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2009年3月17日 (火)

1992大阪

Photo

一部は撤去されてしまいましたが、かつてはマニが荷物の積み下ろしをおこなっていたと思われるホームを切り欠いた側線がいっぱいあります。
環状線と東海道線はかろうじて渡り線1本でつながっていますが、今はどうなっているのでしょう。
出発は上り・下りとも第1・第2出発が設けられていますが、場内は下りが第1・第2場内となっているのに対し上りは場内のみです。

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東京方です。1番線です。

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2番線です。

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4番線です。

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5番線です。

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6番線です。
6番線には上り出発信号機が設けられていますので折り返しが可能です。
第2出発信号機の現示を予告する進路予告機が設けられています。

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7番線です。
中線も本線なんですね。中線も折り返しができます。

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9番線です。
8番線だけは第1出発で外・内が振り分けられます。

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11番線です。

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神戸方です。1番線です。
環状線への渡り線が見えます。

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2番線です。荷物用の切り欠きがないのは1・2番線ホームだけです。
東京方と同様進路予告機が設けられています。

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4番線です。
上りの8番線と同様、5番線は第1出発で外・内が振り分けられます。

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5番線です。

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6番線です。
上り場内信号機には6番線への進入ルートが設けられていますので、6番線は神戸方に対しても折り返しができます。

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7番線です。側線は撤去されています。

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7番線です。こうして見ると結構クロスがあるんですね。

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9番線です。

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9番線です。荷物車から荷物を積み下ろししている風景が見たかったですね。

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10番線です。11番線の側線も撤去されています。

以上の大阪駅の写真、よくよく見たら人間が1人も写っていませんね。まるで廃墟のような風景になってしまいました。

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バックナンバーはこちらからどうぞ。

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コメント

「カメラマン立ち入り禁止」はいいですね。
シーナリー作ったら採用かな。

形容詞に困るほど配線を浮かび上がらせる見事さ描写力にただ嘆息しております。まさしく大阪駅です。この駅の魅力は中線を軸にした緩急の線的対称性だと思います。かつては西側の中線引上げ線は荷物車の仕訳で、東側は宮原まで送られなかった走り始めた151系「こだま」の引上げに用いられたとか。半世紀前の話です。一年余前に入れたゲームを走らせてみて、新大阪や大阪駅構内の速度制限にかかり、カーブやホーム長のもつ難しさを思い知りました。それくらい大阪駅は興味深い構造的歴史があるのですが…草津駅の先の保線区には新幹線信号所があり、地元や社は駅を設けようとしたのですが、知事がそれを却下し、もう停車場は設けられない有様です。京都・米原駅間の長さはもう埋められないでしょう。

Tanktankroさん、模型の世界では自由に写真を撮らせてあげて下さいね(笑)
SYさん、私は関東出身なもので、ターミナルといえば東京や上野のような「終端駅」しか馴染みがありませんで、大阪のような貫通型のターミナルは新鮮でした。方向別複々線に宮原への回送線など、実によくできた駅ですね。

ホームの先端を削った側線は、大きな駅にはどこでもありましたね。
写真に残す前になくなってしまったので、この線路写真集は感涙です。
人も列車もいりません!(笑)

おっしゃる通り! 線路を隠す列車は邪魔者以外の何者でもありませんから!

 写真の神戸方1・2・5番線の画面に、ホームの端に沿って車止めのようなブロックが長く延びています。
 ご承知の方も多いと思いますが文字どおり車止めで、ホームに置いている荷物扱いの手押し車が動いて転落しないように設けられました。荷物の転落も防止しています。
 列車が進入する線路のみで、荷物側線にはありません。かえって荷物の積み下ろし作業の邪魔になりますので。
 最近、若い方から質問を受けましたのでこのページをお借りしました。

C6217さん、荷物営業時代の「遺構」というわけですね。大きな駅であることを象徴する設備だったのではないでしょうか。

EF58の全盛期は、長距離列車の主要駅であり、今は近畿圏の主要駅になった。
昭和47年10月のダイヤ改正で、大阪発の‟日本海、つるぎ”の米原までと、新大阪始発の‟あかつき、彗星”と復帰と言えば聞こえは良い。が、時期的には納得行かない気分であった。急行の客車は、12系、14系となり、旧型客車は福知山線の普通列車で、大阪駅にDD51は似合わなかった。
大阪駅から、北陸及び福知山線経由で山陰へのローカル客車の長距離鈍行があった。今は各駅停車のことをやたら鈍行というけど、駅の間隔の間隔広い所を100㎞/hで走っている電車を鈍行と言えるのか?
大阪駅を基点、終点とする普通列車で知る範囲内では、北陸本線経由で新津まで行き,ヨンサントーのダイヤ改正まであり、新津行の表示に北陸経由とあった。新津始発の大阪行にも北陸経由とあった。山陰からは、浜田始発の列車でかなり最後まであった。
鈍行とは、本来は荷物や郵便物を運ぶ列車である京都の鉄道博物館や、長浜の鉄道スクエアには、昭和駅舎が展示していて、切符売り場と荷物の取り扱いがある。郵便物を運ぶ列車は車内で作業をやっていた。列車交換のないホームの短い無人駅は通過していた。他にも、交換の急行、特急を臨時停車を避けたり、後の急行、特急の退避が間に合わなかったり、運転間隔を維持するためとか。
列車交換、通貨待ち、荷物や郵便物の取り扱いで停車時間が長く、主要駅では10~20分の停車時間が多くて、所要時間の1/3は間で停まっている時間で表定速度は、30㎞/h前後でまるで陸蒸気の時代と変わっていない。走行中でも、扉が開いたままで、デッキの手摺を持ちスッテプに立ち車掌に注意されたものである。
C62の重連の急行‟ニセコ”は青函連絡船に乗せて本州へ持って行く荷物車、郵便車を繋いでいたことで客車で運行していた。客車だけだったら、ディーゼルカーで運行していた。
今みたいに、空調の付いた固定窓は特急だけであり、他は急行電車のビッフェにあり、厨房の電熱器のためで、利用者のためではなかった。1等車にも冷房はなくて、今は冷房が有って当たり前みたいになった。
機関車は、機関区に合わせて付替え他の客車や貨物列車を牽いて折り返すことで、機関車が効率よく運行できた。昭和も末になって、客車を主になって来ると、併結が難しくなって荷物列車が増えた。今はJR貨物が管理し、隣に停まっていた貨物のコンテナの郵便物の表示があった。時間帯によっては、電車の一部に新聞を運ぶぐらいである。
過去には、東京~門司とか大阪~青森までの普通列車があった。 

ニッシーさん
福知山線は比較的近代化が遅れた線区でしたので、大阪駅のような大都市のターミナルにもかかわらず1980年ころまでローカル客車列車を見ることができました。電車ばかりですと味気なさを感じてしまう中でゆったりとした雰囲気を感じることができましたね。

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