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2009年3月 9日 (月)

1992草津

1992年の関西地区の駅シリーズです。

車扱貨物輸送は廃止されJRにも移行していますので、個人的には余り懐かしさを感じないのですが、そうはいっても16年以上の月日が経過してしまっているのですね。

配線図は見たまま(とういより、あとで写真を見て書いたようなもの)なので、漏れやミスがあるかもしれません。余り信用しないで下さい。

1

2京阪神地区の複々線区間の東の端で、草津線が分岐しています。
広い(というか、長い)構内で、神戸方には第2出発・第2場内信号機が設けられています。
柘植方には新幹線の保守基地につづく側線があり、この関係もあってか、草津線の場内は第3まであります。

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神戸方です。

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神戸方からです。

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神戸方です。

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神戸方からです。

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草津線のりばです。

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東京方からです。

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東京・柘植方です。

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東京方からです。

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東京・柘植方です。

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柘植方です。

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柘植方からです。

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新幹線の保守基地に至ります。

 

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コメント

配線図自作なんですか!スゴイなぁ。

神戸方のトンネルの上は天井川ですよね。
旧東海道を歩いた時に知りました・・・

配線図書き、結構大変なんです。
トンネルは、どう見ても天井川ですよね。
このトンネルの上からも写真を撮っているんですけど、水は流れていたかなぁ・・・、記憶がありません。

神戸方の在修線も描かれ、いつも通りの精緻な表現に感服しております。草津線も電化されおり、配線図を見ながら、オーバークロスする草津線が、上下貨物の授受線の役割を有した痕跡をうかがい知ることが何とか出来ます。草津線は複々線工事とオーバークロス化に伴い東海道本線に沿う形に線形が変更され、草津線と東海道線が分かれる辺りに質素な転車台がありました。多分お写真のモーター庫辺りで、電化された以上無用になったのでしょう。…写真に載せられている新幹線の先には、一度は問題になった・・・・

SYさん、いつもご覧いただきありがとうございます。今後は余り懐かしくもない風景しかお見せできませんが、よろしくお願いします。
ところで、「…写真に載せられている新幹線の先には、一度は問題になった・・・・」とは???

 またお久しぶりになってしまいました。
 あの高山駅以降もぼちぼち続いていて、何よりです。

 皆さん同様、路線図が自作というのは驚きです。写真から図面を起こすというのもなかなか出来ることではないと思うし、現場の鉄道保線関係者などでもそうそう簡単には完遂出来ないでしょう。

 ただ、神戸方のポイントの配置がちょっと気がかりです。
 草津線直通の列車があった頃、神戸方面からの直通列車はどのようにしてポイントを渡ったのかな?...と。多分、図面のままだとすると、駅構内でスイッチバックせざるを得なくなってしまうと思うのですが、如何でしょう? それとも、草津線直通の列車が廃止されるのに伴って、渡り線の一部廃止があったのでしょうか?
#因みに、今も草津線直通の列車は設定されているよう
#です。というか、各駅停車の一部が乗り入れを復活さ
#せたというのが実際の経緯のようですけどね(「えき
#から」時刻表の '09 年5月版で列車設定の存在だけは
#確認しました)。

 一部訂正。
 神戸方面からの列車は、東京・柘植方のオーバークロスを通れば、草津線に入線出来ますねw 失礼致しました...m(_ _;)m

「懐かしい」とか「1980年前後」という本来の主旨からは外れますが、細々と続けさせていただいています。
線路配線を調べる「基本」は目と紙とペンなのですが、いい年になると結構恥ずかしいので、写真に撮って後でルーペで拡大しながら図にしているんです・・・・。

例ビッグなど さま

もう一つ昔のこと。1956年まで草津駅の1番線(現草津着発線)は東海道下り本線でした。草津線列車はその裏の現草津1番線に着発していました。
ただし草津線列車は京都へ直通するものが多く、その場合は東部で平面交差して東海道ホームを使用していました。
 別に記しました山科の前後3線化の関連。東海道本線の電化後もこれら草津線列車は蒸機のまま京都まで運転するのが合理的でした。しかし逢坂山・東山トンネル内に信号機が設けられたため蒸機運転禁止となり、草津でC57とEF58のバトンタッチが見られました。不経済な運用でした。

草津の引き上げ線は栗東の保線基地への資機材搬入用だったのですね。
名目上貨物扱い可能な駅という扱いにしたのも保守基地への搬入用でしょうか。

伊26さん
草津駅の配線図にはこのあたりがはっきり描かれていないんですよね(汗)。

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