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2009年8月 9日 (日)

下之郷(上田交通) 1978/8/14

このブログとしてはめずらしく私鉄の駅です。
今は車両基地が設けられている駅ですが、当時は単なる中間駅であり、さらにさかのぼると昔は分岐駅だったところです。

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別所温泉方からです。一見交換可能なように見えますが、

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これでは電車は通れませんね。
昔は交換可能だったと思われ、ホームへはホーム端の階段を通っていたと思うのですが、何でこれを使わずに線路上をまたぐ通路を作ったんでしょうか。

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かつては西丸子線が分岐していました。
これはそのホーム?

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一応本屋なのでしょうか。

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昔ののりば案内です。廃止されたのはこの時点から15年前です。

以下は6年後の1984年8月8日撮影です。

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上田方です。

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上田方からです。

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通路は撤去され、交換設備が復活しました。

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残念ながら本屋は取り壊されてしまいましたが、西丸子線のホームと上屋は残っています。

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上田行きの電車がやってきました。
クハは元東急5000系のサハですが、それにしてもこのアンバランスは・・・・・。

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電車の交換です。

さらに時が経って、2009年8月9日、つまり今日の下之郷駅です。

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上田方です。
信号機が2本に増えました。

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交換設備の復活に次いで、車庫が移転されてきました。

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ホーム上に事務所があるため、その部分の通路は狭いです。

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別所温泉方です。

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西丸子線ホームはまだ残っています。
上屋は改修されたものでしょうか、それとも昔のものに似せた新築?

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コメント

その後を精力的に訪問されている、f54560zgさんのブログに訪問させていただいていることを、安心感と共に嬉しく思います。 私はよく、過去の訪問先の敷地を離れる時、「いつか必ずまた来るぞ」と心に近い(誓いではなさそうです)ながら、次の訪問先への迫る列車時刻にその場を急いで後にしたものでした。 しかし実現出来たのはほんの一握りで、その後をこの目でまだ見ぬ場所ばかりです。 当時、安易に再訪を考え、また再訪の動機付けをしたくて「ここは次回に写せばいい‥」などと不運の種蒔きをしていたようです…。 思わず今日の日付を再確認してしまったE10+C54‥でした。

E10さん、私も再訪できているのはほんの一握りです。私の場合、ごちゃごちゃした線路を見るのが好きなものですから、貨物扱いが廃止されて側線が撤去された姿は、むしろ積極的には見たくない、という思いもあって・・・・。
まあ、それも現実ですから、それはそれで受け入れないといけませんね。

 上田交通がまだ上田丸子電鉄時代に上田を中心に各方面に路線を伸ばしておりましたが其々別々の会社が戦時合併で一つの会社になった関係で路線の連絡や車両規格の違い電圧の違い等で車両のバラエティーは多種多様でした 下之郷から分岐していた西丸子線は上田丸子の路線としては可也低規格だったのか目黒蒲田電鉄の開業時に使用していたモハ1形を譲り受けて廃線になるまで運用してました 終点の西丸子駅は丸子線の丸子駅とは離れた所にあったとの話です 下之郷の各時代毎の変化は目を見張るものです 地方の私鉄が如何に生き残ろうと努力しておる姿は涙ぐましく思います

yyoshikawaさん、おっしゃる通り上田を中心に各方面に伸びていた線路でしたが、今では別所温泉方面のみとなってしまいました。これだけは何とか生き残ってほしいですね。

コメントをさせていただくようになった初期の頃、こんなしおらしいコメントもしていたのだなと、歳月の早さも実感している今日この頃です。
本項目のリアルタイムな記事に驚嘆しての私の前出コメントだったようですが、上田交通は古い趣味誌でも記事を見かけていて、次の信州訪問時には沿線風景を堪能してみたい路線です。
先日、さまざまな終焉を含んだ山口線のSL重連運転列車に乗車して来ました。
津和野駅から帰りの上り列車で偶然隣り合わせた乗客が、新進気鋭の紀行ユーチューバーの スーツ さんで、乗車日の数日後には既にその時の車窓風景などがYouTubeにアップされていて、ネット時代を再認識させられました。
この スーツ さん、数ヶ月間に渡り全国あちらこちらを取材中で、まさに 気力体力時の運 を体感中のようです。
YouTube スーツ で検索するとすぐにYouTube記事が出て来ます。因みに、山口線の帰りの記事で、車窓からの映像の隣の席に座っていたのが私で、映像を見ながら良い意味でのなんとも奇っ怪な気分を感じました。

地方の私鉄には戦時統合で有る程度の規模の私鉄に昇格した路線が有り 三社が合併した上田丸子もそんな私鉄の一つでした そんな関係で北へ向かう上田線 丸子町へ行く丸子線 別所温泉に行く別所線 との間には関連性が無く車輛の移動は国鉄線を介せねばなりませんでした 更には電圧の違い 路線状況の違いで車輛も千差万別でした
同じ様な状況の私鉄には山形交通 福島交通 茨木交通 常総筑波鉄道 鹿島参宮鉄道 上田丸子電鉄 富山地方鉄道 北陸鉄道 静岡鉄道 三重交通 大分交通等が主でした 富山地方鉄道以外は大なり小なり上田丸子と同じで各線別々の車輌中にはゲージが違ったり鉄道線と軌道線が有ったり趣味的には楽しかったが現在は大半が時勢の変化で廃止されてしまいました 上田交通もそんな地方の私鉄ですが東急の御下がりを貰い近代化され少しでも存続する努力は大事ですね 

E10さん、動画拝見しました。そうですか、このカメラの隣にE10さんがいらしたわけですね。確かに不思議な気分になりますよね。
yyoshikawaさん、地方私鉄にとっては厳しい情勢ですが、今後も頑張ってほしいものです。

先日の台風19号では千曲川が長野県各所で氾濫し北陸新幹線長野運転所が堤防の決壊で留置車輛が10編成水没し全車廃車というニュースが流れましたが上田電鉄も千曲川橋が流されました新幹線被害は大々的に報道されましたが上田電鉄の被害状況は報道されませんでした 過去橋梁流出で廃業した鉄道は多々存在してます 草軽電鉄は上州三原駅の橋流出で軽井沢上三原(駅名は若しや間違いかも知れません悪しからず)間を廃止東農鉄道も橋梁流出で全線廃止防石鉄道の線路流出で廃業等枚挙にいとまない今回の上田電鉄の千曲川鉄橋流出が基で廃業とならぬことを心から祈る次第です・・

yyoshikawaさん
大丈夫です。上田電鉄は頑張りますよ!

帰省の折に落橋現場を見てきました。
復旧作業中のためあまり近づけませんでしたが、見える限りではトラスには大きな歪みや破断などはないようでした。橋脚にも異状はないと思われます。
橋台の再建は堤防の復旧工事と一体なので、そちらの方針と予算待ちといったところでしょうか。現在のところ復旧まで一年半ほどを見込んでいるようです。
上田電鉄本体の支援受付のほか、さまざまなチャンネルで支援の取り組みが始まっています。
現場から500mほどの城下駅は交換駅ですが、上りホームのみ使用して別所温泉方に仮設の出発信号機を設けて折り返し運転を実施しています。

刻苦七十年さん
ちょっと時間はかかりそうですが、復旧に向かっているようですね。
発条転てつ器の鎖錠 その3 の記事で城下駅の発条転てつ器をご紹介したばかりだったのですが。

上田交通は現在東急グループの傘下に入ってます昨年年末渋谷東急百貨店東横店地下酒類売り場に上田の造り酒屋の上田交通応援ラベルの日本酒四合瓶が売られてました其の折は購入しませんでしたが後日再び酒類売り場へ行った時には既に売り切れでした ラベルには東急から都落ちした7200が描かれていました

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