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2009年2月 2日 (月)

今庄 1979/10/3

津幡-(3336M~336M)→今庄13:33着/14:21発-(3338M)→敦賀

3336M~336Mは富山~米原間のうち富山~福井間が快速で、338M~3338Mは富山~敦賀間のうち金沢~敦賀間が快速でした。

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かつては補機基地として今庄機関区が設けられていましたが、北陸トンネルの開通により単なる中間駅になってしまいました。
それでも本線関係は5本もあり、実際に使用されているかどうかはわかりませんが、設備としては立派な駅です。19791003d03
米原方です。

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米原方からです。

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米原方からです。
給炭台や給水タンクの遺構が見えます。このあたりがかつての機関区だったのでしょうか。

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直江津方からです。

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直江津方です。
ここにもEF70初期型が留置されていました。
彼らが誕生するきっかけとなった北陸トンネルの間近で静かに佇んでいました。

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コメント

先日、今庄~敦賀の旧線跡を自転車で走りに行ったのですが、リニューアルされた今庄駅の中に鉄道資料館が出来ており、蒸気時代の今庄駅(機関区含む)のジオラマが設置されていました。

構内配線図も展示されていて、当時の様子がよく分かるようになっています。

写真を送るにはどうすればよいでしょうか?

床屋のシンサンさん、自転車で走ると旧線の勾配を身をもって体験できそうですね。

>写真を送るには
私にお送りいただけるということでしょうか?
もしそうであれば、コメントを投稿いただく際にメールアドレスをご記入下さい。こちらからご連絡させていただきます。

私自身、あまり記憶にはなくて、祖父が勤めていて給水や給炭をしていた。 D51をターンテーブルに乗せて向き替えていたことは覚えていて、C57の列車が福井側から来て、木の芽峠を越えることでD51に変えて、 補機のD51を繋いでいて信越本線の横川から碓氷峠越えを見たときに思い出した。
北陸トンネルが開業して、 廃止になってEF70の客車急行立山が通過して、イメージが変わり金沢行の急行は、電車化された。 新幹線の開業と、同時に富山電化で、特急電車雷鳥、 しらさぎが運行して翌年には立山も電車化された。 軽量の普通列車はED70が使用されて、 EF70の貨物列車は殆ど通過していた。 貨物列車の間合使用で、
EF70の普通列車が楽しみで、 荷物車をつないだ編成の長い普通列車は、 EF70が使用されて南今庄は通過していた。
新幹線の試験目的で交流電化されて、技術的の乏しくて米原~田村間は蒸気機関車で橋渡ししていた。60Hzを使用していた糸魚川まで交流電化された。

二ッシーさん
電化前はさぞかし賑わっていたんでしょうね。

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