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2009年6月15日 (月)

2001原田

Photo

筑豊本線の分岐駅ですが、桂川~原田間は「本線」とは名ばかりの超ローカル線で、訪問当時はたしか1ケタ往復程度しか設定されていなかったような・・・。SYさんのコメント通り、かつてはここから「かもめ」やブルトレが筑豊本線側に進入していたわけですが、到底信じられないような寂れ方です。
筑豊本線は、原田側ほどではありませんが若松側もかわいそうな扱いをされており、区間ごとに様相がかなり変化する路線ですね。

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門司港方です。

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雑草に埋もれながら筑豊「本線」が右に分岐しています。

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門司港方からです。

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門司港方です。かつては機回線でもあったのでしょうか。

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門司港方からです。

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筑豊線の乗り場は「0番線」です。

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鹿児島方からです。

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鹿児島方です。

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コメント

f54560zgさん、こんばんは。地元ネタが続きうれしい限りです。

原田駅の博多方は2枚目の画像のように分岐器が連続しており、訪れた際にはつい見入ってしまいます。また列車に乗っていても分岐器を通過する音をしかと聞いている自分がいます。この分岐器群は竹下駅博多方のものに匹敵する美しさです。
原田駅は4番のりばはありませんでしたが、他の鹿児島本線の駅と同様に列車増発のために4番のりばが増設されました。しかし単純に4番線にホームを設置しただけで南福岡や二日市のような緩急接続型の配線とはなりませんでした。

>筑豊本線
かつての栄光は失われてしまいましたが、先の改正においては増発されました。なんと増発率114.3%、土休日にいたっては128.6%の大増発です。といってももともと7往復だったものが平日は8往復、土休日は9往復になっただけですけどね。
今度の6/20,21にツアーによるブルートレインのチャーター列車がかつての「あかつき」よろしく、門司港~筑豊本線~長崎と走ります。つまり原田駅で筑豊本線に直通するブルートレインが復活します。私としては鹿児島上り本線から筑豊本線へ青い車体をくねらせながら入っていく姿を見てみたいと思いますが、人が多いでしょうね。

ashiwodiさん、確かに原田駅の4番ホームは急ごしらえ的な感じで、同一ホームでの乗換えができない不便さが感じられますね。
筑豊本線が増発されるってことは、今後の発展が期待できそうな気がします。
ブルトレは何が牽引するんでしょうか。全区間DLかな?

f54560zgさん、ashiwodiさん、お邪魔します。

ashiwodiさんのチャーター列車のコメントを拝読して、ふと思ったのですが、原田駅3番線から筑豊本線への出発信号機というのは、もうなくなってしまったのですね。以前は、2番目の写真に写っている「鹿本出」と標識のある信号機のやや右下に「筑本出」と標識のついた信号機があったように記憶しております。

>f54560zgさん
筑豊本線の増発は通学需要のような気がします。たまに乗りますと小学生の小集団に出くわします。また土休日はハイカー利用のためと思われます。でこの路線、途中利用は少なく、大半は乗り通しのお客さんのようです。

>専用線好きさん
確かに上り本線の進路は鹿児島線のみですね。確かに以前はあったと記憶しています。自分の撮った画像を見ましたが・・・写っていなかった。ということはチャーター列車は4番から本線を横断するのでしょう。

遠賀川がなす平地には炭田地帯や石灰岩産出地があり、囲繞する山を越える線路があります。行橋方もそうですが、いずれも海側には、コンベヤーやホッパーを有する積出し港に繋がっていて、製鉄やガラス等北九州の産業基盤を形成してきました。鉄道が産業を育成してきたと言えましょう。一方山側では彦山線、筑豊の冷水越え、そして昭和40年台半ばの篠栗線で、いずれも昭和期の長大トンネルです。産業にはさして関わりのないものでした。結果的には福岡市圏にリンクする篠栗線の近代化が進み、あとは置いてきぼりの感があります。それが原田駅に漂っているような。とあれ、ここから飯塚(有名な政治家の基盤ですね)や直方へ通じる特急があったということは、矢張り重要だった地域であったと改めて思い直しております。

専用線好きさん、ashiwodiさん、SYさん
昔は特急が走るような重要路線が電化にも取り残されて数往復・・・、でも増発されるってことはやっぱり今後盛り返していくんですよ、きっと。
チャーター列車は4番線から・・・ということは原田駅には停車するんですね。通過してさりげなく筑豊本線に進入するとかっこいい気がしたんですけれど。

 久々に参りました。地元の事情通の方がいらっしゃって、盛り上がっていますね。
 原田駅、僕も大学生の頃に九州を鉄道で一周したときに立ち寄りましたが、慌ただしい乗り換えで数分間の構内滞在のみでした。DD51 牽引のレッドトレイン 50 系客車がまだ生き残っていた頃でした。
 確かに、当時から原田ー桂川は1日数往復程度しかなく(7本?;'94 年3月現在)、スケジュールを組むのに大苦労した記憶があります。
 後年、そこをイベント列車とは言えブルトレがまた通るようになるとは、何だか隔世の感です。

例ビッグなどさん、ご無沙汰です。
地元の方のコメントは大変ありがたく思います。
原田-桂川間は博多から30kmぐらいの範囲にありますから、今後は需要が増えるのではないでしょうか(沿線の状況も知らずに無責任ですが)。

原田駅に降り立ったのは f54560zgさんが訪問された年と同じ頃の夏だったでしょうか、福岡県への出張が金曜日で、まだまだ日没前に筑豊本線のDD51牽引50系客車に乗り込み 例ビッグなどさんとは逆ルートの、折尾から原田まで念願だった筑豊本線乗車を果たしました。
途中、DCへ乗換になりましたが、SL好きにとっては、やはり筑豊本線のハイライトは冷水峠で、撮影名所の勾配曲線区間は日没後のDC車内からでも体感でき、私の年代では、かつては C55やD60の活躍場所だったと想いを馳せながらの 桂川−原田 でした。
この原田駅、その昔は収容庫を備えた駐泊所だったかは分からないのですが、鳥栖機関区の給水転向所だったらしく、転車台はカーブしたホームの外側にあり 古い趣味誌で C55を写した端に転車台が写り込んだ写真が印象的でした。
最後から二番目の写真で、当時たぶんですが駅舎の筒状部分にある辺りに、昔の原田駅の様子が分かる写真が有ったような気がします。
以下はいつも以上に究極の駄文になりますがお許しください。
ここは原田と書いて はるだ と読みます。
当事駅にコメントするのはちょっと刺激が有りすぎますので原田駅欄にコメントさせていただきますが、もう30年以上前から公私に渡って小倉駅を何回も利用していますが、学生時代の同期生の実家が小倉の足原小学校という場所の近くで、路線バスでも行けたのですが駅前からタクシーに乗り込み「アシハラ小学校までお願いしますー」と関西訛り丸出しで運転手さんに告げると「ハアぁ〜〜〜、アシバル小学校でしょー」と、乗客をコバカにした返事。
それ以来、どんな行き先でも小倉駅前からはタクシーを利用することは今だにありません。

筑豊本線つながりで

直方駅の配線図が、運輸安全委員会の事故報告書サイトに載っています。
2017年9月18日に直方駅構内で発生した事故の調査が終わり、報告書が公表されました。
留置線から、列車に充当する車両を入れ換えていた間に脱線し、そこに別の列車や車両が衝突した事故です。入れ換えの様子などが詳しく報告されています。

NZさん、情報ありがとうございます。
直方駅は2015年に訪問しました。配線図が大いに参考になりました。

原田駅は半世紀以上前、3年間高校に通っていた頃の乗り継ぎ駅でした。当時の原田駅は木造駅舎でとても古い建物でした。筑豊本線のホームは0番線で博多駅方面は3番ホームだったと記憶してます。当時はまだ「福北ゆたか線」は開業しておらず直方や飯塚方面から博多に向かうには筑豊本線から原田駅で鹿児島本線に乗り換えていました。乗車客も多く7両位連結していました、列車は蒸気機関車でたまにディゼル車が走ってました。冷水トンネルを通過するときは蒸気機関車の煙が社内に充満しており、顔がいつも煤けていました。

昔は特急が鹿児島線に直通していたのですが、今では完全にローカル支線化してしまいましたね。

「若松側もかわいそうな扱い」でしたが、現在は非電化のままながら、819系バッテリー電車がボチボチ走っております。若松側には充電設備はなく、折尾での急速充電で往復しているようです。かつて石炭の積み出しで賑わった若松駅ですが、往時の華やかさはなくひっそりした印象でした。
折尾駅は高架工事が進行中で、筑豊線や短絡線も姿が変わります。配線がどのようになったか、レポートさせて頂こうと思っております。

キハ65さん
レポートお待ちしています。

遅きに失した投稿、ご容赦下さい。
本線が分岐する駅とはいえ、昔の原田駅は周りに何もない山峡の駅でした。大学の頃、まだ廃止に手が着いていなかった筑豊ローカル線の最長乗り回しは、日付が変わって最短区間の吉塚までの切符を買い、ながさき号で原田まで下って筑豊線の始発を待つという行程。サークルの後輩達が挑戦し、ヘトヘトで戻った事がありました。
今の原田は福岡までの所要時間も少ない、高級ベットタウンに様変わりしていますが、筑豊線だけは異質の存在感でレールは草に埋もれ、しばしば倒竹で運転見合わせを余儀なくされています。
かつて後藤寺から博多までC11ブッシュプルのボタ山快速が走っていた賑わいや、優等列車の存在も全て過去のものです。

キハ65さん
おっしゃる通り、かつては特急が走っていたとは到底思えない様相ですね。「筑豊本線」という名前がついていなかったらどうなっていたかわからなかったのかもしれません。

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