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2009年9月 8日 (火)

添田ほか 1986/8/7

またしても前回の続きです。

19860807h01
添田駅です。城野方からです。
ちょっとわかりずらいかもしれませんが、お二方が歩いているのはホームの上です。

19860807h02
ちゃんと1番のりばの表示があります。かつての添田線のホームでしょうね。
信号てこの残骸も残されています。

19860807h04
城野方です。添田線はまっすぐ進んでいたようです。

19860807h03
下り列車がやってきました。

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夜明方です。

19860807j01
何と言う駅かわかりませんが、旧添田線の駅の跡です。
線路はほとんどそのまんま、と言う感じです。

19860807j02

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行橋駅です。どこも同じようで、線路がある割には車両が見当たらない寂しい風景です。

19860807i01
転車台は残っていました。かつての行橋機関区です。
9600やC50の基地でしたね。

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コメント

行橋の転車台ありがとうございます。 何度目かの九州行きで私は柳ヶ浦や大分を優先してしまい、行橋には夜明け前の訪問となり弱いストロボの、おぼろげな転車台の写真しか撮れませんでした。 雰囲気的に転車台は暫く生き残りそうな感じでしたので再訪がノビノビになってしまい、その後車窓から何度か見たのですが、気が付けは高架の波に押し流されてしまったようです…。  冬の九州は夜明けが遅く、暗闇の中、短型庫の取り壊された機関区跡をさ迷っていたら東の空がうっすらと白ずんできて、その中にポツンと取り残された行橋機関区の区名板が建たずんでいました…。

E10さんが訪問されたときもすでに機関庫は撤去されてしまった後でしたか。
転車台が残っていても機関庫がないとやっぱり寂しいですね。写真の通り、「なんでここに転車台があるの?」って感じになってしまいますものね。

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