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2009年6月25日 (木)

真岡 1985/11/30

真岡線の中間駅で、車両基地である水戸機関区真岡支区が設けられていました。

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下館方からです。まだ腕木信号機の時代です。

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下館方からです。左側が真岡支区です。

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下館方です。すでに真岡線は貨物扱いが廃止されていたはずですので、このDE10は珍客なのでしょうか。

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結構いっぱいDCがいます。

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車庫の「迷彩色」はなぜ?

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茂木方からです。

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茂木方からです。趣のある跨線橋です。

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茂木方です。

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茂木方からです。

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茂木方からです。
場内信号機が進行を指示しています。まもなく上り列車がやってくるのでしょうか。

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コメント

地元の駅がとりあげられて嬉しいです。
迷彩色は戦中の名残だと聞いたことがあります。

この迷彩色はひょっとして・・・いや、まさかいくらなんでも・・・と思っていましたが、本当にそうなんですか。ちょっとオドロキました。

支線の中間駅にある機関区や機関支区などの車両基地は、あちらこちらに見受けられますが、支線から分岐し、ましてや終着駅の有る支線での中間駅にある車両基地は稀有ですね。 明治末期、真岡までの開通時が終着駅で、それで設置されたか、基点駅の下館に車両基地が設置出来ない理由でも有ったのでしょうか…。 仕業線横の小川による立地の制約なのか、こじんまりと纏まっている感があり、DCが満車の庫に施された迷彩色が意外と支区の歴史を感じさせてくれます。 写真のDC群の留置もいい感じですが、貨車とSLタンク機も似合いそうな雰囲気です。その昔には、古典急客機改造のタンク機や、その後に老朽置換の新鋭C10、戦後はC12などが数両で線区を守っていたようです。
写真a14の給水塔とキハ25の妻面の間に給炭台を置いてみたくなります。 ただ転車台が見当たらないのは未設だったのでしょうか…。車庫裏の茂木方の更地が気になり、もしここに転車台があればまた珍しい配線なのですが…。        

E10さん、おっしゃるとおり、車両基地の位置としては珍しい部類だと思います。水戸線が電化される前ならば、あえて真岡に車両基地を設けず、水戸線と真岡線とを共通で運用したほうが自然な気がします。
転車台についてもおっしゃるとおりですね。確かに形跡がないんです。下館にも茂木にも。大昔にはあったのかもしれませんが、タンク機だから、という理由で設置しなかったのかも知れませんね。

昭和33年3月現在の線路図ではターンテーブルは記載されていませんでした。

T.Mさん、コメントありがとうございます。
(それも4連発で・・・)
昭和33年で記載されていないのであれば、おそらく最初から設置されなかったんですね。

祖母が「戦時中にはお召し列車を停めていて、爆撃されないように迷彩色にしている」と言っていました。真偽のほどはわかりませんが、参考までに

ヘイヘイヘイ さん、コメントありがとうございます。
戦後40年を経過していてもいまだ迷彩色というのがスゴイですね。

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