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2009年2月 7日 (土)

富山客車区 1979/10/5

下奥井-(徒歩)→富山15:31発-(242レ)→高岡

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客車が配置されている車両基地の多くは「客貨車区」か「運転所」・「運転区」で、「客車区」という名称は富山のほかは高崎、尾久、上野(乗務員区)、品川、宮原、竹下、熊本だけでした。
富山第一機関区と奥田への貨物支線にはさまれた狭い場所に設けられおり、約100両の車両が配置されていたわりには線路数はわずかに7線、富山第一機関区と同様コンパクトな車両基地です。

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富山駅ホームからです。
一番右の線路が奥田への貨物支線、左は富山第一機関区です。

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右が奥田方です。

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北7番線の検修庫です。

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米原方からです。北2~4番線付近です。
角度を持って配置されているため、このあたりでは本線とは結構離れています。

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北5・6番線付近です。

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北6・7番線です。

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コメント

北陸シリーズ、いつも楽しみにしています。
奥田への貨物支線は、移動機を求めて歩いたとても懐かしい線路です。確か駅から分岐するところに車庫があったことは覚えていたのですが、富山客車区という立派な施設だったんですね。
 奥田駅への貨物線の様子をまさか再び見ることができるとは・・・!奥田駅の写真がありましたら是非よろしくお願いします。

富山客車区は完全に盲点でした。仕業と洗浄、検修だけのそぎ落とされた施設だったんですね。雑誌には南西方の電留線しか掲載されておらず…区域内に入られて、感服しました。旧型客車と70系、そして洗浄台とパンタ点検台、マッチしているようなミスマッチのような、でも懐かしい。ところで奥田貨物駅って、傍らが貯木場で材木だけを扱っていたのですか。越中島駅をミクロにしたような感じだったんでしょうか。ともかく恐れ入りました。

kaujinさん、そんなコメントが来そうな予感がしていたのですが、すみません、奥田駅には行けていません。そんなに遠くはなかったんでしょうが、歩くガッツがなかったんですね。

SYさん、確かに客車区にパンタ点検台はミスマッチのような・・・。
奥田駅は上記の通り行けていません。これ以外にも富山港線には専用線がいっぱいあったのですが、訪問できず残念に思っています。

富山客車区は昼間は客車が多くいましたが、夜間になると大阪からの485系が留置されていました。
現在の681・683系は金沢の車両なので、大半が回送で金沢へ戻っていきますが、国鉄時代は向日町の車両はそのまま富山で駐機されていたようです。
(金沢所属のしらさぎ編成は金沢まで回送されていました。)
氷見・城端線関係の客車は朝富山にやってきて夕方には高岡方面へ戻る運用でしたし、北陸線関係の客車は直江津・米原両客貨車区の編成に付属編成として連結されて両方面へ散らばっていく運用で夜間はそれぞれの基地で過ごす運用が多かったと記憶しています。

特急はげたかさん、コメントありがとうございます。
なるほど、それで客車区にパンタの点検台があるわけであり、また配置両数のわりにコンパクトな基地なわけですね。逆に、そういう運用にしないととても収容しきれないのでしょうね。

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