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2009年3月13日 (金)

1992新大阪

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東京方は列車線・電車線・梅田貨物線・北方貨物線の豪快な4複線です。
北方貨物線は新幹線に沿って別れて行き、代わって宮原からの回送線が合流します。
駅自体は各本線に副本線が設けられたシンプルなつくりです。
今はどうなっているか知りませんが、この当時、新快速は新大阪~大阪間だけ電車線(内側線)を走っていました。

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梅田貨物線の下り場内信号機です。東淀川駅の東京寄りに建っています。

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東京方です。東淀川駅は目の前です。

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東京方からです。

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東京方からです。

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下り場内信号機です。

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東京方です。

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東京方です。

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北方貨物線の東京方です。

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北方貨物線は新幹線の下に吸い込まれていきます。

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神戸方です。

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神戸方です。

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上り第2場内信号機です。

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回送線の信号機です。「連外場」「連内場」ではなくて、「連外出」「連内出」が正しいような気がするんですけど・・・。

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外側線の上り第1場内信号機です。進路予告機がついています。

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内側線の上り第1場内信号機です。同じく進路予告機付きです。
右下は梅田貨物線の場内信号機です。

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コメント

回送線の「連外場」信号機のこと。
この回送線は宮原操を出発して駅間を走り、ここから新大阪の構内に入ります。入口なので場内となります。
その代わり出発信号機はありません。ポイント1基を過ぎれば新大阪構内を抜けますので出発信号機を建てる距離はなく、なくても何の支障もありません。

C6217さん、大変失礼しました。おっしゃる通りですね。
この事例やスイッチバック駅のように場内と出発を兼ねる信号機の場合は「(出発信号機を兼ねる)場内信号機」ですね。
話が少し逸れますが、この東海道線と回送線との分岐部は、昔は宮原操車場の構内だったものが新大阪駅の開業によって新大阪駅構内に移管されていますね。

新大阪駅は、地下鉄の御堂筋線に始まり、当時は淀川の川の下を通す技術に乏しくて、中津から地上に出て鉄橋を渡って、新大阪駅へ着いた。その後、新大阪駅が設置されて、新幹線が入った。
隣の東淀川は、廃止の話はあったが、地元からの要望で残ったが、大阪市内だから残った。が、地方都市だったら廃止になっていた。
当時の、京都~西明石間の普通電車は茶色の旧型で、ホームに降りたとき茶色デッキの付いた、電気機関車の貨物列車が北方貨物線へ入り、大阪駅に貨物列車が通らなかったことを知った。
大阪の親戚中で祖父を迎えに、新幹線ホームへ行、開業当時の新幹線を身近に見た。岡山開業までは、大阪始発の上り列車は新大阪は通過していた。北陸本線からのEF58の普通列車も例外ではない。新快速は長距離とは、別枠で117系電車になるまで新大阪には止まらず、今は茨木と高槻~京都間を除いて、当時の快速電車の間隔でその分電車のスピードも速くなり、長距離がなくなったことで、京都~西明石間は複々線の列車を通っている。
大阪東線によって、奈良まで直通快速が運行し、貨物線を通って阪和線乗り入れの特急と、国鉄と違って並行している私鉄に遠慮なくなって出来る様になった。

ニッシーさん
>新快速
乗っていた白の青の塗装の153系の新快速が新大阪駅を通過したのはちょっとオドロキでした。
そんな新快速も止まらない新大阪駅でしたが、阪和線や奈良へと、今や大ターミナルですね。

新快速は大阪万博の年に、京阪神間を並行する私鉄の特急に対して、横須賀線色の113系で対応する目的で、京都~姫路間の運行され、昼間だけで、京都~大阪~三ノ宮~明石~西明石~加古川~姫路と停車駅も少なくて、新幹線の岡山開業で、廃止になった、四国連絡の急行鷲羽の塗装を変えて、新快速になり6両編成だった。117系になっても、完全に置き換えて新大阪に29分を維持出来る様に、停まる様になった。今は敦賀~播州赤穂までの長距離の普通電車になった。
快速は、万博会場の最寄り駅で停まる様になり、今に至っている。京都以東は快速が各駅停車で、米原、一部大垣まで行っていた。西明石以西も、各駅停車となり、本線は上郡、赤穂線の播州赤穂と、岡山県境の手前まで行っていた。
誰かが何を言っても、言い返す人には関心するね

ニッシーさん
解説ありがとうございます。

 トップ記事の新快速が内側線運転のこと、新大阪で内側線ホームへ着けた後、渡り線が無いために大阪まで内側線となっていました。
 最近の(何年前?)改良で渡り線が設けられ、外側線を走りながら新大阪のみ内側ホームへ着発が可能となりました。写真を見ても新快速ルートが優遇され、外側線の本線が分岐の制限を受けるものが増えています。
 この分離によって、大阪で各停321系と新快速223系の同時発車が見られるようになりました。どちらも新大阪停車ですから、本当に互角の競争をします。


新快速と同じ時間に、トワイライトエクスプレスが出ていた。新快速は、新大阪まで内側の電車線を使用していた。新大阪から、新快速が先に出て列車線を使用していた。
下りの新快速が大阪出る時に、同時に福知山線の普通電車が出て、普通電車は停車駅が近い分、短距離での加速や減速が可能で、隣の塚本へ着く頃に新快速が抜いて、並行している阪神電車の各駅停車はどうなっているのかである。阪神電車の急行がJRの普通電車と同じ停車駅の間隔である。陸上競技の短距離走者が、野球の代走にならないことを証明している。
貨物列車が発車して、加速までに時間がかかり客車は、長距離を走るには経済的であった。新幹線によって、長距離列車の廃止になって新快速が、列車線を使用出来る様になり、以前は電車線を使用していた。

 ニッシーさま、なつかしい思い出をありがとうございます。本当に無駄のないように線路をフルに使用していました。
 もうひとつ、快速を退避した各停は快速の開通待ちで発車しますが、その時間を惜しんだ例があります。
 芦屋付近は快速も各停もともに内側線運転ですが、芦屋で快速を退避した下り各停は、快速と同時に内側線へ発車します。進出先の内側線をを各停に奪われた快速は外側線へ進出して並行加速します。
 各停が次の摂津本山・住吉・六甲道に停車している間に快速は引き離し、通過駅である東灘の渡り線で所定の内側線に移り、何事もなかったように各停に先行します。
 このサーカスもどきをご記憶の方は無いでしょうか。

ニッシーさん
C6217さん
競争といえば快速と貨物列車が最高でした。普通電車では貨物列車と勝負にならないし、新快速では早すぎる・・・。

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