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2009年7月 8日 (水)

常陸太田 1986/11/24

正式名称は水郡線ですが、「常陸太田支線」とかいった通称があるのでしょうか、その支線の終端駅です。

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線路が1本だけの最小限の設備です。

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でも、おそらく昔は線路がいっぱいあったであろうことを思わせる構内です。

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墓石のような車止めの脇には何と給炭台が・・・・。

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531Dが到着しました。折り返し532Dとなります。
キハ402139です。

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オマケの上菅谷です。安積永盛・常陸太田方からです。
妙に起伏の少ない構内です。

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下り出発信号機です。

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水戸方からです。

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コメント

常陸太田駅は昭和30年の配線略図によりますとホームに面した一番線から左側に四番線まであり各線が下り方でまた1本収束しています。収束したその先の方は高倉専用線となっています。
専用線は水戸方にもあって場内信号の内側で水戸に向かって左側に日鉱専用線が分岐しています。
四番線は下り方で分岐してその先は給水線と書かれています。
貨物側線は本線が収束した先で水戸方へ向かって左側に二本ありました。

上菅谷駅は上り本線、下り本線の他に上り一番線、二番線、下り一番線~四番線とありました。水戸方には上り本線、上り一番線、上り二番線に対応する安全側線の他に下り一番線~下り四番線の
上り方に対応する安全側線があります。

そうでしょうね、がらんとただっ広い構内でしたから。ひょっとしたら茂木や烏山もこの頃にはきれいさっぱりになっていたのかもしれませんね。

本日、地元の方が太田線と呼んでいる水郡線の支線に乗って、常陸太田に行って来ました。白いコンクリ-トの車止めは時を経て風景に同化し、もしやと思った石炭台は当然無く、構内は駐車場と公園になり敷地はかなり狭くなっていました。すぐ向かいにある旧日立電鉄の常北太田駅舎はバスの待合室となり、ホーム跡地は夏草に覆われ荒れ放題。駅前の看板によると付近一帯の再開発計画で風情ある常陸太田駅も取り壊され近代的な駅になるようです。なおズボラな私はネガ、ポジの管理がごじゃっぺ(茨城の方言)で、ご希望通りに写真をお見せできなく申し訳ございません。

沼津区さん、お疲れさまでした。
大変失礼ながら、太田線は距離の短い盲腸線ですので行く末がちょっと心配だったのですが、再開発ということはそんな心配は無用ですね。

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