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2009年8月 4日 (火)

1975 田端操車場

Photo

これは怪しい!
池袋や蘇我でさえ間違えていますから、これだけの規模になると間違えていても気づきません・・・。

・ハンプはやや右上のあたりにありましたが、
 駅順仕訳線のアタマあたり(田端駅ホームの南南東方向)にも
 小ハンプがありました。
 田端大橋から良く見えたのを覚えています。
・田端操車場でスイッチバックして池袋方面と常磐線方面を
 直通する貨物列車があったのですが、いったいどのようなルートで
 操車場内を移動していたんでしょうか。
・実際にはこの時点ではすでに廃止されていましたが、
 配線図には田端操車場から常磐線の日暮里に至るルートを
 書いてあります。
 秋葉原貨物駅に向かう列車はここを通っていました。

この付近での車両の写真を少々。

19760314c01
田端操と尾久客操を結ぶ亘り線付近、すなわち両者が接するあたりだと思います。貨物用の機関車ですので、田端操側だと思うのですが・・・。

19760314c02
これも貨物用かな・・・?

19760314c04
このあたりになってくると微妙です。

19760314c03
これはどう見ても旅客用ですね。田端と尾久の境界がよくわかりません・・・・。

19760314a02
これは隅田川です。3051レが田端操方面に向けて発車です。

19760314a03
同じく隅田川です。隅田川発仙台行きの荷1041レです。
いったん推進でこのあたりまで来てから発車します。

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コメント

多分難しい上野駅以上にさらに難しいのが田端操車・尾久操車なんでしょう、北の玄関を黙々と支えた設備です。常磐線は田端駅からのびていて、日暮里駅からの急曲線は後付けであることは言及しても良いのでしょう。どちらも狭長な敷地に線路が一杯詰まって、マニュアルな表現としてここまで出来るんだ、と嘆息して(もう息が短くなって…)仕舞っております。どの時点で切るかよって差違はあるでしょうが、目視した限りにおいて正確でしょう。そうした事情があり、史的にも古いが故略図を何種も集める羽目に成りました。…自身が有している図では田端駅北西のモ-ター庫辺りに転車台が記され、3台のターンテーブルを有していたようです。山手線組成出発、東北線方(対池袋も含め)からの日暮里経由上野駅方、常磐線方への、列車移動は図上なかなか辿り得ないと感じを持っています。5年くらい有名な大橋に張り付いてみたかったような…。もうない設備ですが、代表的な標準電機が掲げられておられ、懐かしさと共に安心していくような…。

おお、すごい図ですね!f54560zgさんには、頭が下がります。

田端操車場から常磐線の日暮里に至る貨物線には、たいへん興味惹かれますね。西日暮里の高架下に、この貨物線の踏切があったことなど、ずいぶんと後になってから知りました(恥)。

山手線の車窓からもこの貨物線が見えていたはずなんですけどね。上野発の特急・急行電車ばかりに目を奪われていたのかもしれません・・・。

f54560zg様こんにちは。
常磐線の日暮里と田端操の間の連絡線は何時ごろまで使用されていたのでしょうね?
昭和47年2月の線路図にはありますが、昭和55年3月の線路図では消えています。
昭和55年3月の線路図では秋葉原の貨物駅も電留線になってしまっているので連絡線自体が必要では無くなったのでしょうね。

SYさん、田端操車場は、大宮方・王寺方・池袋方・日暮里方・三河島方と、5方面に広がるとんでもないところでしたね。3つの転車台はスゴイ。田端機関区のほか、昔は尾久機関区ってのも存在したのですよね。田端と尾久の関係は複雑です・・・。
専用線好きさん、これ、すっごく苦労しました。2回苦労してます。1回目は現地で、2回目はCAD化で。少なくとも孫コピーですから、品質は劣化しています、間違いなく。私は常磐線の上野行き電車の窓からこの線路をよく眺めていました。
T.Mさん、秋葉原の貨物扱いが1975年2月に廃止されているようですので、これと運命を共にしたのでは、と思います。秋葉原への貨物列車が常磐線(正確には常磐線ではないのかな?)を通っていたというのはちょっと意外ですよね。

田端に関しては国鉄時代末期の当時でも、なかなか趣味誌などにも情報を見つけることが出来ませんでした。 自身の印象としてD51、9600にB型タンクロコの900型やB6型などが活躍していたというようなもので、吹田に対する大宮のような田端と比較になるような車両基地も関西にはなくてイメージも湧かず、やはり少し謎の機関区でした。  たぶん少し変わった構造の駅を降り、たしか陸橋を渡り機関区方向に歩いたと思いますが、見渡す車両群に、「大変な所に来た」の印象でした。 そして見馴れぬ車両に胸躍らせ事務所を訪れたのですが、「せっかく遠方から申し訳ないねぇ」でした…。ちょうど昼時で助役さんに車両運用や区の歴史など少しお話が聞けたのですが、そのことも構内撮影が出来ずに忘却のかなたのようで‥。 田端機関区の車庫も改築され転車台もすべてなくなっており、千葉の続きになりますが、この頃も、けっこう時の不運を経験したものです…。 ただSYさんの転車台3基の情報に、当時そのことを聞いたように少し思い出しました。

E10さん、それはそれは残念でしたね。地方の現場だとガードが甘いのですが、都心部の車両基地だと昔でもなかなか厳しかったのですね。考えてみれば私自身も、東京に住んでいながら近辺の車両基地には入ったことがないような・・・。最初からあきらめていたのかもしれません。

一度別の観点から配線図を支えることを記してみたいと思います。貨車それ自体は無動力ですから移動には牽引する動力車が必要となります。雑多な貨車を適切に分けるためには、必要な引き上げ線を必要とします(本線引上げは別にして)。そこで引上げ線に応じて構内入換え機が原則的に一台応じることになり、入換え機が引上線と仕訳線との間で機織りが為されます。さて古い資料(S38年)をもとにすれば、かつての北の準玄関である田端操は、一日当たり取り扱い数2,800輌、入換え機6輌で、南北のハンプに3輌が要すると、山手線・東北線ならびに常磐線各線に一機がおそらく当られたのであろうと想像できます…なお常磐線群から田端駅寄りの本線通路区間を経て北引上線へ入換え機が牽引したのかは詳らかではありません。因みに、鳥栖駅(2,400輌:7輌)、門司(3,500輌:9輌)、梅小路操(2,000輌:6輌)、新小岩(1,800輌:4輌)、直江津駅(1,00輌:4輌)、長岡操(1,500輌:4輌)、と言った具合で、大操車場では吹田操(6,200輌:10輌)、稲沢操(4,500輌:10輌)、大宮駅(5,300輌:8輌)、そして新鶴見操(5,600輌:13輌)です。蒸機にせよDL機にせよ、現場の配線に応じた形で入換え機が煙を上げたり駆動音をまきたたせた姿が思い起こされます。入換え機が多いと言うことは、取扱い両数の多さと線形の複雑さが窺え、田端操車場もそうした傾向を有していたのでしょう…最新鋭でありながら、寿命がなかった武蔵野操は、一体何両の入換え機が活躍していたのでしょうか。今や牽引機が貨タで継走線に押込めるようで、入換え機もさほど必要なくなり…昔は想像以上にひたむきで煙たかったのでしょう。

私の場合、たとえば陸橋の上から操車場を眺めたような記憶は余りなく、どちらかといえば脇を通り過ぎる列車の窓から眺めることがほとんどだったように思いますが、それでも操車場構内を行き交う入換機の様子は十分窺い知ることができました。蒸機ではなくディーゼルですね。
操車場における入換というのはどうも理解しがたく、書籍などには単純に、たとえば「ABCBBAとなっている貨車をハンプから転送してAA・BBB・Cに仕訳する」などと書かれているのですが、実際には方向別仕訳があったり駅別仕訳があったり、それ以前に貨物と荷物の区別すら定かではありません。
非効率の代表事例と言われれば確かにその通りなんですが、昼夜を問わず日本の貨物輸送を支えてくれた入換機と職員さんには頭が下がります。

こちらにも、、
大宮からの貨物船が山の手線内に入るトンネル近くにたくさん待機してたELは田端以外の車両が多かったので楽しみの一つでした。
田端操車場のハンプはDD20というL字型DLが押してました。
試作の一号機です。(2号機はDE10タイプ・長岡区)
今にして思うと使いやすかったのか車検以外はほとんど使われてました。
尾久機関区が無くなってからは田端区が両方受け持ってましたね。
機関区事務所側が旅客。
写真にもある京浜線寄りが貨物。
ま、原則ですけど。
貨物側にはEB10なんてのも停まってました。
連投で失礼しました。。つい、なつかしくて。。

caruさん、小さい頃田端・尾久界隈に住んでらした方にとっては鉄道はいやでも興味の対象になってしまったのでしょうね。

 尾久と田端の間を区切る様に一般道とドブ川が有りました其れは関係無いですが 丁度田端機関区が見える道ですね 1970年代中期機関区裏の側線に不思議な車両が有りました クレーン車なのですが国鉄籍の無い車両でした おそらく保線用か機関区の移動クレーンとして常備されていたのか? 確か連結器は無かったと思いますが どなたか御存知の御方はおりませんでしょうか
 
 

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