« 1975 池袋 | トップページ | 1975 千葉気動車区・蘇我 »

2009年7月28日 (火)

1975 千葉・東千葉

Photo

多分50-3改正直後ぐらいの時期だと思います。
初めて千葉駅を訪れて、総武線ホームと房総方面のホームがハの字に開いた格好になっているのにちょっとびっくりした記憶があります。
この頃は総武線の複々線化は津田沼まででしたが、千葉駅の東京方は将来の複々線化を見越したような配線になっています。1・2番線が電車ホームですので、おそらく東京方の複線分岐で、電車と列車を振り分けていたと思うのですが・・・。
でも、0番線はひょっとして貨物用? となると、そう単純ではないのかもしれませんね。

Photo_2

最初にまた訂正をひとつ。最も銚子方に、銚子方から駅上方の側線群に入れる渡り線を書き漏らしました。スミマセン。

最初にここを訪れたときの印象は、「ナゾの駅」でした。なぜか側線がいっぱいありましたので。後で知ったのですが、ここが昔の千葉駅だったところなんですね。だからやたらと多くの側線が名残で残っていたんですね。

ちょっと調べたら、千葉駅の車扱貨物の取扱い廃止は1975年5月、対する東千葉駅は開業当初から旅客専用駅。ということは、側線群は千葉駅の構内、ということなのでしょうか。

またもうひとつナゾだったのが、配線図の※印の線路。先がどうなっているのか知りたくて、線路に沿って(線路の中を?)てくてく歩いたら、すごく変な場所にたどり着いた記憶があります。
確か「千葉レールセンター」という看板があったように思うのですが、車庫ありトラバーサーあり、一部は3線軌になっていました。
ほとんど使用されているような気配がなく、廃墟のようでした。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 1975 池袋 | トップページ | 1975 千葉気動車区・蘇我 »

コメント

千葉といえば、古くは貴婦人となったC55の63号機(C57-1)の配置で有名ですね。 私にとっては千葉機関区や千葉気動区も謎めく車両基地の一つです。 千葉をはじめ、房総半島は車両基地や転車台の設置場所も多く、自身としては隈なく訪れたかったのですが、入口の新小岩を訪れた時、当時の成田警備の影響か門前払いを食ってしまい、全く脚を踏み入れることなく今日に至ってしまいました。 房総地区は佐倉機関区が有名ですが、黎明期には成田にも機関区があったらしく、その全容を解明したい地域です。 私は鷹取や吹田などの鉄道工場のトラバーサーしか、はっきり見たことがなく、こちらの現場設備としてのトラバーサーは、さぞ壮観だったことでしょうね。

千葉駅は、外房方に対して大網駅と共にゼット型のスイッチバックを成していた駅で、これまた永らく疑問の駅で、両駅とも改良されたことは衆知の通りです。旧千葉駅に関し今や地図からも航空写真からも片鱗は読み取れないのですが、かつては分岐の間に機関区があり、現在の駅前広場に比定される位置にあったと思います。問題のレールセンタですが、旧鉄道連隊の陸軍兵器補給廠と関連があり、モノレール線に沿い地図上競輪場当たりから経済大へ延びる曲線状の道路がそれに関係しますが、トラバーサを有する設備だったんですね。さて旧駅の構造については支線を分ける中間駅のような感じで、スルーで島式を含め3線、貨物11線と、東側は房総線関係行止まり1線と機回し、貨物4線だったようです。千葉局管内では、“E10”さんが仰る通り西千葉にあった、綺麗な線形の千葉気動車区がDC天国を支えていたのだと改めて思い知らされております。さらに牽引機に関し新小岩と佐倉区が側面的に支えていたのでしょうか。本当は機能面から複々線や幕張区が完成した時には心なしか喜んだことは確かで…。

E10さん、SYさん
千葉気動車区については、写真がなくて申し訳ないのですが配線図だけ掲げて記事にしました。
千葉機関区は正直知りません。新線と旧線で囲まれたデルタ地帯にあったということでしょうか。
千葉レールセンターについてはメモにあるとおりに配線図を描いたのですが、トラバーサーについては全く記憶がありません(汗)。
とにかく、「異様な一帯」という記憶だけです。
「吹田や鷹取のトラバーサーをしっかり見たことがある」というのは、結構すごいのでは?

東千葉裏の謎のトラバーサーですが多分推測ですが旧鉄道連隊の施設ではないでしょうか津田沼から松戸や千葉を通って成田辺り迄鉄道連隊の実習線が引かれており東千葉の施設は鉄道連隊の修理工場で有った様です

y yoshikawaさん、おっしゃる通りもとは軍事関係の施設のように思います。写真がないのでお伝えできないのですが、なんとも不思議な場所でした。

旧千葉駅裏の謎の引き込み線 旧日本陸軍鉄道第一連隊の跡で多分1435mm 1067mm 600mmの三種類の軌道が引かれていた筈です 1435mmはミカ型一両実習用に保有していたそうで1067mm古い4-4-0等が実習用に保有600mmは双子やK型等 当然乍97式貨車100式軌道牽引車等保有していた筈です 

y yoshikawaさん、3線軌ではなく4線軌だったかもしれないわけですね。

こんばんは。
こちらの記事も楽しく拝見しました。
以前に西千葉にあった千葉気動車区の記事も拝見しましたが、昭和後期に、千葉の鉄道は大きく姿を変えたのだろうと思います。
電化、複々線化、東京地下駅の開業と立て続けに起きた変化は、今に至る鉄道の形になった一方で、古い設備を置き換えてしまったのでしょうね。
既に失われた千葉の鉄道の設備を見てみたいと思いながら、なかなか写真などのリアルな史料にはたどり着けず、今でも時折探したりしています。
今後とも、宜しくお願い致します。
風旅記: http://kazetabiki.blog41.fc2.com/?pc

KASAさんのホームぺージ最新版に1966年の千葉東千葉配線図がアップされました 其れによると当時千葉東千葉間の三線区間は各線供両通運用つまり単線三本平行敷設と云う珍しい配線でした後日通常の複線方式に変更され現在の状態になりました

追伸千葉東千葉間は近い距離の為1966年当時は両通線構造にしていたのではと思うのですが如何でしょう
三線の内一本は貨物単線の為両通は理解出来るのですが旅客複線が両通なのは何故なのか
東千葉駅千葉方のダブルクロスで通常の左側通行に戻って東千葉進入と云う形をとっていました

yyoshikawa さん、こんばんは。拙HPについて触れていただきありがとうございます。

これは私の推測でしかありませんが、「旅客複線が両通」なのは、千葉~東千葉間の距離の短さに加え、カーブがあることと、将来のホーム延伸、さらには、9,10番線ホーム新設後の線路配置を見越していたからではないでしょうか。

もし、東千葉駅千葉方のダブルクロスではなく、もっと千葉寄りで7、8番線の振り分けを行うとすると、やはり曲線片渡りを2組入れるということになるのでしょうか。いろいろ考えられて興味深い点が多いですね。

yyoshikawaさん、KASAさん、千葉~東千葉間の特殊性はおしゃる通りかなあと私も思います。とは言え、変わっていますよね・・・。

現在千葉駅総武本線側もホームがもう一面増設4線化されましたので単線両通運用は廃止され通常の複線運用に変わりました NEXが走る様になった関係で
ホーム増設工事を行ったのでしょう
其れにしても千葉駅は不思議な駅だと思うのです東京側に扇の要の立体交差で総武本線方面と房総線方面を分け两線が別れる所に駅ビルを建てると云う他の駅では余り見かけぬ駅配線だと思うのですが如何でしょうか

yyoshikawaさん、そうですよね、なかなか珍しい、変わった構造ですよね。

初めまして。時々覗かせていただいています。
地元「千葉」の記事、楽しく拝見させていただきました。少し気になったことがあったのでコメントさせていただきます。
皆さん珍しいとおっしゃっている「現」千葉駅、自分も不思議に思っていました。

千葉市街の再開発の途上、狭い旧駅とその周辺部は第二次世界大戦後復興するにつれすぐに問題になった様です。(元々旧千葉駅は市街地の外れに位置していた)そこでその対策・・・と言うことで駅の拡張と市街地整備を行ったのでしょうが、千葉駅周辺の総武本線には意外にも平坦な場所がほとんどなく、(台地の縁を通したような感じ)まとまった平地が確保できなかったんでしょう。(現千葉駅は1階である東口から改札に入って階段を上ったはずなのに9・10番線ホームから北口方向を見たら高架じゃなくて地上ですし・・)幹線道路の配置や再開発用地などを勘案したら、そこしか場所がなかった・・・とも思われます。さて、移転した千葉駅。移転に伴って困った点もあった様で・・・転車台がなくなってしまい、SLの方転が出来なくなってしまったこと。転回には隣の西千葉にあった千葉気動車区や蘇我まで回送していたこともあった様です。もっとも当時はすでに「気動車王国」化していた千葉ではあまり問題にならなかったでしょうね。
ところで、記事中にあった昭和50年に廃止になった車扱貨物をどこで扱っていたのか・・・
きっと見かけたはずなんですがさっぱり記憶にありません。そこで古い航空写真を探してみました。結果は・・ズバリ車扱貨物は旧千葉駅のあったあたりで行っていた様です。1975年1月の航空写真で小規模ながら荷役線があるのが分かります。(今の千葉市民会館の反対側、千葉公園側)旅客線からは死角になっていたので気づきにくい位置なので記憶に無かったというオチでした。そう考えて思い出してみると、怪しい引き上げ線の痕跡が今も東千葉駅の都賀方に残っているのを思い出しました。旅客駅移転後もずっと同じ位置で貨物扱いしていたんですね。

ちなみに・・コメントにあった千葉駅第5ホーム(9,10番線)の使用開始は1984年、成田エクスプレス運転開始が1991年なので関連性はないと思われます。ホームの増設は列車増発(主に総武快速線)のためだったと記憶しています。第5ホーム開設後第4ホーム(7・8番線)を閉鎖して嵩上げ等の拡張工事をやっていましたね。ナツカシイ・・w
千葉駅0番線についてですが、貨物用で、今も存在します。本来は蘇我方から来た上り貨物列車は0番線に入り時間調整を行った後、総武緩行線を「よっこらしょ」とまたいで総武快速線へ出て行く(下りは6番線通過で今も昔も同じ)のですが、現在は千葉駅舎建て替えによる工事車両を通すために使用停止になっています。現在貨物列車は京葉線を利用するルートが主流になっているため、千葉駅工事が終わっても使用再開されるかどうか微妙ですが・・
そうそう、11/20に新駅舎が開業します。狭い場所でだいぶ難しい工事だったみたいですが、無事開業しそう。

千葉レールセンター・・・ありましたね~「トラバーサ」。確か閉鎖直前、DE10の牽く列車を現地で見た覚えがあります(^_-)v
自分が行ったときもまるで廃墟のようでしたw

長文で失礼しました

千葉駅が現在位置に移転したのは嘗て旧千葉駅で外房線内房線に向かう直通列車はスイッチバックせねばならぬ特に客車列車や貨物列車では機廻し作業や蒸気機関車のターンテーブルによる方向転換作業等が絡み煩雑になるので両国から直接向える様現在位置へ駅移転させ便を良くしたのです

追記 東京(両国)から外房線へ向かう直通列車は千葉で一度スイッチバックさらに大網でもう一度スイッチバックしてました 確か千葉駅改良と同じ頃大網駅も現在位置に移転旧線は其の儘貨物用に存続其の為デルタ線を形成してます 大網同様の移転改良は中央東西線の塩尻駅も同様な工事で東京名古屋両方向から長野方面へ直通出来る様変更されました当然ですが塩尻にもデルタ線が存続してます

追追伸 千葉が現在の位置に移転は1963年大網駅が移転は1972年構内短絡線の廃止は1997年新茂原貨物扱い廃止で撤去されました 新茂原向け貨物列車は曽我大網間の房総半島横断ルートを避け総武本線成東経由で運行されてました

H2さん、詳細な解説ありがとうございます。当時は比較的千葉に近いところに住んでいたのですが、そちら方面を訪問することはほとんどありませんでした。千葉駅の歴史を知った上で訪問したかったですね、残念です。
yyoshikawaさん、旧千葉駅に旧大網駅、いずれも個性的な駅でしたね。同様に訪問したかったなぁ・・・。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/45758321

この記事へのトラックバック一覧です: 1975 千葉・東千葉:

« 1975 池袋 | トップページ | 1975 千葉気動車区・蘇我 »

過去の記事

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ