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2009年5月25日 (月)

2001門司港

なぜか九州です。2001年4~5月の訪問ですので、例によってあまり懐かしいものではありませんが。

Photo

完璧な頭端のターミナルです。
側線も多数あり、車両基地としての機能を備えているようですが、全体を見渡すと「古い昔の駅」という感じです。車両が新しいだけに余計にそう感じてしまいます。
「側線も多数」と書きましたが、一見側線に見える線路にも出発信号機がけっこう設けられていますので、これらは側線ではなく本線ということになります。
4番線にのみ機回線が残っていますが、使用されることはあるんでしょうか。

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鹿児島方です。

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鹿児島方からです。

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鹿児島方からです。

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古めかしいホームです。

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左下の建物も・・・・・・。

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鹿児島方です。

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鹿児島方からです。

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当然列車は車止め近くに停車します。

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車両がいっぱいいますので賑やかな印象を受けますが、駅としては寂れたような・・・。
駅というより車両基地?

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外浜方からです。

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コメント

旧下関駅と門司港駅、そして貨車航走の小森江駅とは高さのない三角形を成しています。推測ですが、関門海峡の潮流を考え、それを利用した側面も有ろうかと思っています。頭端駅である門司港は現今レトロ地区の中核で、外浜方へのレトロ列車云々の計画も耳にしたことがあります。さて、お写真を見直し同駅のホームの幅員に印象づけられました。九州側の長距離列車を待っていた市井の人たちが彷彿とされます。軍都小倉を控えているため、日清日露以来多分に軍人もおられたでしょう。配線に関しては、外浜線の山側は貨物設備で最奥に転車台、貨物ホーム、矩形の機関区があり、その西側は貨物発着仕訳線です。ただ門司港2面ホームの両脇は客留施設です。しかし、門司操車内にあった客留設備がなくなったためか、門司・門司港間の貨物設備は今や電留線群に変貌しました。
なおP誌のNo.714-2002年3月号には昭和29年頃の筑豊地区線と略図が掲載されており、直方以南は「こんな感じ」だったんだ、いつもため息混じりで眺めてうる貴重な図面です。

改札口が線路の終端側にしかない昔の終端駅と近代的な電車たちとの組み合わせが独特の雰囲気ですね。
P誌No.714-2002年3月号、多分持ってるはず。探してみましょう。

こんにちは。
九州の玄関口ということだけあって、
ホームが若干多くあるのかな?・・・
思っていましたが、2面というのは驚きです。

kantanseさんこんにちは。関門トンネル開通後は門司駅に九州の玄関口の役割を譲ってしまいましたのでひっそりしてしまったようですね。今ではその門司駅もすっかりさびしくなってしまいましたが。

はじめまして
線路のレイアウトは電車がメインになってからですね。1970年代は客車がありホーム線路に動力車の入れ替えのポイントや転車台が残っていたのですが記憶の中ではっきり覚えてません。門司港駅には3番ホームがありません。関門トンネルが開通するまで門司と下関の間は国鉄連絡船で3番ホームは桟橋でした。今も改札の左に桟橋へ行く地下道の後が残ってるかな?

福田道則さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
かつての九州の玄関口もトンネルの開通でずいぶんと様変わりしてしまいましたね。

門司港駅は私の幼いころに住んでいた町の駅です。今は鹿児島本線の電車庫ですけど客車を動力車が牽引していた時代が思い出されます。

福田道則さん、門司港も昔と比べると寂しくなったと思いますが、門司駅も寂しくなってしまいましたね。

f54560zg ありがとうございます。新幹線の開通から深夜特急、急行がなくなり関門鉄道トンネルを本州から通過する列車がなくなりさびしく思います。関門トンネルの門司側の死電区間は懐かしいのですが今時は車内灯は消えませんよね?

今はもう的確に思い出せないのですが、常磐線だったのか羽越本線だったのか北陸本線だったのか、あるいは正しくこの関門区間だったのでしょうか、福田道則さんのコメントに、国鉄時代に交直接続区間で車内の室内灯が消える体験をしたことを懐かしく思い出しました。
今はなくなったと思いますが、10年か15年程前、こちらの223系新快速の走行中に室内灯が数秒間消える現象があり、その時も思い出していたのですが、最近は改善されたのか、そのこともなく忘れかけていました。
やはり、交直接続区間には独特の想い出や体験が付いて回って来るようですね。
門司港機関区に関しては、門司港配線図の出現を待ってコメントを改めたいのですが、門司港と聞くだけで C5711号機やC591号機を思い浮かべてしまいます。
私の門司港駅の想い出は、鹿児島へ向かう時にこの門司港駅から、20系と12系編成客車の夜行急行「かいもん」で旅立ったことが、今では懐かしく思い出されます。

E10さんありがとうおざいます。死電区間は常磐線の土浦にありますね。室内灯が保安灯に変わるのは知らない旅行者は慌てますね。門司後発夜行列車は大村線経由の長崎行きの普通列車 ながさき が好きです。就職してB寝台に乗ったのが思い出です。たしか20系だと思います。普通車ははまだ万博の産物の12系ではなかったと思います。

福田道則さん、E10さん、「かいもん」、「ながさき」、乗りたかったですね。ただちょっと九州は遠すぎました(汗)。

ローカルな話題にコメントありがとうございます。門司港駅舎は改修工事も終わり東京駅みたいに建設当時の駅にもどります。機会がありましたらお尋ねを!

福田道則さん、ぜひまた行ってみたいですね。

今年の真夏に、久々に門司港駅を訪れたのですが、なにか保守工事の真っ最中で、駅舎出口からの正面通路が塞がれていて駅舎の外見も工事の足場等で全くだいなし状態でした。
こちらの姫路城も数年間の保守工事で外見が覆われた状態を見ていましたので、門司港駅の保守作業後に期待と言うところでしょうか。
門司港駅の構内配線図は、近年に趣味誌にも発表されているようですが、行き止まりの頭端式ホームと機関区設備の組み合わせは意外と少なく、似通った場所として、若松、長崎、宇和島、くらいだったでしょうか。
機関区の配置は、SYさんのおっしゃる通りで、奥まった転車台に矩形庫の雰囲気は若松機関区の6線矩形庫を縮小した感じですが、電化の頃に早々と機関区設備が消滅したようで、全盛期の門司港機関区の様子も、なかなかお目にかかる機会は少なそうです。
門司港の街には、かれこれ何度も訪れていますが、駅舎もさることながら駅から少しばかり歩くとアーケードの商店街があって、この商店街にある古書店は訪れる度に必ず覗いているのですが、初めて来た時に昭和30年代中頃に発刊された旅行案内の紀行書シリーズを10巻ほど見つけ、旅の途中に一度に購入すると10kg程の荷物は重荷ですので、最初は気に入った巻号だけ購入しました。
その後、門司港の街を訪れる度に古書店を覗くと、そのつどにまだ残りの巻号が売れ残っており少しずつ買い揃えていたのですが、流石に最初から30数年後のこの度の訪問では売れ残りはありませんでした。
また、もう20年以上前に、同じ商店街にあった 《平民食堂》 と言うところで昼食をとったことがありました。
ハヤシライスが名物らしくそれを注文したのですが、ハヤシライスごときなら10分そこそこで出てくると思っていたら昼時で混み合っていたこともあったのか20分くらいも待たされて、気長な自分でもさすがに立腹してきたのですが、もう70代か80代くらいの食堂のおかみさんだったでしょうか、「おまたせいたしました」と私の目を見て微笑みながらハヤシライスをテーブルに出してくれて、私の気分は晴れるどころかいっぺんに上機嫌になってしまいました。
もしも、昔の門司港の街にタイムスリップ出来たなら、平民食堂に通い詰めている自分がいたのかも知れません。
ただ、平民食堂は建物はそのままのようですが、かなり以前に休業していて、またあのハヤシライスの味が食されないのは残念でなりません。

E10さんはいたるところにいい思い出があってうらやましいです。私の場合は職質とか連行とかそんなのばかりなんですが・・・(汗)。

福田道則様常磐線の交直切り替え区間は取手藤代間本線中間部にデットセクションを設けております
当初常磐線は取手以北を直流電化する計画でしたが筑波でしたか地磁気観測所の観測に影響があるとしてクレームが有り直流電化をあきらめ長らく電化区間は取手迄しか行けませんでした 戦後仙山線で交流電化が研究され其の結果常磐線北陸本線東北本線鹿児島本線を交流電化する事となりおのうの工事が始まり交直接続部においての接続方法も検討常磐線ではデットセクションを設け車上切り替え方式で賄いました 以前仕事の関係で東京といわきの間を週末に行き来していた時週末の夕方上野行特急スーパーひたちに乗車藤代を過ぎ無電区間進入すると惰力走行に入り室内灯が暫く消える あ~東京に戻って来たと実感した逆に日曜の上野発最終のスーパーひたちに乗車し取手を過ぎ無電化区間を通過する時はあ~又田舎へ向かうのかと思うと気が滅入るものでした

 交直デッドセクションでは電源オフとして惰行で通過するため、客室電源も停電していました。
 その後に、惰力で回転するMG(電動発電機)の発電能力が惰行区間をカバーできるため、停電せずに通過する方式に変更されました。
 生きるのは照明のみで、大負荷のエアコンなどは止まります。
 最近の電子機器では惰力回転はないので、予備電源を持っているのでしょうか?

C6217さん

WikipediaのE531系電車の項から抜粋すると、

直流区間と交流区間を隔てるデッドセクションでの主回路切替は E501 系と同一の仕様で、ATS-P 地上子を用いた自動切替である。専用地上子を設置しない路線での走行を考慮し、切替ボタンによる手動切替を併設[注 12]する仕様も同一である。車内照明は直流電源方式で、デッドセクション通過時には蓄電池からの供給に切り替わるため、基本的に消灯しない(交直流切り替えが手動で行われた場合は、この限りではない)。

だそうです。

 NZさま、ありがとうございました。直流電源というのはこの切換のため? それとも電源システムが直流なのか、また疑問がふくらみます。
 先項の説明追記。401系が登場した頃は電源MGが小型で照明を用いると回転数の低下が早くセクションを通過出来ませんでした。
 後に冷房を装備するとMGも大容量となり、冷房を停めて照明のみとすると、負荷が軽いので(計算上は1/8に)相当時間を惰力回転します。これがセクション通過の停電時間を超えたため照明は消えずに通過できるようになりました。415系まではこの方式でした。
 401系の登場?と質問されると年がバレます。

上記はC6217です。以前は自動書き込みだったので未だクセが抜けません。

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