1978芦屋
芦屋駅の記録は1977年と1978年です。
1992年のシリーズからは外れますがご勘弁を。
この当時、草津~西明石間の複々線区間の内側線(電車線)には、153系の新快速、113系の快速、103系の普通電車が走っていました(103系は京都~西明石間のみ)。
大阪で新快速が快速を追い越し、高槻と芦屋と須磨で新快速または快速が普通を追い越すというパターンだったような気がします。また、朝夕の一部の快速電車は外側線(列車線)を走っていました。
以下は列車です。
快速電車の主役113系です。
朝の通勤時間帯に外側線を走る956M網干発大阪行きです。
新快速の主役153系です。3630M姫路発京都行きです。
上りの新快速は3番線を通過します。
3004M彗星3号宮崎発新大阪行きです。
遠くの駅を見ると、2番線に113系(多分内側線を走る744M)、3番線に103系。
普通に考えれば103系が2番線、113系が3番線だと思うのですが・・・。
854レです。これも急行貨です。EF61が牽引しています。
この103系は2番線で待避しているんでしょうね。どのように線路を使い分けているのでしょうか。
○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●
バックナンバーはこちらからどうぞ。
« 1992大阪の信号機 | トップページ | 1992向日町 »
こんなにたくさん列車が映っているなんて。
こちらのブログではとても珍しいことですね(笑)
投稿: LUN | 2009年3月22日 (日) 18時13分
「ドキッ!!」ですね。この頃までは車両中心だったのですが、いつしか線路に目覚めてしまったのです。何がきっかけだったのでしょう???
投稿: f54560zg | 2009年3月22日 (日) 21時06分
期を画したEF58が映っているものを拝見すると、ときめいてしまうのは、小生の関西的な反射的反応で、些か申し訳なく思います。宮原・向日町中心の世界観なんでしょう。大陸風のEF66も運用上極めて魅力を有していたのですが・・・車両から配線、信号へと重層的に興味が移っていかれたのは、合理性と立体的に認識されたいお気持ち故なのだと心底おもいます。
投稿: SY | 2009年3月25日 (水) 00時13分
私は小さい頃から夏休みの田舎への往復でEF58にはずいぶんとお世話になったものです。もっとも高崎第2の所属でしたので、私にとってのEF58といえば大きなヒサシのついたヤツでしたが・・・。
投稿: f54560zg | 2009年3月26日 (木) 21時29分
3004M の写真、奥に写っている 113 系と 103 系をよく見ると、内側線に 103 系、外側線に 113 系ですから、113 系が快速、103 系が普通列車なら“正しい”んじゃないでしょうか。
それにしても、配線図が比較的単純な駅のエントリーを見ると何かありそうだと思ったら(こちらさんではそれが定番パターンとお見受けしています)、垂涎ものの懐かしい列車オンパレードで、食い入るように見入ってしまいました...。
最後の写真では、EF65 が最初期型の1つ目で、これまた何ともまた...。
投稿: 例ビッグなど | 2009年5月 4日 (月) 00時29分
新快速の写真の通り、内側線の主要な列車は3番線を通るんです。分岐器も3番線が直線側なんです。だから、快速の744M(これは内側線走行です)が3番線、これに追い抜かれる103系(これももちろん内側線走行)は2番線、というのが自然じゃないかと思うんです・・・・。
おっしゃるとおり、中には「なんでこんな単純な駅が???」というのがいくつかあります。それには色々ワケがありまして。
それと最後の写真、これはEF65ではありません、EF61なんですぅ。
投稿: f54560zg | 2009年5月 4日 (月) 14時13分
2枚目から5枚目までの白黒画像は芦屋駅が橋上駅工事前のものです、
投稿: 巽孝一郎 | 2012年2月 2日 (木) 19時47分
巽孝一郎さん、wikipediaによればご説明ありがとうございますとのことです。
投稿: f54560zg | 2012年2月 3日 (金) 23時06分