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2009年10月15日 (木)

郡山貨物ターミナル 2002/5/19 その1

Photo
中途半端な配線図しかお見せできなくて済みません。
東京方には跨線橋などがないもので、この程度が限界です・・・。

着発線は上下本線に抱き込まれた下り1番線~4番線・上り1番線~4番線のほか、上り本線の外側に東1・2・9番線があります。東9番線は多分着発線荷役を行なう線路だと思います。

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下り場内信号機です。
T.Mさんのコメントによれば、第2場内になるのでしょうか。

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青森方へ進みます。

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さらに青森方へ。下り1~4番線が分岐するあたりです。

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さらに進んで、

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振り返って東京方です。

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さらに青森方に進んで、下り本線の出発信号機です。

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下り1~4番線の出発信号機は少し先のほうにあります。

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どんどん青森方に進みます。

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さらに進んで、

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たまに振り返ります。

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線路の上をいい感じで道路が跨いでいます。
あそこからなら線路がよく眺められそうですね。

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コメント

小生にとって、郡山操車はひ弱な高校時代が些かでもあったんだという薄弱な証明になります・・・実はあったんですよ!(吉本風)。(武蔵野以前において)ヤードシステムの現実化の総合的体現は同郡山操車で為され、現郡山貨タがその証しです。高崎の実験的設備に続き、貨物操車に関しては、北上(現今廃止)、技術を極めた武蔵野操車(同様廃止)やリニア-機による速度制御を基盤とした塩浜操車・新南陽駅があります(それぞれ貨物駅化)。実際輸送形態の変換の、次なる形態の模索と言ってしまえば、過言なのでしょうか。ただ通過点でないと断然思っております、学ばねば、です。

郡山に北上、新南陽、武蔵野、塩浜・・・・。ヤードの近代化の技術が投入されながらヤードそのものがなくなってしまうという、大変悲しい地名ですね。
SYさんのおっしゃるとおり、今後に活かせる技術であってほしいですね。

 郡山操車場は自動化の極みとして建設されたのを覚えています。
 目的のために最小の設備で最大効率をねらったため、設備や線路に余裕が少なくて開業後のトラブルが多かったことも事実です。
 一番の気がかりは上下の着発線が曲線となったことで、必要最小限の設備を抱き込めばやむを得ないことですが、作業効率と安全面からは後退といえます。
 吹田や新鶴見を引き合いに出すまでもなく、着発線は直線にすべきでした。田園地帯で用地の不自由はなかった筈です。
 コメントのとおり、この経験は武蔵野操車場に生かされましたが、その機能を発揮する琴がなかったのは残念です。

C6217さん、郡山操とか北上操とか武蔵野操といった名前を聞くと、どうしても物悲しい気持ちになってしまいます・・・。

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