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2009年7月25日 (土)

1975 渋谷・恵比寿

多分1975年頃だと思うのですが、定かではありません。
私が線路配線に興味を持ち始めた頃の初期の「作品」です。
電車から、窓の外に全神経を集中させて出来上がったモノです。

写真もありませんので、配線図だけではほとんどその雰囲気をお伝えできないと思います、スミマセン。

しばらくこんなヤツが続く見込みですが、ご勘弁を。

Photo

渋谷駅の旅客ホームの配置は山手線唯一の形態です(原宿は臨時なので除外)。
旅客ホームと貨物の着発線は並列というよりは直列に近いぐらいずれていました。
貨物の着発線は、複線分岐のような形態で副本線が上下それぞれに1本づつ設けられていますが、田端方面行き(下り?)の場合はどうやって入換をするんでしょうか。牽引機では無理そうですから入換機が列車のお尻で作業をするのでしょうね。

Photo_2

恵比寿にも貨物扱い設備があり、貨物用の副本線が設けられていましたが、こちらは渋谷と違って上下共用が1本のみです。スリップスイッチが多用されています。
左下はビール工場の専用線です。

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コメント

この当時の渋谷貨物駅は、
貨物複線から上下線がそのまま平面分岐する、とっても思いっきりのイイ線路で大好きでした。
この駅の線路写真って、意外と現存するものが少ないですね(懐かしの渋谷の写真とかは人気なのに)

この当時は経済力がないもので、貴重なフィルムはどうしても車両のほうに向けられていました。脳裏にはある程度焼きついているんですが・・・。

新鶴見操車の上り方の古い資料(S33)をみると、方向別仕訳線第11番線が山手線用並びに吉祥寺駅手前の中央線用になっており(オリンピック以前!)、上り駅別仕訳線第2~5線は、池袋着中継(第2線)、恵比寿・渋谷(第3線)、新宿着中継・大崎(第4線)、大塚・巣鴨・目白(第5線)と仕訳されていたようで、台地とそれを刻む河谷に規制された山手貨物線とその設備の在りように応じて組成されていたことが何となく窺えます。多分田端や赤羽線を抱えていた大宮も同様なのでしょう。中央線の飯田町も消え、可成り大きかった新宿のヤードと積卸し設備も消え、他各駅の設備も転用されていく様になり…スルー貨物も含め、蒸気であろうと電機であろうと、このかつての花形線区の地形を巧みにこなしていたのであろうと、渋谷の図を見直してふと思い直して了いました。

山手貨物線や城東貨物線など、大都市近郊で客貨を分離するために建設された貨物線は、貨物需要の減少で旅客線として有効に活用されていますね。
でも私としてはやっぱり「貨物線」が好き!
飯田町もカッコよかったのに・・・。

 渋谷駅は開業時貨物駅の所に旅客駅も有りました複々線化の時今の所に旅客駅は移動しました
 昭和30年代渋谷外廻りホームに昔の渋谷駅の絵画が壁に掲げて有りました何時の頃か外されてしまいました 以前は山手貨物下り副本線にも引き上げ線が有りましたが渋谷駅のカーブ緩和時に撤去されました 其の為下り到着貨物列車は後部に渋谷到着貨車を繋いでDD13が列車後部の到着貨車を引き上げ発送貨車を連結させて居ました牽引機は発車迄動かず入れ替え済むのを待って居ました

y yoshikawaさん、確かに下り貨物列車の入換については「どうやってやるの?」と思っていましたが、牽引機はじっとしていて後ろのほうでDD13がゴソゴソ・・・、なんですね。ありがとうございます。

湘南新宿ラインと埼京線が運行する様になり恵比寿と渋谷は貨物駅跡に一面二線の棒線駅が出来ました せめて恵比寿駅位は方向別に出来なかっと思います 関東の複々線は殆ど路線別複々線ですので乗り換えに不便を来す事です 関西は方向別複々線ですから近距離から中距離又は其の逆でも乗り換えはドアtoドアで済みます 東京では京浜東北線と山手線の田町田端間 中央線と総武緩行線のお茶ノ水駅 山手線と総武緩行線の新宿位です(飽く迄国鉄JR関係私鉄は別)東京の殆ど複々線は旅客貨物別複々線から始まった関係から後に貨物線を旅客化した為乗り換えが不便な路線ばかりなのです 

yyoshikawaさん、そうですね、関東では貨物が重視された結果でしょうか。逆に関西では方向別のために貨物扱いで苦労したのでは?

 大井町駅で嘗て中線が有った事で話で盛り上りましたが 恵比寿駅の目黒寄りにも中線が存在してました 何時撤去されたかは失念しました 他にも新宿 巣鴨に中線が有りましたが全て無くなりました 以上

yyoshikawaさん、私の知るころでは新宿は荷電用として使われていたように思います。恵比寿や巣鴨は多分私の生まれる前?・・・・。

 最近見つけたのですが山手線雑学と云うサイトに1950年代の渋谷駅の配線図が掲載されておりました 北側引き上げ線が健在であった時代の配線図です此のサイトには他に1922年頃と1960年代の秋葉原貨物駅1914年1944年東京駅1950年代品川駅及びヤード等の配線図が掲載されております

yyoshikawaさん、情報ありがとうございます。この頃の渋谷駅では北行貨物も牽引機が入換を行っていたんでしょうね。

 渋谷駅貨物北行引き上げ線は山手線ホームカーブ緩和前の頃東横百貨店東館(東急デパート東館現解体)の脇まで伸びておりました 宮益坂より降って来た都電が山手線を潜っていたガードの)手前迄のびていました 辺りは東横百貨店東館と西館を結ぶ営団銀座線渋谷高架駅及び東横百貨店が覆いかぶさっておる場所でした 山手内廻りホームから見ると引き上げ線末端の山型車止めと停止表示灯の明りが常に点灯してるのをよく見ていました 1967年頃でした貨物駅外れの此の辺りで早朝貨物列車の転覆事故が有り丁度偶然山手線の車内から事故現場を見る事が出来ましたタキ3000がころがっていました

 追記渋谷駅の東急デパート1Fには東館西館を結ぶ平行した二本の通路が有りました中途半端なサイズの通路でした此の通路嘗て玉電が道玄坂上から専用軌道で下って来て山手線を潜り中目黒へ向かっておりました(戦前の話しです)其の後玉電は道玄坂上から高架で東横百貨店西館2Fに進入する様になり廃止されました山手外回りホームから玉電への乗り換えは其の侭のレベルで乗り換えられました 東京高速鉄道(営団銀座線の前身)が都心部から高架で山手線を越えて道玄坂脇迄伸び狭い所に車庫を作っていました其の侭二子多摩川迄延伸予定でした(東急田園都市線に変更)其の後玉電が廃止され跡地は東急バスが乗り入て来て末端にバス用ターンテーブルで方向転換してました 叉京王帝都井の頭線も神泉から渋谷駅西側からやはり高架で乗り入れて来ました此の辺りは後に道玄坂上迄伸びた長い商業ビルに変りビル内には東京メトロ銀座線車庫が今でも有ります

 JREはオリンピックを目指し渋谷駅の改築を開始すると新聞記事に有りました 東急東横線の地下化と東急百貨店東横店東館解体に伴う用地確保で山手線ホーム位置に湘南新宿及び埼京線用ホームを移転他社線との乗り換えをよりスムーズにと云う目的の移転ですがカーブの位置にホームが出来る事で見透視が悪くなるのではと思います(特にカーブの内側の4番線はかなりなのでは)
全体を内側に移動すれば少しは改善されるのではと思うのですが

 少し話しが逸れますが東急東横線渋谷駅に貨物ホームが存在しておりました 
 東横線は代官山外れから渋谷駅迄山手線を越えて渋谷川沿いに高架で渋谷へ進入しました渋谷駅も高架上です其の高架上渋谷川方に貨物ホームを設けました貨物の揚げ降ろしは大型エレベーターを使用しておりましたが此のホームに貨車が入線していたのを目撃したのは1回位か・・記憶は定かでは有りません  (普段は荷物電車で各駅から手荷物を扱い田園調布の貨物駅で国鉄貨車に積み合えて発送していました到着貨物は荷物電車に積み替え東急線各駅へ送ってました)東急渋谷は数時に渡り構内配線を変更しており最終的には8輌編成化の折貨物ホームを廃止用地確保しました 其の後副都心線乗り入れのの為代官山から地下に入り高架区間は廃止にまりました 渋谷は地形的に見ると窪地渋谷川沿いを除くと全て台地に上がらねばなりません 有名な話に田舎の人が地下鉄に乗りたいがと聞くので4階に上がりなさいと言うと其の田舎の人は地下鉄が上?馬鹿にされたと思ったのでしょう(今は副都心線も半蔵門線も地下ですが)此の話の時代は銀座線だけの頃です 銀座線は青山通り下に敷設されてますが其の侭のレベルで渋谷に向かうと東急百貨店4階に進入するのです如何に渋谷が窪地化が解るのです 因みに銀座線の終端部は道玄坂上端より低い位置に有りました(其の侭二子多摩川迄延伸の予定でしたが新多摩川線として実現 現田園都市線)井の頭線もトンネルで渋谷に来ております田園都市線地下部は首都高橋脚工事と同時に建設され当初銀座線が通る予定でしたので断面が少し小さく建設され途中で田園都市線乗り入れに変更された現在に至ってます 地下区間は架線を東急式コンパウンドカテナリにしたのもこんな関係からです 又脱線しました

yyoshikawaさん、渋谷駅付近の地形についてはあまり詳しくはないのですが、「地下鉄が4階」という話を聞くとおっしゃる通りの窪地状態が実感できますね。

 恵比寿駅は当初日本ビール工場の貨物扱いの為に設けられた駅でした
 さて日本ビール(サッポロビール)工場引き込み線配線図上では判別出来ませんが引き上げ線が恵比寿方より工場入口に入る辺り工場構内側線とは高低差が3~4m位有った然し大崎より工場末端部は山貨本線と同じレベルでした 
 大崎から渋谷迄の間は目黒川沿いの谷から渋谷川沿いの谷迄尾根を越える関係で平地の大崎駅外れから築堤と切り通しで勾配を稼ぎ上大崎付近の山手線と山貨線が立体交差する辺りをサミットとなっています 此の辺りに以前踏み切りが有り山手線の数少ない踏切の一つでした立体交差の恵比寿よりですので山手線と山貨線との間に別々にあり其の間をS字坂で結んでいました 現在は歩道橋架け踏切は廃止されましたが用地は今も識別出来ます
 サッポロビール工場引き込み線一本は貨物扱いホーム今一本は引き上げ線の延長ですニ線は配線図どおり片渡り四組で連絡しておりました
 大崎寄り末端部に小型のホッパーが有り中にはビール瓶を砕いて粉砕したガラス屑を時たま無蓋車に積んでました(ガラス工場に運び再度ビン等に再生)貨車の入れ替えは普通ですと入れ替え機(貨車移動機)を使用するのですが此処ではアントを使用して入れ替えてました
 貨物扱い廃止後引き込線にEF58とスハ43形客車(最終的には6輌)を留置ビアステーションとして開業(仲間内で一度行きました)此のビアステーションのEF58はブルトレ塗装されておりました
 後年工場移転及び再開発で閉鎖され車両は廃棄されたのか或る日忽然と消え去りました
 恵比寿ガーデンプレイス完成後ガーデンプレイス用地と山貨線との間に線路一本分の細長い用地が取り残されて居る所を見ると引き込み線の内本線側は国鉄所有であったようです

 鉄道ピクトリアル臨時増刊東京急行電鉄特集の中のグラビアページに東横線渋谷の地上駅時代のコーナーに1948年に杵屋栄二氏撮影の終戦直後渋谷駅の写真に当然ながら鉄道省渋谷貨物駅ヤード部が写り込でおります 新宿側引き上げ線も現役時代未だ山貨非電化の頃 当時も此のコーナーの配線図と変らない上下退避線が東側に飛び出た廃線ですと云う事は貨客分離複々線化の頃に既に此の配線で建設されたのではと思います ベルリンの大環状線に同じ様な配線の駅の写真見た覚えが有ります 1950年代後半頃恵比寿駅の入れ替えに良く来ていたのは進駐軍が持ち込んだDD12が行っていました

字を間違えてました廃線では無く配線です申し訳有りません
渋谷駅は東横線が地下に移設され東急百貨店東館の解体工事も略終了しました
東急百貨店東館には秘密が有りました 何故か地下階が存在して居ませんでした(現密には小面積の地下食堂が有りました)地下階が無かったのは渋谷川の存在が影響しておりました 現在渋谷川は渋谷駅南側からはオープンになりますが上流方向は全て暗渠になっており何処が川筋かは現在では解らない状態です 山手線の渋谷から原宿方向に少し行った処にアーチ橋が有ります今では暗渠ですが渋谷川の分水が流れてましたもう一つの分水は明治通りに沿いながら原宿穏田通りになり其の侭新宿御苑の池に向います
山手線の下を潜る方は西武百貨店AB館の間を抜けて行きますその関係から西武百貨店AB館地下では繋がってません
私の友人のとある鉄ちゃん此の川筋の暗渠道を線路跡と感違いしていた様でした
尚此の川の上流は童謡春の小川の基になったとの話が残ってます 配線図の話しから脱線しましたが悪しからず

 貨物下り引上線の廃止について

 渋谷駅のホーム曲線を緩和のため、山手貨物下り引上線を廃止することで論議があったのを覚えています 
 結局貨物が旅客に譲った訳ですが、牽引機入換ができない状況になるとは思い切った判断ですね でも貨車の組成担当は頭が痛かったものと思います

yyoshikawaさん、何とも粋なコメントありがとうございます。渋谷の歴史を垣間見ることができました。
C6217さん、貨物は厄介者扱いされていたんでしょうね。

話しは渋谷では無く隣の原宿駅に付いて記載します
御承知の如く原宿駅には誰も使えぬホームが有ります 確かに山手線の原宿には臨時ホームが有りますが其れは正月の三ヶ日には明治神宮初詣の混雑対応で使用されます 
其れとは別の宮廷ホームの話しです最近JR東日本では新形貴賓用電車を造った関係で客車御召列車の運転は無くなり殆ど使用されない都会の秘境駅感が有ります 滅多に使用されない為か渡り線や分岐線は電気転轍器で無く今だに機械式転轍器の儘です 
昔は時々各種の車両を宮廷ホームに持って来て展示会等で使われた事も有りましたが 原宿宮廷ホームからのお召し列車の運用は殆ど無くなり秘境駅状態ですが今でもきちんと手入れがされており綺麗です

yyoshikawaさん、さすがに宮廷ホームは常に整理整頓清潔が保たれているんですね。千駄ヶ谷駅の臨時ホームも長い間使われることがありませんでしたが、2度目の東京オリンピックでまた活躍しそうですね。

KASAさんのホームページ最新版に山手貨物線の巣鴨 大塚 目白 原宿 渋谷 恵比寿の各駅がアップされました 
中でも珍しいのは大塚駅の貨物関係の配線でした
山手貨物線の貨物駅で一番先に貨物扱いが廃止されたので実体を知らなかったので参考になりました
長い間更地でしたが現在はホテルと駅ビルアトレーが跡地に建ちました
原宿は御存知の宮廷ホームの配線ですが御料車の停車する部分は大屋根に蓋われたてますその屋根の前後に子供の頃にホーム線とは別の側線が存在していたのが改めて確認できました
恵比寿の貨物扱いが廃止され其の後一時期カートレインの始発駅として使われていたが汐留に移管後は旅客ホームが建設され埼京線が乗り入れて来ましたが折り返しが出来ず大崎迄回送大崎駅貨物中線で折り返していました既に大崎も貨物扱い廃止されており貨物設備の再使用で埼京線の折り返しが出来た例です

yyoshikawaさん、大塚、巣鴨は副本線が設けられていませんので、入換を行う列車は本線をふさぐことになりますね。本線には車両は残さず、編成丸ごと側線に入っていくのかもしれませんが。

>yyoshikawaさん、

拙HPの配線図に関連してコメントをいただきたいへん光栄に思います。ありがとうございます。

大塚駅は、山手貨物線上の貨物駅の中では一番先に廃止された割には、後年まで再開発がされませんでしたね。恵比寿とは対照的であると思いました。

> f54560zgさん、

武蔵野線開業前の山手貨物線はかなりの過密ダイヤだったでしょうから、本線をふさぐ入換があったとすれば、それはたいへん忙しい作業だったのでしょうね。

KASAさん、列車の合間を縫っての緊張感あふれる作業ですね(笑)。

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