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2009年7月10日 (金)

潮干狩号 1977/5/17

初めてですね、駅でなくて列車がタイトルなのは。
まあ、ちょっとひと休み、ということで・・・。

19770517a01
1977年5月17日、両国駅。
8:43発の9121M「潮干狩号」木更津行きです。
「急行」と表示されていますが、正しくは「快速」です。
「潮干狩号」は1977年前後の何年間か、毎年GW頃になると両国発着で運転されていたように記憶しています。ちなみに1977年の運転期間は4月18日(月)~4月22日(金)と5月16日(月)~5月20日(金)で、すべて平日でした。

19770517a02
この頃は両国駅の列車ホームがまだまだ元気で、季節列車を含めるとなんと20往復もの急行電車が発着しており(急行電車はこのほか新宿発着が6往復あり)、内房・外房・総武・成田・鹿島線方面とを結んでいました。

19770520a01
これはこの年の最終日、5月20日の小岩駅です。
おそらくアサリを大量に輸送していると思われる上りの9122Mです。

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コメント

この当時の両国駅行き止まりホームは今より1面多かったのでしょうか。今は保線車両が留置されていますけどホームがあった形跡は分からなかったです。

この当時、ホームは2本あって、1本は両面、もう1本は片面、合計3線ありました。なんたって、20往復もの急行電車が発着しますので。

ぼんやり両国駅を考えると、小生自身は貨物駅だったことに重きを置いてしまいます。秋葉原方への、隅田川の渡河のためのスルー構造の高架と中高架の旅客設備(行き止り2面4線)と、そこからスイッチバック式に下がる貨物施設です。自身がいつも記した船渠設備として、隅田川に繋がっている構造を有した貨物駅設備で、因みに図面上転車台も設備内にあったようです。DC天国と称された千葉局の表玄関ですが、新宿駅まで足を伸ばした列車があったのも確かです。それも品川に伸びるトンネルが出来、さらには海岸側に高規格の一線がなんとか生まれて、特急がそれに移され、寂しさに託ってしまった印象が拭えません。広い河川をわたるという命題を運命付けられた駅かもしれません。

かつての房総方面へのターミナルですから、貨物設備や転車台など、いろいろ賑わっていたんでしょうね、この1977年時点ですらほとんど痕跡がありませんが。
確か錦糸町には客貨車区(新小岩の支区?)もありましたね。
写真の5番線ホームはまるで仮ホームのような粗雑な造りですが、機回り線をつぶしたから?、などと想像してしまいます。

 両国駅、知りうる限り頭端式部分は当初から2面3線(ホームのある箇所のみは)だったと思います。5番線ホームの使用はかなり昔に停止され、4番線も後年柵が設けられて(旅客用としては)使用不能になり、今は3番線のみ臨時ホームとして現役のはずです。
 両国駅の旧駅舎、今でこそ飲み屋になってしまいましたが、その姿は上野駅しのばず口のそれを彷彿とさせるものです。往時は房総方面の玄関口として、それなりの威容を誇ったのでしょう。

例ビッグなどさん、多分昔は客車列車も発着していたと思うのですが、機回し線とかもあったんでしょうか。5番線のホームが仮設っぽいのが気になります。
線路が隅田川を越えるまで、両国駅は30年近く終端駅として機能してきたわけですから、きっと威風堂々たるえきだったのでしょうね(今では飲み屋ですか・・・)。
ところで、「例ビッグなど」って、どのような意味なんでしょう?前から気になっていたもので・・・。

驚いたのですが、goo地図で、東京の昭和の航空写真を地図とリンクさせていて、ここ両国や錦糸町(古くは本所)両駅の古い姿を上空から眺めうることが可能です。自身はこの墨東辺りと田端周辺だけ観たのですが…、何せ設備が多い上に、東京は広い!

SYさん、見ましたよ。昭和38年ですね。
2面4線と思われるホームに多数の貨物側線、それに転車台。錦糸町の客貨車支区も。いずれも広いですね。
それにしてもこんなものがこんな簡単に見られるなんて、便利な世の中ですね。

 1890年代後半東京には五か所の頭端式ターミナル駅が存在して居りました南方面は作業局新橋駅西方面は甲武鐵道飯田町駅北方面は日本鐵道上野駅東方面は総武鐵道両国駅の四ヶ所と東武鐵道浅草駅(業平橋)でした宛ら欧州の首都並でありました駅の規模は遥かに及びませんが日本の他の都市では考えられ無い事です矢張り日本の首都だからなのでしょうか 両国駅は当初より土盛りで駅の嵩を上げておりました低地の江東地区の洪水対策を兼ねておりました 旅客ホームは二面四線四番線と五番線の間に機廻し線が一本有りました ものぐさ親父のいまさら鉄ちゃんと云うサイトに1964年頃の両国駅の画像が有りました当時の総武線は千葉迄電化の時代其処から先はSLとDCの天下でした 両国駅も貨物扱いをしており貨物列車も旅客ホーム線に入線してから機廻しして旅客ホームより下の貨物ヤードへ貨車を引き込んでいた 
 総武緩行線を収容後両国から暫くの間明治時代よりの上路ガーター橋で錦糸町の手前迄向い駅直前で築堤に替りました錦糸町では築堤下に貨物駅と客車区が大通りを挟んで相対しておりました
 

 鉄博企画展東京駅開業100年記念100年のプロローグの展示物の中に総武線御茶ノ水両国間高架線平面図と云う図面が展示されておりました図の右端に両国駅の詳細な配線も記載されており一見の価値が有ります 総武鐵道時代本所両国橋間は市街地を通る関係で当初より高架で結ぶ事で延伸工事を施工したこれは日本で初めての高架区間でした

yyoshikawaさん、子供の頃は比較的総武線に近いところに住んでいたんですが、ほとんど接点がありませんでしたね。貴重な写真が見れるサイトのご紹介ありがとうございます。

 両国駅の貨物扱い線艀溜まり付近は二回位スイッチバックせぬと貨車を送り込めぬ構内配線です昔の駅配線には理解不能な配線が時々見られます

yyoshikawaさん、昔はあまり「効率」というものが意識されていなかったんでしょうね。

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