyoshikawaさんの 2D2型 や 2D1型 の投入は言い得て妙だと感じました。どんな運用かは素人考えですが、超大型SLが重連で東北本線を急行貨物や北海道から内地航路に対抗した特急貨物をロングランで牽引する姿を妄想してしまいます。(ガーラットなら現今、博物館に鎮座してるかも)

白河機関区の補足になるのですが、SL時代には T、Mさんのおっしゃるように構内駅舎反対側で島式ホーム青森方端の側線群外側に 20線級(19〜21番線?、給炭水設備は三角形東京方?)の扇形庫が在り、確たる時期はわからないのですが、東北本線電化後はその規模を縮小し、青森方3線くらいを残してSL全廃まで C12の塒として活用されていたようです。
それにしても、最盛期の全容がなかなか明らかになっていない白河機関区。
いつかは、白河駅や白河機関区構内の詳細な全貌が明らかになってほしいと願っています。

E10さん、そうなんですよね、どうも白河機関区って地味な印象が・・・。島式ホーム1本のみという点では木曽福島と似ているような気がします。

 東北本線は日本鐵道時代に敷設した路線を勾配緩和の為大々的に変更した区間が多々存在しております黒磯久田野間もそんな変更区間の一つです旧線は黒磯を出ると蛇行しながら久田野へ向かう経路でした白河駅は現在の駅の少し南側に造られていた様です勾配緩和を兼ねて直線で短絡改良され現在の状態に変更された 東北新幹線は更に直線化されて建設されました
 東北本線沿線は碓氷や福米程の勾配ではないが長距離に渡りアップダウンが続く路線であり日本鐵道時代大動輪の高速運用の蒸気機関車は殆ど存在しませんでした例外は900形位でした 其れに比べ山陽鐵道は瀬戸内航路の船運に対抗する為関西鐵道は官鐡とのスピード合戦で其々大動輪の高速型蒸気機関車を保有していたのと相対でした其の為か戦後平坦線である常磐線の方が重要視され はつかり ゆうずる といった特急は常磐廻りで運行され少しでも早い時間で目的地に行ける様したのでしょう

白棚線は戦時中不用不急路線廃止の煽りを受け廃止 レール等の資材は海外や軍事優先に振り向けられました 同様の運命を辿った私鉄も各地に存在しました 
戦後白棚線は復活する計画も有り其の折は当時新形のDD11形機関車を投入する予定だった様でしたが 決果はバス路線として復活した次第です
其の後の地方ローカル線廃止の先兵だったのでしょうか

yyoshikawaさん、国鉄における白棚線のような他の事例(戦時休止)を知らないのですが、特異な例ですよね。仮に戦後復活したとしても、結果としては残念ながら同じ運命をたどったのではないかと思います。

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