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2009年4月 7日 (火)

1992京都1

Photo

1992年の京都です。
今回は神戸方を中心に。

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山陰3番線です。

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山陰2番線です。

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山陰3番線です。
昔はこんな感じだったのですが・・・。

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山陰1番線です。

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山陰1番線です。

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山陰1番線には機回線が残っています。

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4番線です。

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外側線と内側線が両開分岐で4番線につながっています。

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5番線です。

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右端に、本線が坂を上って行くのと、梅小路への貨物線がその下をくぐるのが見えます。

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5番線です。
6番線と7番線は行き止まりの留置線です。

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8番線です。

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9番線です。

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10番線です。

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10・11番線のホームの先には側線が設けられています。

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11番線です。

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11番線の先には留置線群があります。

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近鉄線ホームから見た留置線群です。

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コメント

精緻な図を掲げて頂きまず感謝申し上げます。まず図中信号図下の長方形で囲まれた数字の意味を伺いたく思います。灯式なんでしょうか。
 さて、小生にとり京都駅と言えば、1番線への進入です。入換信号機が拝され当然とはいえ、システムとしての信号を改めて認識させられました。
 年寄りのそもそも話ですが、現奈良線はかつて東海道本線で、改良された形は下り1線・上り2線の東山トンネルで、上り勾配を配慮した形となり、京都駅東側で下り貨物は平面交差しておりました。同様に1番線への進入上り列車は下り貨物と矢張り平面交差していました。結局同駅西側でアンダークロスする形でそれは草津駅迄の複々線化とともに解消されきれいな線形になりました。これに関連して天理団体臨時や下り出雲は同駅2番線を有効に使ったようです。かつて上り線側に2線の機待線があり、ときめきの空間でした。
 天蓋を思い起こすような大正期の設備の姿を垣間見ながら、山陰線の荷物車仕訳線の後に設けられたホーム・強いてはこの空間を被う家電店のビルを些か憎らしく思います。
 ともあれ、東海道線において、米原が改善されてしまった以上、歴史の片鱗を残す唯一の駅になったかもしれません。、もっとシャープに表したいのですが。

大阪駅が各番線を非常に機能的に使い分けているのに対し、京都は、言い方が悪いですが、グシャグシャですね。1976年に撮影した写真を見ると、EH10の引く貨物列車が2番線を通過していたり、新潟行きの「北越」が4番線に止まっていたり、上りの新快速(当時は内側線走行のはず)も4番線だったりで、どれが本線なのかよくわかりません・・・・。
信号機の下の長方形で囲まれた数字は進路表示機です。この記事で言えば13枚目の写真の信号機の下のT字形の灯列機器で、複数の進路がある場合に設置して信号機を共用します。数字は進路数で、この場合は外側線と内側線とで「2」となります。1992京都2の記事の3枚目の写真には点灯しているのが写っています。

加筆になるのですが、まず、信号機の進路数表示について「あッ、そうなんや」です。視界が断然拡がりました。次いで、トンネルに関する自身の記述については寸足らずで、要は上り勾配を登る貨物と、より軽い旅客列車の差を考慮して建設されたことを記したいと思います。理解されている方にはそれは無用なことなのですが、大津駅側から山科駅への下り線上り勾配も同様な構造でした。ついでに東山トンネルや新幹線の構造体が築かれる以前、高倉通りも現在の陸橋でなく、アンダークロスの構造でその脇に転車台や石炭線がありました(「大正天皇大礼関係」…まま見かける図です)。お召し列車の走行は一番線への進入が為される配慮だったようで・・・。さらに遡り、梅小路貨物駅設置前と覚しき図では、東海道4線(島式ホーム2線と駅正面1線、中線1線)で、駅西方、奈良線方(現近鉄)との間に機関庫や客車庫と転車台が記されています。奈良線扱いは総て行き止まりの構造で、他方北側本屋側は複雑で貨物用の上屋が2線と操車構造をもっていて、どうも支線の方が配線上複雑な様でした。整理の意味の加筆で御容赦下るよう。

雑誌で見かけた「山科付近」と記された古い写真には3本の線路写っており、「駅の構内でもないはずなのにこれは何?」と思った記憶があるのですが、坂を登る側は旅客と貨物が分離されていたということなんですね。納得です。ありがとうございます。

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