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2009年3月25日 (水)

1992宮原

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昔は、「大ミハ? ミハってどこ? 宮原? 宮原ってどこ?」という感じで、個人的には関西では竜華と並んで神秘の車両基地でした。
大阪→宮原→大阪という環状運転は、惜しいところで不可能ですね。
向日町運転所と同様、着発線がどこの所属なのかがナゾです。向日町運転所の場合はそばに向日町駅がありますが、宮原の場合は近くに駅はありません。「宮原操車場」とか「宮原信号場」のような停車場が存在するのでしょうか。

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北方貨物線の下り場内信号機です。
下り本線のほか北7番線に進入できます。回送列車用だと思います。まさか貨物列車の待避には使わないと思うのですが・・・。

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北方貨物線の下り本線の出発信号機です。

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神戸方からです。複線分岐のような形態で分岐しています。

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神戸方からです。

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全景です。昔は宮原機関区、宮原電車区、宮原客車区の3つの車両基地が存在したのですが、この時点ではどうなっていたのでしょうか。

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南10・9番線の出発信号機は低柱タイプです。

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南2番線~8番線の出発信号機が写っています、

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ひっそりと転車台が・・・。

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大阪方からです。
このあたりって、線路沿いに放置された車が列をなしていました。

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大阪方です。

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大阪方です。

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大阪方からです。

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大阪方からです。中央の2線が回送線です。

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回送線(連絡線)の場内信号機です。

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大阪方からです。このあたりは旧客車区でしょうか。

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大阪駅のほうから113系が入区してきました。

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コメント

宮原操車の掲載、多謝申し上げます。小生にとり世界観の一つの軸である基地です。上記を受けて申し上げると、今は定かでないのですが、新聞紙上では各区長と操車場駅長がありました。同様に向日町に関しては運転所は庫周辺で、他は操車場扱いだったと思います。その後どこかで向日町駅扱いになった記事を読んだ気もするのですが、今はやはり定かでありません。さて宮原ですが、地平の大阪駅地平の客車検車設備を一旦旧吹田操車の仕訳線予定地に移し、その後宮原操を昭和8年に完成させ、東海道に電車を走らせた次第です。かつては矩形の機関庫の前には転車台があったようです。北7番については吹田工場への出入や、大阪~塚本~宮原~向日町所という直接的な運用が特急レベルで有った記憶があります。宮原で滞泊しない運用が組まれていたのでしょう。一度だけ一周したのですが、矢張り無駄を排した線形です。

大阪駅が、その前後で淀川を2回渡るくらい大きく迂回した位置に設けられたことが宮原のような機能的な車両基地を生んだのでしょうね。
「宮原操車場」の「駅長」さんがいたわけですね。確か吹田操車場にも「駅長」さんがいました。

こんばんは、御無沙汰しております。最近の配線図ブームはここから始まったと確信しています。しかし92年の関西は国鉄の匂いがプンプンしていいですね、SY先生の注釈と相俟って興味深く拝見しました。宮原のような俯瞰風景も車窓の楽しみですが 一昨日、新幹線から見た東京の風景にはびっくり、いつの間にか品川の客車庫が無くなったと思っていたら、あの旧東京機関区の機関庫の直前までレールが撤去されていました。歴史ある庫の取り壊しも秒読みのようです!

改めて加筆しても良いのでしょうか。長らく東京方へとは赴いておらず、田端区や尾久への移籍は記事上では読みつつ、さらに今般の客車列車の削減も知識としては知りつつ…。上記を受けて思うに、名門の区所の庫も解体されるとは。七〇~八〇年台を生きた身とすれば、です。シンボルを失いつつあるような…

沼津区さん、お久しぶりです。SYさんのコメントの通りですね。私にとっても品川客車区、東京機関区といえば花形中の花形車両基地だったのに・・・。
田町電車区は新幹線開業でちょっと格が下がりましたが、通勤車両基地としても活況を呈しているのに比べると、客車関係の基地の末路には寂しいものがありますね。

検索で辿り着きました。線路図が素晴らしいですね。大阪駅と合わせてエンドレスにならないのは、ちょっと残念です。それにしても車両が間近に見られて、楽しい場所です。

ワークスKさん、コメントありがとうございます。
関東人の私にとって、「宮原」という名前は聞いたことがあったのですが、「向日町」や「高槻」などと違って車窓からは眺められないために、長いこと謎めいた車両基地でした。

北方貨物線にこの線路図表のころ乗務しておりました。携帯時刻表には「宮原(操)」と記載されており「みやそう」と喚呼していた記憶があります。採時箇所が上下の出発信号機だったと思います。貨物列車が着発線に入ったことは聞いたことが無いですね。。下り出発信号機の先にある踏切は直前横断が多くよく特発が動作し非常停止したことがありました。出発信号機を超えて非常停止すると開通確認のため運転係員が出てきたことがあったので詰所が下り出発信号機の付近にあったのかもしれません。いずれにしろ吹田信号所を出発して最初に緊張する場所でした

非常停止が多い踏切、それはそれは緊張ですね。お疲れ様でした。

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