« 赤岩・蔵王 1987/6/5 | トップページ | 構内運転と入換え »

2009年9月13日 (日)

列車と構内運転

突然ですが、日頃疑問に思っていることをひとつ。

19791005
これは1979年の蓮町駅~大広田駅の配線で、右上のほうに富山港への貨物支線が分岐しています。
出発信号機5Lや場内信号機6Rが設けられており、蓮町(大広田)~富山港間はフツーの「本線」です。「本線」を「列車」が「運転」されるわけです。

19781001
これに対し、1978年の土崎駅です。
同様に、右上のほうに秋田港への貨物支線が分岐しています。
但し、蓮町駅と違って、場内や出発信号機は設けられておらず、代わりに入換信号機11R~13R、14Lが設けられています。
つまり、土崎~秋田港間は「本線」ではなく「側線」なんです。「側線」を「車両」が「構内運転」されるんです。

大広田~富山港間は1.4km、土崎~秋田港間は1.8kmであり、両者は似たような状況にあると思われるのですが、なぜこのような異なった取扱いをされていたのでしょうか。

異なる扱いをされた理由は別にして、結果として発生する両者の違いとしては以下のことが考えられます。(当時の国鉄の運転取扱基準規定を参考にしています。)

1)運転速度
構内運転は原則25km/h以下で、一定条件を満たせば45km/hです。
列車の運転の場合は、通常の列車の場合で丙線75km/h、簡易線45km/hです。富山港支線が丙線なのか簡易線なのかは不明ですが。

2)車両の組成
「列車」の場合は、貫通ブレーキとか動力車の連結位置とか緩急車の連結などといった条件を満足しなければなりません。
「構内運転の車両」の場合には、原則として動力車の連結位置の指定だけがあるようで、他の制約はなさそうです。

3)標識
「列車」の場合は前照灯(夜間)、尾灯といった列車標識を表示しなければなりません。
「構内運転の車両」の場合は、尾灯を前後互い違いに各1灯づつ表示したりするようです。

4)車掌の乗務
「列車」の場合は原則として車掌を乗務させなければなりません。例外規定もあるようですが。

5)信号機
「列車」の場合は出発・場内信号機等の現示に従わなければなりません。
「構内運転の車両」の場合には入換信号機に従うことになります。

違いはだいたいこんなところでしょうか。

逆に両者とも同じ点としては以下のようなことがあります。

1)信号機は運転士が確認する。
2)構内運転でも操車担当の誘導は必要ない。運転士だけでOK。
3)閉そくも同じ。「入換信号機」といえども「信号機」ですから、閉そくを行なった後でなければ進行信号を現示してはなりません。秋田港貨物支線のような列車本数が少ない場合には、軌道回路や特別な閉そく装置は設けずに、票券閉そく式または通票式が採用されていたのではないかと思われます。

結局のところ、素人目にはあまり大きな違いはないように思えてしまいます。
ならばなぜ本線扱いにしたり側線扱いにしたりして区分しているのでしょうか。

過去に記事にしたところをざっと見てみると以下のようです。

1)本線扱い
陸前山王~塩釜港・・・4.9km
上沼垂~焼島・・・2.1km
上沼垂~沼垂・・・1.8km
蓮町(大広田)富山港・・・1.4km
大和二見川端・・・1.5km
・新宮~熊野地・・・1.5km
四日市~塩浜・・・3.3km

2)側線扱い
酒田~酒田港・・・2.7km
土崎~秋田港・・・1.8km
西舞鶴~舞鶴港・・・1.8km
高砂~高砂港・・・1.7km
四日市~四日市港・・・2.5km

同様のことは車両基地へ入出区する回送車の場合にも言えます。

尾久東大宮向日町宮原などの場合には「列車」ですが、仙台長野金沢神領上沼垂などの場合は構内運転のようです。

車両基地の場合には距離の長短が関係していそうですが、鳥取西鳥取運転区の2km余りを構内運転というのはちょっとすごいと思ってしまいます。

以上、長々と書きましたが、はっきり言ってどうでもいいことですよね。

私は理系の人間です。
昔、何かの本で読んだことがあります。
「理系の人間は、雑多なものの集合を、ある法則に従って分類したがる傾向がある」

私はまさにそれなんだと思います。分類したがるし、逆に分類されているものを見るとそこにどんな法則があるのかを知りたくなってしまうんです。

貴重なお時間を、大変失礼いたしました。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 赤岩・蔵王 1987/6/5 | トップページ | 構内運転と入換え »

コメント

どうもこんばんわ。
富山港線の場合、私の知っている範囲で話をしますと、昭和59年頃の貨物列車は富山操車場~蓮町~富山港とDD15の牽引する貨物列車が直行しており、途中蓮町のヤードでモーターカーが何両かを切り離して蓮町・大広田周辺で入れ替えていた記憶があります。また、貨物列車は必ず車掌車を連結していました。
おそらく富山操車場から富山港までの列車として運転されていたのではないかと推測します。
答えにはなっていないですが、参考までに。

コメントありがとうございます。
そうですね、列車の運転系統と本線・側線の使い分けというのは大いに関係ありそうですね。
川端支線だって貨物列車は直行でしょうから、大和二見~川端間だけ構内運転、というのも変ですものね。
大変参考になりました。ありがとうございます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/46202507

この記事へのトラックバック一覧です: 列車と構内運転:

« 赤岩・蔵王 1987/6/5 | トップページ | 構内運転と入換え »

過去の記事

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ