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2009年8月19日 (水)

小山 2002/5/12 その1

Photo

小山は大きな駅です。東北線を中心に水戸線、両毛線が分岐し、小山機関区、小山客貨車区が設けられていました。
小山機関区は東京寄りのデルタ地帯にあり、1970年頃まで蒸機が配置されていました。その後は車両の配置がなくなり、扇形庫なども撤去されてしまいましたが組織としては1985年までは存在していました。
一方小山客貨車区は1969年頃まではわずかながら営業用客車の配置がありましたがその後は事業用車のみとなり、実質は貨車区として機能してきたのではないでしょうか。同様に少なくとも1986年までは存在していました。

上の配線図を1986年時点と比べると、両毛線沿いにあった石油基地の専用線が整理され、短絡線の一部が撤去された程度のようの思えるのですが、枕木を置いて使用できなくされた線路が相当あり、実質的にはかなり縮小されていると思います。

今回は東京寄りの部分の写真を。

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東京方からです。

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東京方です。短絡線の線路は残っていますが、東北線とはつながっていません。

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草ボーボーですが、多分線路は残っていると思います。

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16年前と同様に、少し駅に近づいて、東京方です。

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短絡線がなくなっても第2場内信号機です。

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さらに駅に近づいて、東京方です。

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東京方からです。かつての小山機関区跡です。

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水戸線側に移ります。友部方からです。
短絡線への場内信号機は撤去されてしまいました。

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線路は残っていますが、枕木でしっかり「封鎖」されています。

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駅に近づいて、友部方です。
左側の草むらの中にも線路があるのですが、

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しっかり「枕木封鎖」されていますので使用できません。

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ホームに移ります。
東京方です。9番線です。

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振り返るとこんな感じ。新幹線の下になっています。

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東京方からです。10番線です。

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東京方です。12・13番線です。

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13番線です。
小山機関区への通路だったと思われる線路が残っていますが、やはり「枕木封鎖」です。

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友部方です。16番線です。

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跨線橋から見るとこんな感じ。

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コメント

東北新幹線の柱が最初に立ち上がった直線区間ですね。図面が掲げられると食指を伸ばすのは、10台からの反射で…。かつて時刻表で小山駅を通過しない優等列車があり、一体どんな構造なのかと思いました。以後に手に入れたレールマップには、短絡線や、幾多のスリップと貨物ヤードの存在が記され、唸ったものです。よって自らも下り貨物の平面交差数を減らすような図を幾らか描いてみたのですが…。東京側から友部・水戸駅側へは同駅から分かれていく水戸線の方が早くて…交直接続も近くに設置されており、興味が尽きない駅です。

小山駅の線路はいいですねぇ。
水戸線から両毛線に直通する列車が大好きだったのですけど。高岳専用線もあるし。
あの短絡線は、少し前に車窓から、重機が穿り返しているのを見かけてしまいました。
もう、ないかも・・・

SYさん、LUNさん、小山はなかなか複雑な構造で興味深い駅ですね。でも、短絡線も含め、相当大幅に線路が撤去されてしまっていそうです。
水戸線~両毛線直通電車、先頭車からビデオ撮影をしたかったのですが、できませんでした(泣)。
高岳製作所専用線は次回で・・・。

【小山】元日の水戸機関区を後にした私は水戸線に乗り小山を目指しました。 初めて見る広大な関東平野の風景に、関東ローム層なる言葉を思い浮かべながら車中で過ごしていたように思います。 当時の写真を見てみますと、小山駅のホームから程ない場所に在った小山機関区跡の扇形庫は既に無く転車台だけが残っていましたが、その転車台に架線がクロス状に2本張ってありELが入線可能となっていました。 f54560zgさんの写真a100の、取り残されたような仕業庫付近がSL時代の給炭設備だったようです。 その仕業庫を挟むように有る転車台への2本の線路に架線が張ってあり、仕業庫はDL用なのでしょうか架線はありませんでした。 また、転車台は同写真の下から右手に伸びる未舗装通路の右端切れ目の上方辺りにあったようです。 私の小山機関区のイメージは、やはりSLのC50で、SLブームの頃も既に各地で数両単位で小運転や入換え専用機となった中で、この小山には多数のC50が配置されて両毛線を中心に活躍しており、何故かC50の似合う扇形庫と共に当時の雰囲気を感じてみたかった機関区です。 梅小路の項でも触れたのですが、もし小山機関区がSLの動態保存地に選ばれていたら、その後、動態保存機達が東日本を中心に活発に駆け巡り、夢の函館本線ハドソンC62重連急行ニセコの再現や、小海線のC56ポニー、花輪線や五能線のハチロク、津軽線のC11など様々な活躍が見れたのかも知れません…。 水戸、小山と順調に進んだ私は水戸機関区で教えて頂いたとおり小山から宇都宮へ勇躍乗り込んだのですが……。

1987年頃まで小山にも転車台が残っていたんですか。私は1986年にも小山を訪れているのですが、そのときは短絡線のほうに気をとられて転車台はノーマークでした(泣)。
C50という機関車は地味な印象ですね。晩年は小山や平などに比較的多く(それでも6両ですが)配置されていたようです。C50ついでに調べたら柳井機関区というのがあって、ここにはC50のみ5両の配置でした。どのような用途だったんでしょうか。
続編が楽しみですね。


お~、懐かしい。 高校生の時に、水戸線~両毛線経由で高校に通ってた者です。今から10年位前です。

今では、線路配置も変わってしまって、この写真に見る線路も・・・

でも、この写真は貨物取り扱いの路線のままです!!

高校のテストか何かで早帰りの時に乗り継ぎが悪く、生そばを食べ終わってから貨物の入れ替えを見たのもいい思い出です。

入れ換え作業をするDE10が、18番線を行ったり来たりしてました。コキとかシキとかつないでました。

ニップンの荷卸はたぶん高校の時までのこってたかなぁ?

クリーム色のホキは見たことあるんだよな~。
中学の時かな?

両毛沿いの石油ありましたね~。

今では住宅地でレール以外跡形もないですね。

あそこはイイ味出してました。

ウェザリングばっちりのモジュレとかで造ったら・・・
なんて思ってしまう施設が。誰か画像もってらっしゃる方いませんかね・・・

安中貨物も17番線に来ていましたよ。

この写真を残しておいてくれた管理人様、どうもありがとう御座います。(´▽`)ノ

nbseさん、コメントありがとうございます。
小山へはこの写真以来足を運んでおりません。だいぶ線路も剥がされてしまったのでしょうか。
昔1往復だけ水戸線~両毛線を直通する電車がありました。小山駅前後の様子を先頭車からビデオ撮影したいと思いながら結局できなかったことが心残りです。

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