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2009年6月26日 (金)

茂木 1985/12/1

真岡線の終点です。訪問時期のせいも多分にあるのでしょうが、写真のとおりのうら寂しい雰囲気になってしまいました。

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下館方からです。右のほうには貨物側線があったんでしょうね。

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左側の信号機は、もう使われることはなさそうな気配です。

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信号てこ扱所の下からはワイヤーが・・・。

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終端駅ですので、ワイヤーは一方向にしか向かいません。

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終端側です。

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終端側からです。
まさに「晩秋の終端駅」って感じですね。

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真岡線の終端です。

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コメント

茂木駅の貨物線は一番線上り方右側に二本そして四番線の外側に下り方より入る芳賀通運の専用線が一本あったようです。また四番線の上り方には車庫線が一本あったようです。

確かに4番線の外側には若干それらしい空間がありますね。
2番目の写真のやや左側にちょこっと写っている分岐器が車庫線への入口だったのでしょうか。訪問時には車庫の痕跡にはまったく気づきませんでした。

線路はかなり先まで延びていました(ような気がします。道床だけだったかな?)。
もう一度確かめに行きたいのですが。
今はどうなっているか怖くて(泣)

とりあえずレールの上に枕木が置かれているのを見て、その先は見てませんでした。烏山が「手前でバッサリ」なら、茂木も似たようなもんでしょうか。

茂木駅の終端の先は、数キロメートル先まで道床が完成していた未成線です。
以前、探検した際は、茂木駅出発直後から築堤に向かって登り勾配に入り、その先は、田んぼの中を。途中、アーチ橋などを渡り、しばらくして、突然、何もなくなっていました。そこが工事終端だったんだと思いますが、何もないところでしたので、計画はもっと先まであったんだと思います。


Nさん、情報ありがとうございます。
その気になって見れば、最後の写真、車止めの先には築堤らしき物がありますね。

かなり前の記憶です。
茂木駅から、専売公社(いつの頃かわかりますね)の横を通って、小井戸方向へ。
坂道を登り切った場所で、道路と線路用地が共用に。その後別れて、道路は坂を下って、水田のT字路に。
T字路のあたりで線路跡地(砂利をすいただけ)は右カーブ、そのまま水田を渡り、このあたりから道路と線路は共用になります。
小井戸を過ぎて、たしか、線路(道路)の右側に上る坂道があって、茂木浄水場(?、送水タンク上?)へ。
正面はトンネルになります。トンネル内は危険なので立ち入りませんでした。シイタケ農家が使っているという報道があったかと思います。
右カーブした小井戸のT字路から進むと、河合の集落(中川郵便局付近)につながります。ここに操車場を作る予定だったらしく、比較的広い空き地がありました。
河合の橋を渡って、たぶん、「わの道」と呼ばれている道が、線路用地で、烏山(の橋)から123、御前山駅(御前山村内はたぶん123の用地に使われていた)へとつながっていました。
河合-御前山間は用地買収のみ行われて、建設されていません。

名無しさん
詳細な情報ありがとうございます。日の目を見ることのなかった路盤をたどる旅をされたのでしょうか。一部はレールが敷設されるまで工事が進んでいたんですね。

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