2001南福岡
九州の電車基地第一号の南福岡電車区が設けられており、現在でも多分特急用からローカル用まで数多くの車両が配置されている花形車両基地だと思うのですが、構内の配線は行き止まりの線路を並列に並べたちょっと古めかしい構成です。
上り線はお隣の春日駅を出るとすぐに主本線と副本線に分かれます(3線区間と言ったほうが正しいかな?)。先行列車が後続列車を支障しないようにするための策だと思うのですが、珍しい例です。
「大蔵」って書いてあります。上りの副本線は「大蔵線」というのでしょうか。
本線の第2場内同様誘導信号機が設けられており、南福岡で増結作業が行なわれるのでしょうね。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。
f54560zgさま、こんにちは。
>上り副本線、「大蔵」
かつて、現在の春日駅西横に大蔵省の施設があり、南福岡駅からそこへ向かう引込み線がありました。その引込み線のことを国鉄~JR部内では「大蔵線」「大蔵省線」と呼んでいます。これが信号機についている「大蔵」の由来です。大蔵省施設がなくなったあとは、南福岡駅構内の側線としてのこり、端部に保守機械庫が作られました。南福岡駅に電車区が設けられた後は電車の引き上げ線などとして利用されていましたが、JRになって列車が増発されてくると上り本線の追い抜き支障時間の縮小のために春日駅近くで本線に接続し副本線としました。
>電車区
戦後、南福岡駅~大野城駅にかけての西側は米軍の接収区域で春日ベースでした。返還後は自衛隊駐屯地や集合住宅、大規模公園、教育施設などが設置され、その一角に電車区も作られました。しかし割り当てられた土地の制約上あまり広く取れなかったようで、留置線延長を確保するために敷地に対して斜め方向に配線することになったようです。
>南福岡駅
もともとは駅舎のあるホームに1番線があり上下副本線となる2番線、上り本線の3番線に4番5番という、いわゆる国鉄型配線+αというものでした。しかしJRになって列車本数が増え緩急接続が可能なように現配線に変更されました。旧1番線ホーム部分は現在は駅ビルがそびえたっています。
投稿: ashiwodi | 2009年6月15日 (月) 14時27分
ashiwodiさん、コメントありがとうございます。
・大蔵省の「大蔵」ですか。
引込み線で何を搬入or搬出していたのか
気になってしまいますね。
・電車区は限られたスペースを有効に
利用しているわけですね。
駅のホームから間近に車両が見られるのは
けっこう珍しいように思います。
・ホームはやっぱり変更されていたんですね。
古い資料には、おっしゃるとおり1番線が
片面のホームとして記載されており、
「あれ~?、でも写真を見ても1番線は
島式ホームだし・・・」と不思議に思っていました。
投稿: f54560zg | 2009年6月15日 (月) 20時05分
日頃つぶさに見聞しておられる地元の方には、正直脱帽です。半端で記憶に頼って発言は慎むべきです。小生とすれば、航空写真で西方の公園等や、旧大蔵省線の引き込み後の弧状の道路を見直した程度です。成る程です。自身貨物施設と車両基地を蒐集している身故ですが、同区はP誌の集成に始まりF誌のシリーズの、4種しか結果有していません、なんか買収線区の車両基地から展開していったような。「月光型」と称され、昼夜を分かたず走った憧れの特急が配置されたのは同区でしょう。不確かですが、それの車輪が破断するほど酷使されたようなことも九州管内であったような。これだけ多種多様な車種を間近で見られると、再度鉄道野郎になってしまうのでしょうな、多種故にその差異を自然に覚えていく子供ながらの好奇心で・・・線区に戻り、この先には太宰府信号所があり、千歳線のそれにならう新たな信号所設備のようで、九州社の今後の展開のモデルでしょう…時間を引き戻すようですが、お写真の煉瓦積みの列車用の低いホームの名残が「雑餉隈」と呼ばれた時を思い浮かべてしまうのですが。
投稿: SY | 2009年6月16日 (火) 01時18分
確かに581・583系は昼夜両用ということで、かなりこき使われたんでしょうね。でもいまだ現役で活躍しているようですから、立派です。
ざっしょのくま! なかなか読めませんね。「原田」や「陣原」も間違えますよね、普通は。
投稿: f54560zg | 2009年6月17日 (水) 20時43分
大蔵は確かに大蔵省のことですが大蔵省の施設があった訳ではなく、旧日本軍の施設が敗戦により陸軍省や海軍省の所管から大蔵省の所管に移ったために昔の軍用側線も大蔵省の管轄する側線となったものです。
春日~南福岡間の大蔵線も旧軍用側線の跡を利用して三線化されたために大蔵線と呼称されているものと聞いた記憶があります。
投稿: T.M | 2009年6月18日 (木) 23時27分
>f54560zgさん
確かに583系電車は当初門ミフ配置でした。さらにあのイタイ改造の715系電車もココでした。
>SYさん
雑餉隈ですが、そもそも九州鉄道がこの路線を計画したとき東側の雑餉隈集落付近を通ることになっていたのですが反対の憂き目に会い、急遽路線を変更し麦野(現位置)に設置したようです。しかし役所には雑餉隈駅名で申請していたため駅名はそのままとなってしまいました。そのゴタゴタの影響か、駅の開業は路線開業から1ヶ月遅れてしまいました。
>T.Mさん
大蔵省施設は元々は軍関係の施設だったのですね。そういえば、現在はコミュニティー施設と市役所になっていますが、以前は航空自衛隊の訓練用地でした。あの九州飛行機も近くにありましたね。
投稿: ashiwodi | 2009年6月19日 (金) 00時13分
T.Mさん、 ashiwodiさん、情報ありがとうございます。「大蔵省」と聞いて、「ひょっとしてマニ34とかマニ30か?」と思ってしまいました・・・・。
投稿: f54560zg | 2009年6月19日 (金) 21時03分
通称・大蔵線の存在は、偶然が重なって知ることとなりました。それも、今からわずか7年前のことです。
(もちろん、最初は大蔵線という名称も知りません。)
東京~九州のブルトレ全廃を控えた2009年初頭、「はやぶさ」B個(ソロ)を偶然確保し、惜別乗車(熊本→東京)を実行。その際、たまたま取れたのが左側個室で、たまたま春日~南福岡で車窓を凝視していた結果、ほぼ1駅間にわたる副本線を偶然発見したのです。
帰宅後に調べたら、南福岡駅構内扱いで上り線のみに存在することが分かったものの、「どうせ非常時や平日朝ぐらいしか使われないだろう」と勝手に解釈。しかし、南福岡待避列車が恒常的に使用していることをほどなく知り、乗車機会をうかがっていました。
2011年3月、九州新幹線全通初日乗車のため前日に九州入りした私は、西鉄と甘鉄に乗車後、基山から博多まで乗った普通列車が、南福岡で待避&増結のため大蔵線を走行。初見から2年後に乗車を果たしたのです。
(この普通列車、太宰府信号場でも待避するというオマケつきでした。)
もちろん、乗り難い線路ではありませんが、当日は新幹線開業前日、つまり、あの震災の日。ある意味、思い出です。
投稿: my2000 | 2016年7月24日 (日) 14時58分
my2000さん、偶然の発見から2年後の乗車、しかも九州、いやはや、感服です。
投稿: f54560zg | 2016年7月28日 (木) 22時08分
実は、発見時に乗っていた2009年の「はやぶさ」には、もう一つのオマケ話があります。
後日改めて、適切な項にコメントいたします。
投稿: my2000 | 2016年7月31日 (日) 14時57分
my2000さん、楽しみにお待ちしています(笑)。
投稿: f54560zg | 2016年8月 1日 (月) 22時16分