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2009年7月 7日 (火)

間藤 1986/8/17

足尾駅の記事でT.Mさんに先回りされてしまった間藤駅です。

ポイントは2つ。
・昔はスイッチバックだったこと。
 (実は訪問時は知らなかったのですが・・・)
・旅客営業はここまでですが、線路はこの先足尾本山貨物駅まで
 続いていた(であろう)こと。
 (この時点では貨物営業は休止状態だったようですが。)

19860817b01
桐生方です。
一応、終端駅ではなく中間駅になるんだと思います。分岐器も信号機もないような単線区間の中間駅で列車が折り返すというのは結構珍しいのでは?

19860817b02_2
桐生方からです。
左側のホームの残骸がスイッチバック時代のものらしいです。
(それにしても本線とホームが近いです。ふつう、スイッチバックの駅だともっと離れた位置関係になりますよね?)
線路は続いていますが、バラストが赤茶けているところまでしか列車は入らないんでしょうね。
ちなみに人物は奥さんです。

19860817b03
かつてはこのあたりに貨物側線が設けられていたんでしょうか。
スイッチバックといっても、さほど高低差はありませんね。
線路に沿って先へ進むと、

19860817c01
多分、足尾本山駅の場内信号機だと思います。
まるでディズニーランドのアトラクションのような光景ですね。

19860817c02
線路は写っていませんが、妙にひきつけられた「足尾の印象」です。

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コメント

先回りしてしまって申し訳ありませんでした。
間藤まで行ったのは2年程前の8月ですがわ鐵の気動車がオーバーヒートのためか冷房が全然きかなくてまいりました。間藤駅のトイレの手洗いの水の冷たくて気持ち良かったこと。
なまじ冷房装置がついていて風が出ているために窓を開けずにいました。
放送で案内してくれれば窓を全開にして風をいれたのに。

冷房が当たり前の今では、ヘタに窓を開けると白い目で見られてしまいますよね。
冷房のなかった昔は当然窓を開けていましたが、列車のトイレはタレ流し方式でしたから、今考えると・・・。
この次の記事を当てたらスゴイですね。私もまだ考えてませんから。

【間藤】真岡や足尾など、T.Mさんの貴重な所蔵資料により謎解きをしていただき、心強い限りですね。 オーバーヒートといえば、2000年夏の矢岳越え、いさぶろうが峠の途中で止まってしまい、こんなこともあるんだと… 機転の効いた運転士さんの観光案内に今日の肥薩線を垣間見た気がしました。   私の足尾線の印象はC12の重連で、神土から足尾への33.3‰を行くタンクロコが昭和40年代半ばまで見られたようです。今はダムによる水没でトンネル区間もあるようですが、桜並木に渓谷の連続、特長的な岩山など当時から魅力的な路線ですね。 間藤のスイッチバックは、25‰強の勾配区間に駅を設置したためらしく、貨物列車がホーム側からダブルクロスを渡り、折り返し線から終着の本山に向かっていたようです。ちょうどホーム端スロープの先辺りが足尾方にあるダブルクロスの端で、山肌側のダブルクロスの端を過ぎて直ぐに本山方へ分岐していたようですね。ですので、短いホームと山肌の狭い間にダブルクロスから平行した2本の線路に、斜めに分岐して本山へいく3本目の線路があったようです。 f54560zgさんの奥様がモデル?の写真、秀作ですね。二十数年前、盛夏の足尾線を訪れた、お二人の物語が聞こえてきそうです…。

C12の重連にスイッチバック、それにいまだ良く実態のわからないナゾの足尾本山駅と、足尾線って魅力の多い線区だったのですね。
実は茂木の記事の1枚目の写真のやや左側の畳一畳分(深い意味はありません)ほどの黒ヌリにも写っていたんです。まあ、二十数年前ですからねぇ・・・。

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