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2009年3月30日 (月)

1977尼崎

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1977年頃だと思います。
尼崎港支線、尼崎市場、専用線などなど・・・。

19770313b02
1977年です。725レ鳥取行きです。

19770313b03
ひどい写真でごめんなさい。尼崎を発車して勾配を登り、まもなく東海道線をまたぎます。

19770313b04
これまたひどい写真です。東海道線をまたいでいます。

19780314e02
これは1978年です。1290レです。

19780314f01
同じく1978年です。東京方です。

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コメント

ここの線路の分岐は、まるでジャンクションのようで美しかったです。
東西線開通後の、整然とした合理的線路も、別の意味で美しいです。
後日大事故が起きたけど、線路のせいにされているみたいで、歯がゆかったです(泣)

神崎製紙への引き込み線や下り仕訳・同保守線、また尼崎市場駅、いつも寂しげな福知山線上りホーム。よく通っていた尼崎駅が図の上に浮かび上がります。いまではホームも4面8線化されLUNの仰るとおり美しく合理的な配線になりました。もともと鉄道輸送に頼っていたビールは大都市近傍に工場をゆうしていました。向日町や吹田、枇杷島の辺りと思い起こせるのですが、遮断気味であったそのビール工場は移転し、都市再開発で北側も開け始めたようです。ともあれ、合理的な配線構造を有している以上、一層柔軟な運用や使用が可能な筈です。結果人のすべに係っているのでしょう。

LUNさん、SYさん、ご返事遅れてすみません。
当時の福知山線は大阪に近いわりに近代化から取り残されていたようで、それがまた好ましい雰囲気でした。東西線開通後は行ったことがありません。さぞかし変わってしまったことでしょうね。貨物設備がなくなったのは寂しい気もしますが、合理的な配線も魅力です。

東海道線から福知山線に分かれて勾配を登っていく時に、尼崎駅構内を見るのが好きでした。

築堤の内側にある西構内線の所に、尼崎機械軌道区の基地が在ったと思うのですが、配線図を見ると5,6番線がそうだったと思います。

参考になるか判りませんが尼崎機械軌道区、関連の記事です。
http://jdream2.jst.go.jp/jdream/action/JD71001Disp?APP=jdream&action=reflink&origin=JGLOBAL&versiono=1.0&lang-japanese&db=JSTPlus&doc=83A0351841&fulllink=no&md5=460229b358c699e60dc7a55e6d3b752b


床屋のシンサンさん、情報ありがとうございます。尼崎港線をくぐってからいったん左にカーブし、次に右に大きくカーブして東海道線を乗り越える線路は何ともダイナミックな姿でしたね。

1枚目の画像は大阪発鳥取行きの普通列車ですがこの大阪発鳥取行きの普通列車が廃止をされたのはさて何年前でしょうかとの事ですが、

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