« 1992安治川口 | トップページ | 1992浪速 »

2009年5月11日 (月)

1992桜島ほか

この日は徒歩で西九条から安治川口へ、大阪北港への貨物線跡に沿って少し歩いてギブアップ、安治川口に戻って桜島へ、安治川を渡船で渡って対岸の天保山へ、旧大阪港の貨物線跡に沿って浪速へ、そして弁天町まで戻りました。結構キツかったです。

Img667

この地図を頼りに歩いたのですが、ちょっと古い地図で、専用線・貨物側線がいいっぱい描かれていました。残念ながら訪問時にはほとんどなくなっていました。

19920509d5
安治川口から大阪北港への貨物線が右に別れて行きます。
すでに廃止されていますが、線路は残っています。

19920509d6
少し進んだところです。住友電工への専用線が分岐していたようです。

19920509d8
さらにもう少し進んだところです。線路はまっすぐ進んでいますが、ギブアップして引き返し、桜島に向かいました。

Photo

19920509e1
桜島線のほうに戻りました。北港運河を渡る前に桜島駅の場内信号機があります。

19920509e2

19920509e3
ここから単線になります。

19920509e4
北港運河の鉄橋は可動橋です。このせいで単線なのでしょうね、きっと。

19920509e5
もはや動くことはないと思いますが・・・。

19920517a01
遠くには大阪北港貨物線の北港運河の鉄橋が見えます。
こちらは普通の鉄橋ですね。

19920509e6
桜島方からです。線路の残骸が残っています。

19920509e7
桜島方です。

19920509e10
西九条方です。異様にスリムな信号機です。

19920509e9

19920509e8
桜島線の終端です。かつてはこの先も線路が続いていたようです。

船で安治川の対岸に渡り、大阪港貨物線の跡に沿って浪速貨物駅に向かいます。

19920517b01
大阪港貨物駅があったあたりの煉瓦倉庫です。

19920517b02
少し浪速寄りに進んだ難波津橋です。大阪港方で、写真中央に煉瓦倉庫が見えます。
新しいコンクリートのところに線路が通っていたのでしょう。

19920517b03
さらに進みます。大阪港方です。
ここに線路が通っていたと思われます。

19920517b04
さらに進みます。日和橋付近です。大阪港方です。
歩道が線路敷と思われ、左のほうに側線が分岐していたように見えます。

○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。

« 1992安治川口 | トップページ | 1992浪速 »

コメント

傲慢なコメントに対して、いつもいつも丁寧に対応され恐縮至極です。こんな小生の半端なコメントで本当は良いのでしょうか、と内心思っていますが、他のブログでは他者の・・・。もっと別の切り口を望んでおられるのではないか、と思いつつ、小生は歴史的な条件から見て情報を得て立体化するようなタイプで如何せん全体像の形成を考えてしまいます。時には反省も必要です。さて、有名な可動橋ないし本線の保守が行き届いている点には敬服を感じます。専用線はうらぶれていたようで…程度は下がるのですが、なんか鶴見線が京葉線東京方に成ったような桜島駅です。戦前はここいらが日本の工業集積地だったのですが。

とんでもございません。SYさんのコメントは歴史の重みを感じさせる貴重なものです。今までどおりでよろしくお願いします。
大阪の臨港地区へはもっと早くに行っておけばなあ、と後悔しきりです。もっとも行っていたら、その線路の多さに収拾がつかなくなっていたかもしれませんが。

拝啓 懐かしさを満喫しながらいつも拝見しております。

 大阪港界隈はとても懐かしく、親戚が近くに住んでいましたのでこの界隈は遊び場でした。いまはどうなっているのだろう?

 安治川口から大阪北港への貨物線を歩いたことがあります。線路はまだ光っていたような…。住友電工への分岐線を左にぐんぐん進むのですが、いつの間にか住友電工敷地内にいて、住友電工内の専用軌道と直角交差していました。専用軌道のミニ貨物列車がかわいらしくて、平面クロスを横切る通過音はいまでも覚えています。
 住友電工は操業中でしたけど、誰からも注意されませんでした。何故だろう?たくさんの作業員の人たちと目があったのですけど…。

 桜島の南東、浪速駅西に第三突堤という場所がありまして、よく「サントツ」へ行ってくると遊びに行きました。この付近の日曜日は淋しい雰囲気で、誰もいませんでした。引込線や貨車は遊び道具に変身し、ダルマ式転轍機を連続何回動かせるか…、雨が降ったら「ヨ」で雨宿り…、その後しばらくして廃止になったようで、しばらくは線路は残っていました。

 今振り返りますと、桜島の西へは行かなかったことと、現役時代の写真を撮っておけばよかったと残念に思います。

草々不一

龍隼さん、コメントありがとうございます。
昔はおおらかだったのと、その頃は私も子供だったせいか、今では考えられないくらいいろいろ自由に「探検」ができましたね。
1976年前後に何度か関西には行ったのですが、関東人の私には物珍しいものが多すぎて臨港線のほうまではとても手がまわらず、今となっては残念です。
場所はちょっと違いますが、観光で神戸のメリケン波止場に向かったとき、突然現れた貨物線を見て、「これはいったいどこにつながっているんだ?」と不思議に思ったものでした。大阪港付近の貨物線も初めての人には不思議でしょうね。

随分昔ですが一度桜島へ行った事が有りましたまだ何処にも当たり前に貨車が溢れていた頃の話です 小学館でしたか国鉄全駅配線図と言う北海道から九州迄国鉄全駅紹介本が有りました但し貨物専用駅や貨車ヤードは省略されてましたが割と良く記載されてました 其の中の大阪編に桜島線も載っていました 終点の桜島駅の構内に貨車用ターンテーブルが記載されていたので興味を引かれた 昔貨車用ターンテーブルは二軸単車一両分位の小さい物でしたので残っているなら面白そうだと思い出掛けました 桜島駅周辺を探って行くと唯或る会社の敷地構内に普通の蒸気機関車用の大型ターンテーブルが有っただけでした 小型と思っていたので期待外れの決果にがっかりしました 唯駅前の住友金属の構内に2’ゲージの構内軌道が有ったのは収穫でした ナロゲージなのに自動連結器を使っていたのには感心しました

y yoshikawaさん、広範囲に活動(?)されていたんですね。しかもかなりマニアックなもの目当てで。蒸気機関車用のターンテーブルでも結構な発見ではないかと思います。

 或る会社構内のターンテーブルの事をコメントしました ひょっとして思い付く事が有りました 確か汽車会社の大阪本社工場が桜島に有った筈です汽車会社工場ならば通常のターンテーブルが敷地構内に設地されてても不思議では無い事です
 ネットで汽車会社を検索していて大阪本社工場構内平面図に敷地の外れにターンテーブルが描かれていました 私が実際見かけたターンテーブルの位置が平面図と同じ位置に有った事から有の工場敷地は汽車会社の跡地だったのか思います 若し大阪にお住まいのお方で其の辺り御承知のお方が居られればお教え願いたく思う次第です

 追記 何かで読んだ記憶が有りますが有りえ無い事故特集に 電車と船が衝突した話が有りました桜島線の可動橋の所だったそうです 私も此の架道橋電車で渡り帰りは側の道路橋を渡りながら可動橋の写真を撮影しました 桜島と云えば今日かのUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)が出来あの頃のうらぶれた風景と違う華やかな風景に変貌した事でしょう 因みにUSJは桜島埠頭のどの程度の面積を占めているのでしょうか 大阪方面にお住まいのお方で御存知のお方お教え願えればと思います

yyoshikawaさん、私も何かの本で電車と船の衝突の話を見た覚えがありますね。

桜島駅についてはずっと引っかかっていることがあります。

諸兄もご存知の通り桜島駅は天保山駅から3回移転しているのですが、初代桜島駅の旅客ホームの位置のことなのです。

国土地理院の空中写真を見る限り、昭和48年の米軍の写真でも旅客ホームは二代目桜島駅と全く変わらない位置のようです。

ひょっとして天保山駅以来旅客ホームの位置は三代目桜島駅に移転するまでずっと変わらなかったのでしょうか?

名無しさん、そうですね、確かに旅客ホームの位置は変わっていないように見えますね。想像ですが、駅中心(すなわち本屋の位置)が変わったとか?

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/506157/44978044

この記事へのトラックバック一覧です: 1992桜島ほか:

« 1992安治川口 | トップページ | 1992浪速 »

過去の記事

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ