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2009年2月 8日 (日)

富山 1979/10/5

下奥井-(徒歩)→富山15:31発-(242レ)→高岡

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直江津方です。富山地鉄との連絡線付近です。

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直江津方です。

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直江津方からです。

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直江津方です。

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直江津方です。

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直江津方です。左は富山港線ホームです。

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直江津方からです。遠くに富山客車区・富山第一機関区が見えます。

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富山港線ホームから、岩瀬浜方です。妙なところに自動洗滌機があります。

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岩瀬浜方です。

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岩瀬浜方からです。

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岩瀬浜方からです。買収線区らしいホームです。

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米原方からです。左手前が奥田方です。

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米原方です。切り欠きホームは「西3番線」?

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米原方です。

以下は2002年8月12日撮影です。

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直江津方です。

20020812b53
富山地鉄とはレールはつながっているようです。

20020812b51
このあたりのレールはきれいさっぱりです。

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直江津方です。富山港線が左にカーブしています。

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富山港線ホームです。米原方に移設されています。

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岩瀬浜方です。

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左は電車、右は気動車?

20020812b11
米原方です。富山第一機関区は跡形もなく、電留線も減りました。

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切り欠きホームはただの「3番線」のようです。

20020812b05
米原方です。神通川の橋梁が見えます。
右の複線トラスが北陸線で、左の単線トラスは高山線です。

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コメント

かつて高山本線が直流電化されるとかで、唯一その頃持っていた『RailMap』をもとに、一番線は直流・富山地鉄乗り入れ線にし、二番線を富山地鉄対北陸本線として、ここいらにセクションを設け…と、三角定規と弧を描くテンプレート定規をもってしこたま稚拙な試案図を描いたことをふと思い起こしました。それも立ち消えとなり…デッドセクションはいかに、と思って拝見したところ、分岐側の速度制限の表示が、なんと、初めて見掛けた位置です。こんな所にあれば、軌道面ばかり見ていた小生は視野が狭いのでしょうと思い知らされます。

SYさん、私もいろいろ描きました。妄想配線図。大きい声では言えませんが、楽しいですよね。
視野が狭いのも一緒です。掲載した写真に小さく写っている、私も気づいていないものに対するコメントをいただくと、「皆さんいろいろなところを見てるなァ」と感心してしまいます。

 久しぶりにコメントします。

 富山駅、懐かしいですね。
 初めて訪れたのは '94 年ですが、その時は富山港線は終日電車列車での運行でした。いつからだったか忘れましたが、この時期の富山港線は、朝晩のみ電車列車での運行で、日中は気動車での運行だったと思います。キハ 120 だったのですね...。
 富山地鉄の乗り入れ線、今はどうなっているのでしょう...? 機会があったら、立山方面行きの列車に乗ってみたいものです。

--

...と思って、調べてみました。wikipedia の情報なので、話半分という感じですが、一応。
 気動車が富山港線を日中走るようになったのは 2001 年からだそうで、キハ 120 は高山本線と共通運用だったとのことです。
 富山地鉄への乗り入れ線は、現存しているようです。現在は臨時の特急などの乗り入れはないようですが、計測車等の事業用車両が乗り入れることはあるそうです。で、デッドセクションも現役なのだとか。

例ビッグなどさん、お久しぶりです。
各地の国鉄と私鉄の連絡線はJR化後かなり撤去されてしまったようですが、富山では残っているのですね、架線付きで。
富山港線に交直流電車が走っていたということは、富山港線との間にも交直セクションがあったのですね、

こんにちは。
高架になった富山駅、一新され、事業者さえJRから第三セクターになり、往時を思い起こすことのできる痕跡は何もなくなってしまいました。
現在工事中の富山地鉄の高架化が完了すれば、言葉通り全てが変わることになるのだと思います。
交流電化の北陸本線に接して、唯一の直流電化の富山港線がどのように配置されていたのか不思議だったのですが、奥田方面の貨物線や、北陸本線とは逆サイドの留置線などは非電化だったのですね。
旧型国電が走り、貨物線からの列車はディーゼル機関車が牽引する、国鉄らしさを駅のお写真から感じ取ることができたように思います。

風旅記さん
買収私鉄の接続駅は規格に当てはまらない個性的なものが多かったです。もう、昔の話ですね。

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