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2009年4月12日 (日)

1992高槻

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私の中では今でも「高槻電車区」ですが、車両基地の名称はJR化前後でずいぶんと変わってしまっていますので、今はどうなっているのでしょうか。

1992061300
上り場内信号機です。

1992061301
神戸方です。3番線です。

1992061302
神戸方です。5番線です。

1992061303
神戸方です。6番線です。

1992061311
東京方です。3番線です。

1992061312
1番線の出発信号機は低柱タイプです。

1992061313
東京方です。4番線です。

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東京方です。6番線です。

1992061321
東京方からです。

1992061323
東京方からです。

1992061324
下り第2場内信号機です。

1992061331
東京方です。

1992061332
東京方です。中央の坂を登っていく線路は高槻電車区への通路線です。

1992061333
1番線の東京方の保守基地です。

1992061341
東京方からです。

1992061342
電車区への通路線の右側には怪しげな線路が・・・。

1992061343
下り第1場内信号機です。

1992061351
高槻電車区です。神戸方からです。

1992061352
東京方からです。

1992061354
165系らしい電車も見えます。

1992061356
自動洗滌機です。

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東京方です。

19780315c02
1978年撮影です。1151レです。

19780315c03
1978年撮影です。756M西明石発野洲行きです。

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コメント

曽て、向日町へ回送される優等車を2番で待避させている写真を観たことがあるのですが、複々線区間のモデルである高槻駅は、ホーム幅が狭いのが難点。多分大正期に作成されたとおぼしき『大阪附近鉄道復興計画略図』を見ると、上り2線をのっ越し電車区が計画されていて、結果同区が昭和31年に開区となりました。その図を見ると、北方貨物線も宮原より北西側の豊島地区に(客車)操車場を設け、福知山線塚口駅北側を通過して本線に合流する計画だったようです。塚口駅からは同貨物線へ合流する線も有り、旅客回送は大阪・神崎・塚口そして豊島を考えていたのでしょう。現宮原は低湿地だったからでしょう。ちなみに向日町操車は貨物操車場予定地で、乗っ越し線は山陰貨物・梅小路貨物に使い、梅小路操車は旅客基地にする予定でした。なお、向日町以東は現方向別でなく、旅客・貨物別複線で近江八幡まで複々線化する…少々壮大なプランだったみたいで。

いつもいつも重みのある解説ありがとうございます。
なかなか壮大な計画がなされていたのですね。
向日町以東が旅客・貨物別複々線にならなくてよかったですね。

 御無沙汰しております。
 僕の中でも、高槻電車区は今でも大タツのままです。
 ただ、現状は電留線のみが存在しているだけで、名称は「吹田工場高槻派出所」なのだとか。線路配置自体は、(先日所要で通過したときに見た限りでは)昔日と大同小異でした。

京阪神緩行は103系、所属は大タツか大アカ・・・。私のイメージもそのあたりでストップしてしまっています。
それにしてもなんで「工場」の派出なんでしょう。

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