香春ほか 1986/8/7
唐突ですが、日田彦山線の駅の写真を少々。
家族での温泉旅行の途中で撮影したもの(当然大ブーイング)ですので、いい加減なものばかりですが・・・。
香春駅です。城野方からです。
右側に分岐して坂を下っていく線路は右端の工場に向かう専用線ですが、LUNさん情報ではかつてはこの工場を通り抜けて田川線夏吉貨物駅(1973年廃止)まで達していたそうです。
香春駅の専用線貨物取扱い廃止はこれから3ヵ月後の1986年11月でした。
夜明方です。
香春駅は旧添田線(1985年4月廃止)の分岐駅でしたが、上記LUNさん情報によれば香春駅を出てから途中で分岐していたようです。
正面左側に見えるのは・・・・
これは田川線の勾金駅。行橋方からです。
夏吉貨物駅への貨物支線が分岐していました。
このあたりはすごく線路が入り組んでいるんです。
信号機は腕木式でした。
香春~田川伊田間です。
左が日田彦山線城野方で、次の駅は香春です。
右が田川線行橋方で、次の駅は勾金です。
先のほうで田川線をオーバークロスしているのが旧添田線です。
訪問したのは1986年8月、添田線の廃止が1年前の1985年4月、そしてこれから3年後の1989年10月には田川線が第3セクターに転換されました。
多分その反対側です。日田彦山線と田川線は田川伊田駅の前で合流していたんですね。
田川伊田駅です。伊田線直方方からです。
ここは複線なんですね。
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線路巡礼:添田線。
1981年8月、第2次九州巡礼にて。
漆生線・上山田線に乗って、
ちょいと宮田線まで遠征(この話はまた後で)、
再び線路コンプレックスに戻ってまいりました。
香春駅。
駅前にセメントでほじくりまくられた香春岳がそびえます。
そこに向かうように、
駅の城野駅側で分岐した線路がのびて行きます。
これが添田線?
じゃなくて。
これは夏吉貨物駅に向かう貨物線だったのです。
[[attached(5)]]
この貨物線はセメント工場の敷地の中..... [続きを読む]
香春駅ばかりよく覚えていて、田川線の勾金駅から夏吉貨物駅への線路は、どうもあまり記憶がなくて(汗)。
投稿: LUN | 2009年9月 6日 (日) 21時40分
f54560zgさま、お久しぶりです。
またまた地元ネタありがとうございます。
筑豊田川地区の線路は現在では相当整理されてしまいました。この頃の路線が今でも残っていると、とても楽しいだろうなとくだらない想像をしてしまいます。
日田彦山線は色んな路線との関係が複雑で、変遷の紆余曲折を知れば知るほど面白くなってきます。
香春での添田線との分岐、伊田での田川線との分岐、勾金・香春につながる専用線、実に面白い。
投稿: ashiwodi | 2009年9月 6日 (日) 23時26分
LUNさん、私も見てません!(というより、多分この時点では知らなかった?)
夏吉貨物駅は1973年に廃止されたようですが、専用線として引き続き使用されていたようですね。
投稿: f54560zg | 2009年9月 8日 (火) 21時01分
ashiwodiさん、お久しぶりです。
このあたりは旅客線だけでも複雑に入り組んでいるのに、貨物支線まで考えたら頭がパンクします。
石炭輸送が華やかな頃にぜひ来たかったです。
(全貌を把握するには1ヶ月くらいかかったかも知れませんが。)
ところで、日田彦山線と添田線の分岐、日田彦山線と田川線の分岐はいずれも妙な位置ですが、信号場ではなさそうですので、香春か伊田の構内になるのでしょうか?
投稿: f54560zg | 2009年9月 8日 (火) 21時08分
f54560zgさま、レスありがとうございます。
香春と伊田の分岐についてですが、両者とも、香春・伊田駅構内となっている模様です。そもそも日田彦山線は小倉-旧・添田線-彦山でした。また田川線は、行橋-伊田-添田であり、両線はアップ画像のごとく立体交差していました。のちにせっかくなのでと、香春-伊田間に短絡線を設け、小倉-伊田-添田ルートを日田彦山線にしてしまったという経緯があります。
この両者の分岐の様子については、拙サイト【鉄路ノ景】→信号場の景→信号場のようで信号場でない(ベンベン) にありますのでご笑覧ください。
また、筑豊田川地区の配線の詳細については【Web otchee!!】http://otchee.com/が参考になります。
投稿: ashiwodi | 2009年9月 8日 (火) 22時20分
f54560zgさま、訂正レスです。
先のコメント中の「配線の詳細」は、正しくは「廃線の詳細」です。
スミマセン。
投稿: ashiwodi | 2009年9月 9日 (水) 08時53分
ashiwodiさん、そうですね、分岐や信号場といえば【鉄路ノ景】ですもの。詳細な写真などが掲載されていてありがたいです、失礼しました。
ところでさらにお伺いしたいのですが、全面展望の写真で、田川伊田駅の出発信号機は1進路だけのようですね。その後分岐部分まで信号機らしきものが見当たらなかったのですが、城野方への進路なのか行橋方への進路なのかを示す信号機(第2出発?)はないのでしょうか?
田川伊田駅1番線は平成筑豊鉄道専用で城野方面に進むことはありえないのであれば、田川伊田駅の出発信号機で遠く離れた分岐の転てつ器まで鎖錠してしまってもおかしくはないのですが、余り普通ではないような・・・。
さらに下り線側はちゃんと第2場内が設けられていますから、平筑の列車が2番線以外に進入することも、JRの列車が2番線に進入することも可能になってるし・・・・。
さらに転換前はどうなっていたのでしょう。第2出発が存在したか、もしくは田川伊田駅の出発信号機が2進路分設けられていたかのいずれかでしょうか。
う~、すみません、最後は独り言のようになってしまいました・・・。
投稿: f54560zg | 2009年9月10日 (木) 22時26分
f54560zgさま、レスありがとうございます。
>田川伊田の第2出発
ありません。進路はあくまで出発信号機で表示し進路上の分岐器を鎖錠しているようです。確かに1km以上も先の分岐器を制御していることになります。
手持ちの1976年の資料を参照してみたところ、当時も同様だったようで、伊田の上り出発信号機には日田彦山線上りと田川線上りの2進路分の信号機となっております。
さらに香春においても同様でした。香春の場合は腕木式で、日田彦山線・添田線上り第1場内は「単灯形色灯式信号機」になっていました。さらにさらに、篠栗線と勝田線の分岐の場合も同様でした。どうやらこの方式が普通のようです。
現在は電気的に制御しますので新幹線のように1000km以上離れていても問題ないでしょうが、昔は梃子で機械的に制御していたので、1km以上離れるような場合はちょっと異例かもしれませんね。米坂線と長井線の分岐は今泉駅から約1.8kmの位置にあります、現在は今泉駅構内になっていますが、以前は白川信号場という独立した停車場でした。ここの場合はどうなのでしょうね。
投稿: ashiwodi | 2009年9月12日 (土) 10時58分
ashiwodiさん、的確なご回答ありがとうございます。
さすがに1km以上先の信号機や転てつ器をワイヤーやロッドで操作するのは難しそうですから、信号機のみならず転てつ器も電気転てつ器だったのでしょうね、きっと(香春~伊田間の「短絡線」は昭和32年開通ですからありえそうです。ただ、篠栗線・勝田線のほうは開業が結構古いですが)。
昭和41年の漆生線開業の際には下山田から1.7kmの位置に嘉穂信号場を設けていますから、当時としてはこのあたりが独立か隣接駅に含めるかの境界線となる距離だったのでしょうか。
旧白川信号場、どうなっているのでしょう。今泉駅の出発信号機を見に行きたくなってしまいました。
投稿: f54560zg | 2009年9月12日 (土) 16時37分
f54560zgさま、レスありがとうございます。
>今泉
貴ブログ内にありましたね、今泉。配線図によると、分岐位置は信号場だっただけに場内信号機があります。今は長井線が転換されたので変わっているかもしれませんね。
>吉塚
吉塚~分岐位置間は二線分の敷地があり、途中の橋梁もガーダー橋も二線分ありました。1963年に吉塚-竹下間が経路変更された際に吉塚駅も高架化されたので、その時に分岐方法が変わったのかもしれません。
紀勢本線と名松線は松阪駅で分岐しています。しかし分岐位置は約2.5km先であり、そこまで線路を共用しています。ここの分岐はどのようになっているのでしょうか。
投稿: ashiwodi | 2009年9月14日 (月) 22時37分
ashiwodiさん、おっしゃるとおりです。
今泉も田川伊田方式になっているかもしれませんし、吉塚も途中で分岐方法が変わったのかもしれませんね。
松阪も昔は松阪駅で分岐していましたから、吉塚と同じ可能性が高いですね。そうでなければ○○信号場という名前が分岐点につけられているはずですもの。
投稿: f54560zg | 2009年9月16日 (水) 21時16分