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2009年9月 6日 (日)

田川後藤寺ほか 1986/8/7

前回の記事の続きです。

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田川後藤寺駅です。城野方からです。
ここは糸田線と後藤寺線の分岐駅で、写真右上で右のほうに進む線路が後藤寺線・新飯塚方です。
線路はそれなりにいっぱいあるのですが、車両が見当たらないため寂しい雰囲気です。
かつては石炭車で賑わっていたんでしょうね。

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左が糸田線・金田方、右が日田彦山線・城野方です。

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城野方です。
左の建物は信号扱所と思われますが、見たところ継電化されているようなので、使われていなかったのではないかと思います。

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夜明方からです。
かつてはこのあたりに後藤寺機関区の機関庫や転車台があったと思われます。

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続いて伊田線・金田駅です。糸田線の分岐駅です。
田川伊田方からです。

19860807f02
この時点では専用線貨物の取扱いは行なわれていたようですが、
後藤寺駅と同じようにがらんとした雰囲気の構内です。

19860807f01
この先で伊田線・田川伊田方と糸田線・後藤寺方に分かれます。

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信号機は色灯化されていましたが、転てつ器は機械式のてこ集中です。

19860807g02
続いて豊前川崎駅です。
城野方からです。
どこも同じような景色ですね。

19860807g01
右が日田彦山線・城野方、左が上山田線飯塚方です。

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コメント

鳥栖の項でも触れたのですが、私が後藤寺を訪れる機会を逃したのはf54560zgさんが訪問された前年の晩秋の頃だったと思います。 後藤寺機関区はキューロクの似合う3線式短型庫があり、門司 直方 若松 などの影に隠れた機関区だったようですが、行橋と共に筑豊地区を支えた魅力ある機関区だったと思います。 おそらくf54560zgさんの訪問された約一年前くらい迄は転車台も残っていたのではないでしょうか…。

E10さん、手元に1969年3月末現在の車両配置表がありますので、9600だけちょっと見てみると、
門司・・・・・15両
行橋・・・・・11両
後藤寺・・・11両
若松・・・・・9両
直方・・・・・19両
合計65両も。
筑豊といえば96ですね。
転車台は惜しいことをしました。

遠賀川流域には、船地、香春、石原町(流域違い)といった白い駅と、直方、後藤寺という黒い駅がありました。受験前の雑誌には後藤寺駅・機関区がやたら掲げられ、相当設備のある駅・基地なんだと固定観念が出来上がっておりましたが、しかし、後年入手出来たレールマップでは判然とせず、より詳細を小学館で知り得、雑誌の騒ぎ様と設備の差に困惑した覚えがあります。とは言え、設備以上の所属車両数もあり、機は直方・若松区の補完や各採炭地に赴いていたのであろうと想像できます。自身の実感では、山から海へ一方通行の貨車を回収し直方ヤードで留め置かれたことです。その空車留置線が気動車区の設置用地に転用されたのですが…。それくらい筑豊の資源が豊かであったのでしょう。

SYさん、「白い駅」「黒い駅」って、思わず笑ってしまいました。見事な表現ですね。
筑豊地区は時刻表に掲載されている路線だけでもすごいのに、これ以外にも貨物線があったわけですから、もう手に負えませんね。後藤寺の機関車たちはそういう網の目のような線区を毎日走り回っていたんでしょうね。

取り出した数枚の図面を現今ファイルホーダーにやっと元通りの箇所に収めつつ、半ば嘆息が付きまといます。現場を反映した図面と、そこから整理され簡略化された配線図故の嘆息なのでしょう。多分この近辺の中心地の、本社指定だった直方に対する妙な愛着なんだろうと、納得を試みています…遠賀川流域はこの駅を語る試みをせずして、何も言えないのですが、もう貨車区は福北ゆたか線の設備に転化されているようで、電化できない線区はセクターに堕す形になり、ぼんやりもっと経済的に整理した形に出来なかったのか、と怪訝に思っています。


筑豊地区の線路網を形成していた短い線区たちは、距離の長い日田彦山線を除けば、廃止も転換もされなかったのは後藤寺線だけですね。
「取り出した数枚の図面」・・・気になりますね。どんな図面でしょう。

五木寛之が好きでした。筑豊には作品を彷彿する風景が点在し香春岳を見た時は感動しました。縦横無尽のような路線をいかに効率よく乗るか何十回、時刻表をめくったことか(もちろん全線乗りましたよ!)87年3月、後藤寺をゆっくり歩くことができました。機関区の建物群はSL時代から変わっていないように見えます。石炭台のレンガに歴史を感じました。庁舎前に写っている96の動輪を翌年、門司港運転区の前で見かけ、庁舎や詰所等が解体されてしまったんだろうなと思いました。余談ですが飯塚のボタ山に登ったのがちょっと自慢です。

沼津区さんのお話しに少年期の筑豊に対する憧れが甦ってきました。 まだ年に数冊しか趣味誌を手にすることができなかったあの頃… RJ誌を初めて購入した時の内容が、関門から門司の特集記事で、筑豊地区に対する憧れを強く持った動機だったように思います。 その後、少しづつ情報を得て、門司 直方 後藤寺 行橋 若松 門司港 鳥栖など、まだ見ぬこれらの機関区に憧れ、筑豊地区は早期の訪問となりましたが、やはり全国の機関区巡りを稚内から志布志までを視野に入れると、結果的に再訪も含めおろそかになってしまった感は否めず、自身の想いと行動が伴わなかったことが悔やまれます。 若松は無くなっていて後藤寺は訪問せず、乗ってみたかった日田彦山線や田川線も乗れず、結局、筑豊本線と篠栗線しか乗れませんでしたが、筑豊の街並みや風景、歴史的な役割を想えばロマンを感じずにいられない地域です。

沼津区さん、E10さん、北九州・筑豊地区は私もすごく魅力を感じていたのですが、いかんせん遠すぎて、訪問できたのはずっと後年になってからでした。
しかし今考えると、1980年頃のこのあたりって、旅客線だけでも凄いのに、これに貨物線が加わり、さらに門司付近や八幡付近の貨物側線群など、仮に当時訪問できたとしても到底全貌はつかめなかったのではないかと思います・・・って、負け惜しみですね。
全線乗車の沼津区さん、全国機関区巡りのE10さんは有意義に筑豊地区を訪問されたようで、うらやましい限りです。

機関区跡の写真を見て…
中央のコンクリートの溝のようなものは、機関庫の中で機関車が停車する位置にあり、下から車体を点検していましたね。つまり両側にレールがありました。
当時はこの左側に何箇所かあったはずです。
この写真の左下あたり、踏み切りのすぐ近くに機関車の転車台がありました。
何もかもが変わってしまいましたね。

先ほどの訂正です。
他の点検穴があったのは、左側ではなく右側(駐車場あたり)です。

toshiさんコメントありがとうございます。
写真の溝は点検用のピットでしたか。用水路かと思っていました(汗)。
機関庫や転車台があるときに来たかったですね。

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