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2009年6月28日 (日)

宝積寺 1986/4/20

烏山線の分岐駅です。
セメント会社の専用線があり、貨車の入換風景をビデオでは 撮影したのですが、写真には残していません。多分もう廃止されてしまったでしょうね。

19860420a03
下り場内信号機です。

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東京方です。

19860420a01
東京方からです。

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上り場内信号機です。

19860420a05
東北線に向かって烏山線が合流してきます。

19860420a06
烏山線の場内及び遠方信号機です(ブレブレですみません)。
でも、こんなにはっきり場内信号機が見通せるなら遠方信号機は要らないような気がするのですが・・・。

 

信号機ばっかりで、駅の写真がほとんどありませんでしたね。ゴメンナサイ。

 

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コメント

宝積寺駅の烏山線遠方信号機は昭和44年3月の線路図では線路の両側に1本づつ建植されていましたが昭和55年3月の線路図では線路左側に1本の建植となっています。

「線路の両側に1本づつ」ということは、遠方信号機が2本建植されてた、ということでしょうか?
とても珍しい事例のように思います。

遠方信号機が2本あったということについてですが、興味深い資料を見つけました。

「信号保安」1949年7月号に、清水トンネル内の茂倉信号場を土合からRC化したという記事があります。その中に茂倉の連動図表が載っているのですが、下り場内が1番線用と2番線用の2基あるのに対し、それぞれに遠方信号が設備されています!(当時上越線は連動閉そくでした)

遠方信号機は今も昔も「場内がいくつあっても1つで共用する」というものだと思っていたのですが、遠方信号機を複数立てるような規定となっていた時期があったのでしょうか?
その記事によると、
・RC化にあわせて従来は下り場内が1番線用しかなかったが2番線用を増設した
・遠方信号機が2基あることについては触れておらず
という状況なので、1949当時はそのような規定だったのでしょうか・・・

1979年頃の運転保安設備基準規定では、ご認識されているとおり「遠方信号機は、同一線路から分岐する列車の進路に対して、場内信号機が2機以上設けられている場合、1機で共用するものとする」と定められています。
1949年というと相当昔ですので、当時の規定はわかりません、すみません。
ただ、いずれにせよ「特例」ではないかと思われます。遠方信号機が2機必要ということは、「場内信号機が見えた時点で下り1番線に進入するのか下り2番線に進入するのかがわかったのでは手遅れ」になるような特殊な事情があったのではないでしょうか。分岐器の制限速度とか・・・?
でも、宝積寺の場合はちょっと「特殊な事情」が思い浮かびませんが。

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