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2009年1月 2日 (金)

三厩 1982/3/24

郷沢-(923D)→三厩7:46着/8:11発-(928D)→青森

923Dはキハ22133、928Dはキハ22149に乗車しました。

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青森方です。
こんな最果ての駅でもしっかり専用線があり、ある種の頼もしさ・力強さが感じられました。

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青森方からです。荒涼とした景色です。

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終端側です。
この時点では「みうまや」ですが、今は「みんまや」になっていますね。

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終端側からです。

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終端側には車庫があり、

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その車庫を通り抜けた先には転車台があって、

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その転車台の先で線路は途切れていました。

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コメント

小生、幼稚園児に引っ越しし転居先の幼稚園には編入できず、元の園に5両編成の旧型で通っておりました。定期を忘れて、近所の人に出会って10円(片道5円)もらって園へと改札を通ったり、まあ昔からぼんやりモンでした。行く途中、来年営業する0系がトラバーサに載せられ、仮台車に載った何台もの車体が並んでいました。人混みにつぶされそうな園児にとって、目を見開く瞬間です。車窓から眺められる車両製作工場は限られていましょう。かくして、この0系も時を経て、引退となり、年が明けました。
 おめでとうございます。
三厩は曾て果てで、その先は風の唸る竜飛崎です。この地を穿ってトンネルができ在来線が走るようになり、さらにこの駅の手前青森方では新幹線工事がかなり進捗しているようだし、函館方では入札云々とか。この地が、写真の風景がスピードとともに気づかれないまま忘れさられるような・・・

SYさんは幼稚園から電車で通っていたのですか。
小さな体ではさぞかし大変だったのではありませんか。
中小国までの津軽線は青函連絡の一部となりましたが、三厩は取り残されてひっそりしているんでしょうね。

この駅は降雪時に行ったきりなのです。
終端はてっきりあの倉庫かと思っていました。
その先に、こんなステキな終端があったのですね!
今も残っているのかなぁ・・・

そんな写真、他ではなかなか見られませんからね。

確かに車庫の先にまだ線路が続いているとは思いませんよね。転車台ともどもまだ残っているかもしれませんね。

車庫の先の線路、初めて知りました。こういう視点からの写真って貴重ですねー!

知らない場所ですので、いろいろとウロウロしながら撮影したことも多かったですね。その割に、よく知っている地元の写真をあまり撮影してこなかったのが残念でなりません。

 三厩のセメントサイロひょっとして青函トンネル工事用ではないでしょうか憶測ですいませんが

yyoshikawaさん、どうもそうらしいですね(汗)。

 三厩を2014年6月16日に訪れました。往復ともキハ47、車掌乗務でした。ワンマン化しないのは津軽海峡線は幹線だという東日本の意地のように思えます。
 雨に迎えられてウロチョロの足も鈍ります。写真の貨物設備はいっさい無く、。セメントサイロももちろんありません。線路はホームを挟む着発線の2本のみ。
 この写真を知っていたら定点観測ができたのに申し訳ないことです。
 突き当たりの車庫は右脇のものがなく正面のみが残っていました。その向こうの転車台と車止めは見落としました。本当に何しに行ったのでしょう。目的なしの旅の欠点です。
 地図を読むと、この車止めは青函トンネルとは見当違いの南東に向いていて、トンネルルートの想定は全くなかったことが明白です。海底トンネルが20‰ならばここが入口として最適地なのに。

 チャーターした車の運転士さんが、地吹雪の怖さを語ったあと、雨で残念でしたね、いつもこんな気候だと誤解しないでください、ぜひまた来て下さい、と丁重な挨拶がありました。
 もう一度行けるといいけれど。

C6217さん、ずいぶんと遠くに出かけられたんですね。私も再訪したいところはいっぱいあるのですが、なかなか時間とお金が・・・(汗)。
津軽線は「北に向かって一直線」というイメージがあったのですが、おっしゃる通り三厩付近ではぐるっと向きを変えているんですね。

 訂正します。三厩の車止は南西を向いています。
 新中小国信号場は三厩方面が直線、青函トンネル方面が分岐(制限45)していました。貨物列車の通過量からいえば反対にすべきですが、貸すのは軒先だけという東日本の考えでしょうか?

C6217さん、そうですね、ちょっと不可解な構造ですね。どのような意図なのかが気になります。

自身にとっては、瀬棚駅に次いで魅力的な終着駅 三厩駅 なのですが、三厩駅を目的に最果てとも言えるこの地には中々訪問する機会が訪れませんでした。
思い返せば、キネマ旬報社の蒸気機関車誌にシリーズ終着駅という連載記事があって、当時はまだC11が貨物列車に活躍中だったのですが、誌面からは、なんだか鄙びたような雰囲気が魅力的な終着駅で、いつかは訪れたい場所だと熱望していました。
青函トンネルの観光ブームが落ち着いた頃だったでしょうか、当時まだ健在だった道南周遊券の範囲だった中小国駅に着目し、吉岡海底駅の見学を兼ねてようやく訪問の機会が訪れたのですが、冬場で構内は積雪まみれ、列車の折り返し時間もわずかで、感傷に浸る隙もなくみたいな結果でしたが、やはり一度は訪れたい場所に到達できたことに今は悔いなく思います。
路線の三厩駅が街はずれで方向を変え山側へ向いているのは日本海側へ山越えをする構想でもあったのでしょうか。
太平洋側の未成の大間線は断崖絶壁のような場所を進捗したのは軍需路線だったからみたいですが、こちらが竜飛崎に向かわなかったのは海峡封鎖の要塞が無かったからなのか、なかなか興味深い地域です。

終着駅自体は、まだまだ各地に存在しますが、国鉄時代を想わせるような三厩駅みたいな鄙びた終着駅は、どこかに残存しているのでしょうか。

E10さん
機回り線やわずかな貨物側線などが「鄙びた終着駅」の象徴であったような気がしますので、これらがなくなってしまいますとたとえ終着駅として残っていたとしてもちょっと寂しいですね。合理的だとは思うのですが(汗)。

津軽線は「青森県青森より三厩、小泊を経て五所川原に至る鉄道」として第二次大戦後に開通していますから、三厩駅の終端が内陸に向いているのは峠越えを想定したのが一因であると言えそうです。

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