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2009年5月26日 (火)

2001門司1

「門司」と聞くと連想するのは(1980年頃が基準なのですが)、関門トンネル、EF30、操車場、客貨車区、機関区、単線並列、交直接続・・・などなどで、私にとって大変魅力的な場所でした。
残念ながら実際に門司を訪れることができたのはそれから20年くらい経ってしまい、上記のイメージからはずいぶんと違う姿にちょっと悲しくなりました。

Photo

門司操車場の配線が把握できませんでしたので、貨物列車のルートがよくわかりません。
関門トンネルからやってくる下りの列車はホームの手前で客貨が分離され、貨物列車はホームのない6番線を通過して門司操車場に向かいますが、門司港方面からやってくる貨物列車はこのルートを通過できませんので、ホームを通過した後に門司操車場に入るルートがあるのだと思います。
上りの場合はホームの手前(鹿児島方)で客貨が合流しているようで、貨物も旅客ホームを通過するようです。
関門トンネル出口が鹿児島線の上下線の間に割り込む形になっているため、門司港方からの列車の折り返し用に3~4番線から、配線図でいうと関門トンネルの上側を通って鹿児島線上り線に合流するルートが用意されています。

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門司港方です。
一番右が鹿児島線下り線、一番左が上り線です。
門司港からやってきて門司で折り返す列車は右から2本目の線路を通って門司港に向かいます。

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門司港方からです。鹿児島線の下り線です。

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上記より少し鹿児島よりの場所です。門司港方です。
一番右が鹿児島線下り線です。

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鹿児島方です。一番左が鹿児島線下り線で、コンクリートの低いカベのところが関門トンネルの出口です。

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左がトンネル出口です。右は鹿児島線の上り線です。

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さらに鹿児島よりの場所です。神戸・門司港方です。
ちょうど貨物列車がトンネルから出てきたところです。

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神戸・門司港方からです。
線路はいっぱいあるのですが、車両の姿が見ません。なんとも寂しい風景です。

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神戸・門司港方です。3番線です。

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神戸・門司港方です。5番線です。
よく見ると、出発信号機の右下にそっぽを向いた信号機があります。
進路が削減されているようですね。

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関門トンネル出口です。右側のコンクリート壁に山陽線下り場内信号機が見えます。
たしか、その左側に、山陽線上り線用の下り場内信号機があったはずなのですが、見当たらないようです。ということは、関門トンネルの上り線を下り列車が通過することは不可能になったってこと?

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神戸・門司港方です。8番線です。
右側の「山上機出」「鹿上機出」と書かれた信号機がある線路は何でしょうか。
車両停止標識が設置されていますので、単行機関車の出発線でしょうか。

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9番線の信号機にはしっかり「山下9出」と表示されていますので、関門トンネルの下り線を上り列車が通過することは可能なようですね。

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神戸・門司港方です。9番線です。

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神戸・門司港方です。10番線です。

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神戸・門司港方です。11番線です。
11番線からは門司港方にしか出発できません。

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神戸・門司港方です。3番線です。
これが門司駅? このうらぶれた雰囲気、寂しいです。
4面8線のホームを持て余しています。

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神戸・門司港方からです。5番線です。
下り貨物列車の最後尾が見えます。

20010401c28
神戸・門司港方からです。11番線です。

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コメント

門司駅は、トンネル開業以前は大里(だいり)という駅名でした。この大里駅の昭和11年の改良図を見ると、複線で島式1面のホーム、山側に転車台と6線を有した矩形の庫があったようです(昭和5年の図面では単線です)。駅西側(小倉側)に着発線7本、計9本の仕訳線と中継ホームを有した貨物施設があり、数年後には広大な門司操車になる原型が描かれています。ここから、海側を走り、同駅を経て、小森江駅迄貨物専用線が伸びています。小森江駅とは旧下関駅との間で貨車の航送輸送を担った駅です。掲げておられる図では左下側に有りました。思うに、大規模な戦争の前夜、設備の拡充を強いられたのかもしれません。続いてトンネルの開通、門司への改称、門司操車場の設置へと続いていると言っても良かろうと思います。原料としての北九州地方の石炭の輸送が多分重要だったのでは。

いつもながらSYさんの重みのある解説ありがとうございます。ちなみに、私はしばらくの間「おおさと」と読んでました・・・。
石炭輸送全盛の頃は、このあたりはとてつもなく数多くの線路があったのでしょうね。多分誰もその全貌を把握できないくらい・・・。

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