1975 板橋・国分寺
赤羽線には2つしかない中間駅のひとつです。
配線図からは23区内とは思えないような長閑さが感じられます。
私の記憶では、確か中央線の初狩との間で砕石輸送列車が運転されていたような・・・。
板橋駅とはちょっと離れていてすみません。
名古屋に向かって左側に別れて行く2線は、確か右側が下河原線で左側が中央鉄道学園への引込み線ではなかったかと。
この当時は武蔵野線が開業していますので、国分寺~東京競馬場前間はすでに廃止されており、北府中~下河原間で貨物営業が細々と行なわれていたはずです。
東京に住んでいながら下河原線を訪問しなかったのは大いに悔やまれます。
そういえば東京競馬場前駅は、確か当時最も長い駅名だったような記憶がありますね。
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学園実習線、競馬場や東芝府中工場への分岐、武蔵野線開通当時の、直線区間の中央東線らしかった国分寺駅の構造を改めてみると、現在の変容には驚くものがあります。今後は連続立体化工事による脚色が加えられるのでしょう。自身はこの立体化工事と同時に立川駅迄複々線化されるものと思っておりました故、どんな配線になるのかと空想していました。西から立川駅・武蔵野線貨物短絡線・電車区のある三鷹駅や武蔵小金井駅、貨物設備のあった東小金井駅、強いて加えるとさらに中野駅、緩急連絡駅の確保や段落ちに伴う緩急の本数の平均化。中央線を利用されている方は、矢張り走らせたい列車に応じた自在な配線を考えられるのだろう、利用者の考えには勝てないと漠然と思っておりました。現に新宿駅も優等列車用ホームも改善されたようだし…。図書館でコピーしたもの(高架)とパンフ(高架と急行線トンネル化)の2種の計画案を一応有しているのですが、複々線化を少しでも西に進めていかないと…矢張り東京の人口動態は恐るべしです。人口の意味では国分寺駅から直線で北進する西武線が、武蔵国の第二の人口を誇った城下町川越への最初の最短のアクセス路だったのですが…。
投稿: SY | 2009年8月 4日 (火) 23時21分
国分寺を含めた中央線方面へは、この記事の頃以降とんとご無沙汰をしております。
複々線化ってどうなっているのでしょうか、高架化もあるんですか。いずれにせよ大きく変わってしまっているのでしょうね。SYさんのおっしゃる、東小金井、武蔵小金井、国立、加えて武蔵境などの昔の姿は記憶にあるのですが。
投稿: f54560zg | 2009年8月 5日 (水) 20時56分
板橋駅ですが、住友セメント側の引き込み線の真ん中にある渡り線は、両渡りだったと記憶しています。
現在もこちら側の2本の線路のみ、ポイントのみ撤去され、その他は架線も含めて残っています。そして、この部分はクロスレールが残っていますので、間違いないと思います。
投稿: mrdoc | 2009年10月25日 (日) 03時33分
mrdocさん、ご指摘ありがとうございます。
正直、残っている当時のメモがちょっと怪しげです(汗)。
それでもまだ線路は残っているんですね。ちょっとうれしいかも・・・・。
投稿: f54560zg | 2009年10月25日 (日) 23時05分
国分寺駅と中央鉄道学園付いて少し述べたいと思います。中央線は甲武鉄道時代から中野から立川迄一直線で結んでおる事は御承知の通りです 国分寺は早い時期から開設された駅であり尚且つ川越鉄道の分岐駅でも有ます
嘗て川越鉄道は甲武鉄道の子会社的存在として開業していますので国分寺駅の駅舎側一番線より出て居ります。若し中央線が始めから国有で有れば一番線ホーム外れに別ホームを作つて乗り入れるのが定石です。此の図の時代私鉄である西武鉄道国分寺線が国鉄国分寺駅一番線から発車する理由は其処に有るのでしょう。後から開業した多摩湖鉄道は国分寺の高台に駅を作り乗り入ました。次に中央鉄道学園に付いて述べます。
以前鉄道学園で学園祭みたいな事が有り見学に行きました。構内は多くの校舎と実習所寄宿舎等有りました、其処までは大学のキャンパスと変わらない風景ですが、他の学校と違うのは国分寺からの引き込み線が伸びて来て敷地外縁に沿い約半周して三線位?に別れ車庫内に引き込まれて居りました(記憶が曖昧です)庫内にはC56形機関車 クモヤ92000 DD51 キハ07改架線試験車が有りました 期待していたオハフ33事故車改造の密閉展望室付特別車マヤ97?は既に廃車になり有りませんでした。
投稿: yyoshikawa | 2014年5月14日 (水) 11時01分
貴下配線シリーズでは掲載されてませんが、下川原線に付いて述べます クモハ40が平日単行運用していた下河原線は国鉄時代国鉄で一番長い駅名の付いた駅が有った事で有名でした、、然しそれはあくまで下河原線の本線から分岐した短い支線の終着駅でした。主力は貨物輸送の線でした、沿線唯一の中間駅北府中は東芝の機関車製造工場である府中工場と府中刑務所の間に有ります、武蔵野線の駅として今も有る駅です。北府中には以前数社の引き込み線が有りましたが今は東芝府中工場のみです。ユニークなのが以前府中刑務所に引き込み線が入っていました。高い塀に囲まれているが引き込み線の入る所はシャッターが有った、小学生の頃遠足で此の辺りまでバスで来たとき此の引き込み線を見た友達が有れは死刑囚を汽車で轢き殺すのだと真しやかに話していたが、戦後直ぐの時代府中刑務所の囚人を専用列車で国鉄大井工場へ連れて行き戦災で破損した車両の修理をさせていた其の為の引き込み線だと後日とある記事に書かれいました、随分後で府中刑務所の脇を通る機会が有り改めて見ると引き込み線跡の出入口部は今も残っている事を確認した次第です。北府中は以上です次に下河原に付いて話ます、東京競馬場前駅への旅客線が分岐した後下河原線は多摩川の河原辺り迄伸びてから京王線の中河原駅の近く迄線路が北向きに伸びて居りました、始めて出掛けた日中河原から探索しました、終端に小さな車庫が有り当時はそこから京王線が見えるくらいな近さでした、入れ替え用引き上げ線として使われており戻るかたちで数本の側線と、ヒューム管工場引き込み線多摩川の砂利線に分かれて居ました。構内に留置されてた貨車は殆ど無蓋車でありました。初めて此処を訪れたのはクモハ40に乗車したくて行たのですが丁度競馬開催日で101系が運用されていて残念に思いました然し国分寺まで来ると側線にクモハ40074が留置されてました。下車して写真を撮影し其の日は帰宅しました、まさか後年鉄道博物館に保存されるとは此の時はおもいませんでした。 以上
投稿: yyoshikawa | 2014年5月14日 (水) 12時07分
yyoshikawaさん、
>西武多摩湖線
同じ西武線でもホームの位置が離れているのはそのような歴史的背景があるわけですね。
>中央鉄道学園
これは楽しそうですね。多分マロフ97だと思いますが、これ目当てというのは相当なオタク感が・・・。
>府中刑務所
お友達はどこからそんな話を聞いてきたんでしょうか。
>下河原線
開催日とそうでない日とでは通る電車の長さがずいぶん違っていたようですね。クモハ40は両運で使い勝手がよいため事業用としても重宝されたようです。
投稿: f54560zg | 2014年5月17日 (土) 21時17分
国分寺の中央鉄道学園に保管されていたC56が近年神奈川臨海鉄道本牧線車庫で保存されておるとの事です 鉄道学園時代より車庫内保管でしたので当時でも保存状態は良好でした
投稿: yyoshikawa | 2014年9月13日 (土) 21時13分
10月29日所用で久々に中央線を利用しました三鷹以西高架化後初めてでどんな具合に変わったか楽しみでした 国分寺直前で地上に降り昔と同じく平面駅ですが昔とガラッと替りホーム4面4線の退避可能な配線に替りました西武国分寺線は相変らず元々のホームの儘でした
他の駅は武蔵境は高架3面3線中線上下共用と西武多摩川線が高架で隣接車両回送用に連絡線が中央線に接続 武蔵小金井は4面4線で中2本が入出庫線兼用 西国分寺は昔の儘 国立は有名な駅舎が無くなり少し寂しくなりました
投稿: yyoshikawa | 2014年11月 1日 (土) 19時02分
>名古屋に向かって左側に別れて行く2線は、確か右側が下河原線で左側が中央鉄道学園への引込み線ではなかったかと。
この分岐部分は薄く草むらに埋もれて1996年くらいにはまだ存在していました。国立の総研と中神の基地引込線を見に行ったとき、たしか列車からも確認できました。
投稿: オーイナル野焼き | 2014年11月 2日 (日) 02時47分
国分寺下河原線及び中央鉄道学園引き込線跡地中央線沿い分部は相変らず雑草まみれですが線路と土手の間に空地が残り追跡は可能ですが分岐していく先は住宅等に変り不能でした
青梅線西立川は昭和記念公園側鉄道用地境は空地として残っておりました 中神の基地引き込線は跡形も無くなってました
投稿: yyoshikawa | 2014年11月 2日 (日) 07時42分
yyoshikawaさん、オーイナル野焼きさん、立川まで高架化されてずいぶんと変わったことと思います。でも「高架化」による変化って、個人的にはどうも興味が今一つで・・・(汗)。
投稿: f54560zg | 2014年11月 2日 (日) 21時14分
KASAさんのホームページ最新版に下河原線が掲載されました 1962年1971年と1973年の三つ掲載されてます 特に1962年版には北府中から府中刑務所への引き込み線も記載てます 国分寺北府中間で中央学園への引き込み線は分岐部分のみ記載其の先は有りません
下河原線の終点下河原駅は牽引して来た機関車が引き上げ線に其の侭列車牽引で引き上げ線入線突放で入れ替えする配線です
投稿: yyoshikawa | 2018年3月 2日 (金) 20時50分
yyoshikawaさん、ありがとうございます。先月発売の「鉄道ファン2018年4月号」に「開業100周年を迎えた 西武多摩川線のいまむかし」という西尾恵介さんの記事が掲載されているのですが、そこに西武多摩川線が赤線、下河原線が青線で記された地図がでており、北府中から伸びる4つの専用線も描かれていて、下河原線と南武線、武蔵野線との位置関係がよくわかる地図だなと思いました。
投稿: KASA | 2018年3月 3日 (土) 21時44分
KASAさん、またまた貴重な資料ありがとうございます。改めてコメントをさせていただきたいと思います。
投稿: f54560zg | 2018年3月 4日 (日) 18時17分
板橋駅の貨物扱い所は旧中山道の踏切を挟んで十条駅方新中山道立体交差間に設けられており配線図からも見て取れる板橋駅方から突っ込む配線ですので入れ替え用に常にDD13が常駐していました
板橋駅の構内部東側はセメント工場の専用線西側は食糧倉庫専用線があました 現在食糧倉庫跡地は現在マンションに変わり東側は何れ品川構内の山手電留線移転用地になる筈です
余談ですが同じ様な配線の大崎駅の場合は構内外れの山手通りと目黒川間に貨物扱い所が有りましたが引き上げ線から押し込み入れ替え出来ましたがやはりDD13が常駐してました
投稿: yyoshikawa | 2019年1月 6日 (日) 07時58分
板橋駅の西側の貨物用地が早いうちにマンションになってしまったのと対照的に、東側(セメント工場があった側)は長年放置状態でレールも一部残っていました。それが今になって“瓢箪から駒”とでも言いますか、品川駅改良工事の受け皿として活用されることになったわけですね。今では3線の電留線が完成しており、すでに乗務員訓練が始まっているようです。来る3月のダイヤ改正で品川駅の山手電留線が廃止される模様なので、同時に板橋の電留線が使用開始されるのでしょうね。
投稿: クモイ103 | 2019年1月 6日 (日) 08時52分
品川電留線が廃止されると早朝の田町回送中線折り返し外廻田町始発の運用も消滅するのでしょう
投稿: yyoshikawa | 2019年1月 6日 (日) 13時38分
今年もよろしくお願い申し上げます。今年も本文記事や多くの方々のコメントを拝読していろいろ発見したり、学ぶことができればいいなと思っております。
板橋に電留線ができるとは本当に驚きました。「昼寝」をする車両とかもあるのか楽しみです。
赤羽寄りには駅ビルもできるようで、昔の雰囲気はなくなってしまうのかもしれませんね。
投稿: KASA | 2019年1月 6日 (日) 18時47分
皆様
板橋駅は個人的には地味な駅(失礼)なのですが、電留線設置で脚光を浴びていますね。
〇〇板橋派出とか名前はつかないでしょうか。
投稿: f54560zg | 2019年1月10日 (木) 19時28分
今朝新しく板橋駅に設けられた品川駅山手線電留線代替電留線状況を見て来ました
旧住友セメントプラント跡地部分に新たに設けられました 本線側二線はホーム真ん中付近にコンクリート製車止めが作られてます奥の一線は少し池袋寄りに車止めを設けてます
手前二線が池袋寄りで合流板橋池袋間に有る踏切の池袋寄りで奥の一線が合流してますが上下線間の渡り線は設置されて無いようです電留線へは逆走するのでしょうか・・
東急田園都市線梶ヶ谷駅に大井町線用電留線が有りますが上り線側のみに合流する配線ですので電留線に入場するには溝の口梶ヶ谷間で本線逆走します輌駅間は隧道を挟んでいます
投稿: yyoshikawa | 2019年1月21日 (月) 18時46分
下り本線から電留線に進入するための渡り線がちゃんと設けられていますよ。
東武東上線の北池袋駅のあたりに位置するので、板橋駅のホームからだと遠くて良く見えないかもしれませんけど。
なおご参考までに、この板橋駅や品川駅関連の工事などが、下記のサイトで詳細にレポートされています。
サイト名「日々是鉄日 すいごうの日常雑記帳」
URL:http://suigousblog.cocolog-nifty.com/blog/
投稿: クモイ103 | 2019年1月21日 (月) 20時45分
板橋から埼京線に乗車した時渡り線分岐部の通過音が聞こえなかったので感違いしたのです
投稿: yyoshikawa | 2019年1月22日 (火) 13時22分
yyoshikawaさん、クモイ103さん
情報ありがとうございます。
yyoshikawaさんからいただいた写真は記事にしました。
投稿: f54560zg | 2019年1月23日 (水) 20時52分
yyoshikawaさん、クモイ103さん、f54560zgさん、こんばんは。
たしかに板橋の新しい渡り線の通過音は静かなんですよね。私も最初気がつきませんでした。
貨物取扱があったころの渡り線は、現在と方向は同じですが、結構、大きな音が響いていた記憶があります。
投稿: KASA | 2019年1月23日 (水) 22時16分
KASAさん
それって、何か特殊な分岐器なのでしょうか?
投稿: f54560zg | 2019年1月27日 (日) 17時42分
f54560zgさん、こんばんは。
弾性ポイントのようです。
ただ、ノーズ可動式とかではありませんでした。
投稿: KASA | 2019年1月28日 (月) 00時19分
KASA様ご指摘有難うございます どうりで分岐部での通過音がしなかったので感違いしてしまったのです
投稿: yyoshikawa | 2019年1月28日 (月) 12時16分
KASAさん、yyoshikawaさん
普通の固定のクロスでも静かになるんですね。
投稿: f54560zg | 2019年2月 3日 (日) 19時09分
新鶴見の下り品鶴線と須賀線湘南新宿ラインの分岐部のクロスも静かで何時の間にか分岐を過ぎている
可也な高速走行区間であるが静かです
投稿: yyoshikawa | 2019年2月 7日 (木) 17時59分
今日午前中板橋駅の渡り線の確認に行きました確かに対向渡り線が東武北池袋駅ホーム脇に有りました
思い違いでした
投稿: yyoshikawa | 2019年2月11日 (月) 20時33分
今日発売の鉄道ピクトリアルは特集中央線130年に祖田圭介 中央線国電区間の配線今昔に中野荻窪三鷹武蔵境東小金井武蔵小金井国分寺下河原立川豊田八王子浅川高尾の各駅の1950年代と現状の配線略図が掲載されてました
投稿: yyoshikawa | 2019年9月20日 (金) 18時32分
yyoshikawaさん
じっくり読ませていただきます。
投稿: f54560zg | 2019年9月22日 (日) 17時57分
昨年イカロス出版から創刊された雑誌VintageRailsの最新巻2020VOL2特集東京が変わった1964~1970に 消えていった23区の煙板橋のD51 滝本一臣氏撮影記事平井憲太郎 1965年頃板橋駅構内の住友セメント生コンクリート工場への大宮から一日一往復のセメント列車を牽引していた大宮区のD51による板橋での入れ替え状況を組写真で構成してました 当時板橋に蒸気機関車が来ている事は趣味誌にも記事が出ており見に行きたかったのですが我が家とは都心を挟んで正反対の地であるので子供心に遠い地でした 大宮から積車タキを前進運転で牽引板橋のセメント工場引き込み線で入れ替え後空車のタキを後進運転で大宮へ戻って行く運用でした此の当時都内に来ていた蒸気列車は他には成田線の通勤列車房総方面の貨客列車位になってました 入れ替え運用では大井工場のC12位でした
VintageRailsは最近の雑誌では珍しい玄人好みの雑誌ですが価格が少し高いのが難点ですが季刊雑誌らしく今回が創刊二号です 創刊号も購入しました
投稿: yyoshikawa | 2020年5月 1日 (金) 17時34分
yyoshikawaさん
ご紹介ありがとうございます。ちょっと気になる雑誌ですね。
投稿: f54560zg | 2020年5月 2日 (土) 12時14分