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2009年8月 6日 (木)

1977 西ノ宮・茨木

突然関西に飛びました。

時期はあまり自信がないのですが、多分1977年頃だと思います。
大阪駅をはさんで高槻と芦屋って何となく似たような駅だと感じているのですが、同様に西ノ宮と茨木も似たように感じます。

Photo

関西に行ってちょっとびっくりしたのは、大阪を出た下りの快速電車が芦屋までノンストップだったことです。この間、距離にして約30kmもあり、途中には尼崎とか西ノ宮とか乗降客の多そうな駅があるにもかかわらず、です(外側線を走る快速は、須磨とか垂水とかを通過する代わりになぜか西ノ宮には停車していたようですが)。
個人的には、冷遇されていたように感じる西ノ宮駅です。
今はどうなんでしょう。今でも冷遇?

Photo_2

万博を機に停車するようになりましたが、それ以前はやはり快速が停まらない駅でした。
大阪駅との位置関係、快速の停車に加えて、2本の島式ホームに貨物側線・専用線といったところが個人的に西ノ宮と共通に感じる点です。

例によって関連する列車の写真を少々。
1978年3月15・16日の撮影です。

19780315a02
6151レです。85km/hの急行貨です。

19780315a04
8870レです。75km/hですね。
昔はこんな機関車が東海道線を走っていましたね。

19780315a06
5854レです。85km/hの急行貨です。

19780315d03
1991レです。これは遅い。65km/hの解結貨です。

19780316c01
試6980Mで、多分近車の落成試運転だと思います。アタマのクモヤも新車です。
クモヤ143-5・クモヤ143-6・モハ103-643・モハ102-799・モハ103-644・モハ102-800・モハ103-645・モハ102-801・クハ103-722で、クモヤ143-5は千マリ、クモヤ143-6は北イケ、他の103系は南カマへの配属です。

19780316c02
その最後尾です。

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コメント

この頃、朝夕内側緩行線は各停が平行ダイヤで詰まっており、外側の急行線を快速(大垣・米原駅方から赤穂・姫路駅位まで)が走っており、外側線を走る快速のみがこの駅に停車していたと記憶しております。昼間になると、各停は吹田~西明石・京都~甲子園口には整理され、大阪駅で新快速と快速の緩急連絡という15分ヘッドのダイヤだったと思います、大阪駅での乗り換えの慌ただしさはすごく、ともに内側緩行線を走行しておりました。ダイヤを起こす身とすれば、綺麗なパターンダイヤになって、並走する阪急や京阪のパターンに伍するものでした…。現在の状況をダイヤで起こしていない身なのでもう付言は出来ません。なんせもう等高線も正確に読み取れないほど眼が不確かなので、ダイヤを描くにしても方眼紙に正確に打てない様になってしまい・・・EH10って、関ヶ原を越える無骨な堅物ですが、愛着は勿論のこと、近年登場したシャープな電機への近親感を沸き立たせてくれる牽引機です。が。

大阪付近で快速電車に乗ると、外側線の貨物列車と抜きつ抜かれつのデッドヒートになるのが楽しみでした。新快速は早すぎて勝負になりませんでしたね。
SYさんのコメント投稿時間を見て、「まだまだお若い」と感じておりますが。
EH10というのは東海道線あたりでしか見ることができなかったためあまりなじみがなかったのですが、印象はおっしゃるとおりの「無骨な堅物」、あえて付け加えるならば「ひたむき」、って感じでした。

当時、阪神間の路線は国鉄、阪急、阪神の3社で激しい競争中だったと思います。 阪急、阪神は比較的冷房化が早く、私も新幹線以外で初めて冷房車両に乗ったのは阪急で、その車内の香りと車両の高級感に驚いた覚えがあります。 快速電車では時間や車両が劣勢の国鉄が冷房の効く153系を京都-西明石間に新快速電車として投入したのですが、依然として利便性に難があったようです。区間延長と新鋭117系の投入で下地を作り、221系で勢いを付け、223系で突き放した感じでしょうか。 今では三ノ宮と明石が新快速への乗換駅のようで山陽電鉄も影響を受けているような‥。 西ノ宮駅自体も阪急、阪神に挟まれ立地的にも劣勢で両隣の尼崎、芦屋より取り残された感があります。その分まだ少し昔の面影も感じさせてくれているのかも知れませんが‥。 快速電車といえば小学生の頃に山陽本線の踏切を渡り通学していたのですが、突然クリーム色に群青色の電車が現れたことがありました。関東から配置転換されてきた、いわゆるスカ色ですね。その色合いの新鮮さを今も覚えています。 また、話題のEH10ですが、いつも低速でモーターを唸らせながら50両以上の貨車を引っ張っていたような記憶があります。黒い大きな車体に黄色い細線、少し奥目に見える前窓に、私は子供心にEH10の風格からくる怖さを覚えていたようです。 新鋭機の増備などで少し早い引退だったようですが、昭和50年代中頃、姫路ヤードの東外れに役目を終えて並んでいたのを新快速の車内から見たのが最後になりました…。

関西は何度か訪問しているのですが、何分国鉄以外は眼中になく、切符も京阪神ミニ周遊券だったので私鉄にはまったくといっていいほど乗っていません。
逆に新快速は衝撃でした。涼しいし、とにかく速い。京都から先の停車駅は、確か大阪・三ノ宮・明石でしたっけ? 新大阪も神戸も通過でしたよね。
EH10は64両新製ですから決して少数派ではないのですが、あれよあれよと言う間になくなってしまいました。ちょっとかわいそうな機関車だったような気がします。

新快速。確かに速かったですね。
新大阪駅通過、書こうか書くまいか躊躇してしていましたが、記憶どおり通過していた時期があったんですね。
淀川の大きさに驚き、いつまでも果てしなく複雑に入り乱れる線路群の吹田操車場に胸踊り、何度か大阪-京都間を行き来したことがあります。
最近は、とんとこの線に乗っていませんが、吹田操車場はどのように変化しているんでしょうか。
新快速が停まるようになってのことか、普通の快速だったか、新大阪-京都間で昼間の特急より1分速い列車があったような記憶があります。

“TO”さんの仰る通り、特急より速く京都に到達しておりました。15分刻みの新快速と1時間乃至30刻みの北陸方特急ですから、まあ互いの加減速の具合で・・・思わず童心に陥りました。“E10 ”さんが仰っておられるように153系による増備は、山陽新幹線延長に伴って、余剰となった鷲羽等昼間急行の編成が新快速に用いられましたことによります、妙なことでつながって・・自身は153系の高窓の先頭車両が、子供ながら格好いい、とたわけたことをずっと思っておりました。

吹田操車場は、当然操車場機能はなくなったものの、北方貨物線・梅田貨物線・城東貨物線・大阪貨物ターミナル貨物線の分岐点であり、機関区や工場もありますので、武蔵野操車場などと違ってきれいさっぱり、ということはないですね。

はじめまして、よろしくお願いいたします。
快速電車を検索しておりましたら、たどりつきました。

上記配線図駅在住です。
コメントなど懐かしい話に惹かれました。
幼少の頃から、153系113系103系電車を見ながら育った身であります。

特に私は変わっておりまして、113系の快速電車が大好きでした。

みなさんスピード感と言えば新快速ばかりでしょうが、実は区間のトップスピードで言えば、113系の方が飛ばしてた区間あったんです。

113系のパワフル感もそなわって、それは凄い快感でした。
もう時効ですから、実は何度も120キロを確認しております。(110位はしょっちゅう)

当時15分間隔で、大阪駅で新快速と連絡しておりました。

下りは先行新快速が、前の普通甲子口行きに詰まり、尼崎~立花付近まで減速信号に引っかかっていましたので、当然次発快速も。

上下共同じダイヤ(主要時)でしたが、上り芦屋ー大阪間の快速は、前に余裕があり、その時の運転士の判断なのかどうかは不明でしたが、大阪3分早着するのが多かったんです。

まぁこの場合は、普通に100キロで走っても早着するのですが、110キロ出してるのも多かったです。

こんな感じで、高槻ー京都間はもっと凄かったですよ。
前に先行新快速しか居ないからでしょうか?
平気に120キロ出して飛ばす快速が、そこそこありました。

事実主要34分が、なんと30分で到着なんてザラでした。(新快速が29分)
この当時から110キロ~運転の試験でもしてたのか、と今もって考える走りです。

当時大阪10:18発の白鳥と、同じく10:17発の快速が、うまく行くと高槻~で併走になりました。(学校休みには、ほとんど見に行くか乗っておりました。)

当時は大阪ー京都は、雷鳥が35分、白鳥は32分だったんです。(新大阪1分停車?)
ダイヤ通り走る快速は、よく勝負に負けましたが、早い30分快速はぶっちぎって、白鳥が見えなくなっておりました。

よく友人達も一緒に乗りましたが、みんな113系快速の凄さに惚れ込んでおりまた。
白鳥と京都まで抜きつ抜かれつも沢山ありました。(凄い迫力で)

当時は大阪から下り快速同士の同時発車などもあり、今と違って無駄?なダイヤが多い印象があります。
非常に楽しい時代だったかもです。

初めてで長々と失礼いたしました。
当時の思い出です。


DFさん、初めまして。
こういうお話は大スキですね。
この話、今までも何回か書いていると思うのですが、東京周辺の複々線区間って快速と貨物列車が同じ線路を走る場合が多く、かといって緩行電車は遅すぎて勝負にならず、列車の並走はなかなか体験できませんでした。
初めて関西に行ったとき、大阪から乗った下り快速(当時は次の停車駅は芦屋)が延々と貨物列車と抜きつぬかれつを演じて大興奮しました。
大阪~芦屋、高槻~京都間はともに約20km、貨物列車だけでなく優等旅客列車も快速電車の餌食になっていたんですね。

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