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2009年4月17日 (金)

1992吹田1

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もともとが広大な上、廃止されてから8年ほど経過して線路の撤去なども進んでわけのわからない状態でした。従って、とりあえず目で見える範囲だけ書いています。

吹田操車場には通称「吹ニ」とか「吹七」と呼ばれる場所があるようですが、すみません、正確にはよく知りません。千里丘駅付近の上下の到着線群が「吹ニ」、吹田駅付近の下り着発・出発線群が「吹七」、上り着発・出発線群が「吹六」かなぁと思っているので、とりあえずこう呼びますが、違っていたら教えてください。

操車場が機能していた頃は、ハンプにかかる貨物列車は上下とも吹ニの到着線に到着し、ハンプにかけられて配線図でいえば左から右方向に移動し、分解・組成されて吹六及び吹七の出発線群に据付けられるという流れでした。岸辺駅のホームの下の方には立体交差が設けられており、これは吹六からの上り出発貨物と吹ニに進入する上り到着貨物の競合を避けるためと思われます。「吹田を通る貨物列車はハンプにかかるのが当然」という前提での配線ですね。
このほか、下り到着線群は東京方~大阪貨(タ)間の折り返し、上り出発線群は神戸方~梅田方の折り返しにも使用されていたようです。

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吹田駅ホームの神戸方です。

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神戸方からです。
左はかつてはビール会社の専用線がありました。

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東京方です。

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東京方です。下り・上りの出発線群です。

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吹田駅内側線の東京方には折返し線があります。
私の古い記憶では、内側線の103系の運転系統は京都~甲子園口、吹田~西明石といった感じに分離されており、京都~西明石を直通する列車は少なかったような気がします。今はどうなんでしょうか。

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上り第1場内信号機です。
右は城東貨物線用、左は梅田貨物線用です。

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上り第2場内信号機です。北方貨物線に対してはこれが第1場内になります。
「梅梅2場」なんて表示を見てゾクゾクするのは私だけ?

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下り第2出発信号機です。これで北方貨物線と梅田貨物線が振り分けられます。

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下り第3出発信号機です。これで梅田貨物線と城東貨物線が振り分けられます。

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コメント

昔、ビルになっていない大阪駅の一コーナーに梅田駅の冊子があり、ちらっと見たところ梅田駅の詳細な配線図面が掲げられ思わず、下さいと性急にお願いして奪うような不逞なことを致しました。その頃同時に工事局史を図書館でこの吹田操車場の図面を見掛け、直ちにコピーをお願いしました。昭和40年台には解結機能増強のため拡張工事も始まったのですが、頓挫しました。ともあれ小生にとり、資料としてはどちらも30年余りたつのですが、唯一の宝物となっています。梅田も吹田も合理性が追求された配線図です。信号系統は無知なのですが、配線は精妙と感じてきました。下り出発線東には駅別小ハンプがあり、知る限り稲沢と田端に設けられた仕訳設備です。現今住民運動でもめているようですが、梅田駅からの貨物駅機能の移転と、城東貨物・大阪貨物タ・安治川貨物駅の3方向の授受や解結機能に特化して再利用されるんだな、と思います。まあその配線も知りたいんですが、結果として操車場としての機能が受け継がれるような感じを、ささやかながら心密やかに持っている・・・・・・という不埒者です。

 

なにしろ広大な跡地ですから、有効に活用して欲しいものですね。
おっしゃるとおり、操車場機能はなくなっても、吹田を基点に貨物線が各方面に散っており、また、機関区や工場もありますので、重要拠点であることには変わりないですね。

吹田操車場の配線図を拝見でき、感激です。
初めて「吹田操車場」を見たのは、1970年の8月16日だったでしょう。(万国博覧会の年)
それからは、吹田操車場見たさに東京からの帰りには京都で降り、新快速に乗り継ぎ広島にまで帰ったこともあります。

たぶんここで、マンモス電気機関車のEH10?と記憶している機関車を見たので、E10さんに対して失礼をしたんだと思います。
本当に申し訳ありませんでした。

ところで、日本最大の操車場はどこだったのですか?

私は73年頃に何度か吹田操車場脇を通り過ぎました。貨車の洪水のような風景に興奮し、パンプ作業を目の当たりにて鉄道入門書のとおりの光景に驚嘆したのを覚えています。
TOさん、実はEH10のプラモデルを子供の頃に持っていました。黒い巨体に黄色いラインのスタイルに、子供心に強いもの見たさの心情が有ったのかもしれません。普通ならEF66等を欲していたでしょうに。これからも名前を使い分けていただければ幸です。
吹田、稲沢、新鶴見が三大操車場と呼ばれていましたが、田端の項でのSYさんのお話による扱い数量では吹田が頭一つ抜き出ており、おそらく吹田操車場が最大級だったのではないでしょうか。

東海道本線の通称でもありますJR京都線の吹田駅から関西本線の通称でもあります大和路線の八尾駅までは近鉄バスと京阪バスと国鉄バスと阪急バスの4社が運行を致しましたがさて廃止をされたのは平成何年頃でしょうかとのことです、

巽孝一郎さん、wikipediaによればよくわからないとのことです。

5枚目の画像ですがまだ木製架線柱が存在していたんですね。さすがに今は木製はありませんよね。

中村勇治さん、目の付け所が違いますね(笑)。

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