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2009年1月12日 (月)

高岡 1979/9/30

富山-(3332M)→高岡9:21着/10:35発-(433D)→能町

3332Mはクモハ471-2、433Dはキハ458に乗車しました。

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城端線、氷見線が分岐しており、富山第一機関区高岡支区が設けられています。
城端線、氷見線とも駅を出るとすぐに急カーブで北陸線と別れて行くため、両線の直通はできません・・・・・。できないのですが、配線図を見ると、あともうちょっとがんばれば・・・と思ってしまいます。もっとも、買収前は同じ会社だったようですから、その頃は直通できていたのかもしれません。

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氷見線ホームから、氷見方です。

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氷見線の出発信号機は2現示です。

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氷見方からです。当時氷見線にはまだ3往復の客車列車が走っていました。

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氷見線ホームの終端です。機回り線があります。

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右が北陸線下りホーム、左を先に進むと氷見線ホームがあります。

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直江津方からです。右は北陸線上りホーム、左は城端線ホームです。

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城端線から客車列車が到着したようです。城端線には5往復の客車列車が設定されていました。

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城端線ホームです。

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直江津方のナゾの建造物。車庫ではないようですね。

以下は2002年8月13日撮影です。

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氷見方です。
出発信号機は3現示に変わっていました。

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機回り線もなくなってしまいました。

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線路は残っていますが、貨車の姿は見えません。

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直江津方です。氷見線が左に分かれて行きます。

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直江津方です。
北陸線下りからの氷見線出発信号機は2現示です。

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米原方です。

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米原方です。城端線が左に分かれて行きます。

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城端線ホームの直江津方です。二塚からの貨物列車が到着しました。

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城端線ホームです。直江津方からです。
なぜか高岡駅はのりばの番線の数字がこちら側から始まっていて、城端線が1・2番線、北陸線が3~6番線、氷見線が7・8番線になっていました。

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氷見方からです。あの建造物、気になります。

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直江津方からです。配線図と見比べるとダブルスリップあたりを覆っているようですので、単純な雪覆いでしょうか。でもなんでここだけ?

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コメント

昔は加越能鉄道と線路がつながっていたような痕跡があったのですが、線路図からはわからないですね。
あの建物はスノーシェルターですよね。
しかも氷見線方面への貨物列車のダブルクロスを守るためだけの、とっても贅沢な(笑)

配線図では単純なダブルクロスになっていますが、実際は両渡り付きのシーサスクロッシングのポイントになっていて、あの構造物はそのポイントを守るためのスノーシェッドです。北陸では両渡り付きのポイントは珍しいので、当時の国鉄が用心深く設備投資をしたのではないかと思われます。

LUNさん、名なしさん
加越能と国鉄がつながっていたのですか。確かにちょっとわからないですね。新湊付近でも加越能と国鉄線が入り組んでいるんですが、交差はすれどつながってはいなかったみたいで・・・。
スノーシェルターについては、妙なところで用心深かったんですね。しかも車庫と見間違うばかりの立派なものだから余計に・・・・。

LUNさんが仰せの通り、氷見線への分岐は、本当にスノーシェルターに思えますが、見慣れた石勝線のそれとは違いいささか抵抗を覚えています。しかし、現場を知っている方の意見を尊重したいと思います。動力区の存在や直江津方の仕訳線や能町・高岡貨タへの機能をこの駅が持っていることは否めないのですが、配線と機能の面から考えると、いささか疑念を持ちます。新幹線の高架の軀体工事を追跡していくと、この駅の機能が一気に変容していく気がしてなりません。

SYのおっしゃるとおり、機能的にはちょっと非効率的な配線に思えますね。でも、個人的にはそういうところ、大好きです。

スノーシェルターの付近に道路の高架橋があるのだが、昔は踏切で交通量が多くて開かずの踏切で有名だったんだ。でもって、あのクロスポイント シェルター付く前は、冬よく凍って踏切をふさいだり、本線止めたりしていたから建てられた。だったかな。

siongさん、コメントありがとうございます。
ちょっと違和感を感じる建造物なんですが、そういう経過があったのですね。

城端線の客車列車、懐かしいです。編成中一両だけオハユニ61で、木製ニス塗り背もたれの座席と白熱灯がいい味出していたのを思い出します。
氷見線ホームの移設に伴い、シングルスリップスイッチは撤去されたそうです。それを覆うのスノーシェルターも近く撤去されるらしいです。
時代は進みます・・・

マッキーさん、コメントありがとうございます。
いい雰囲気だった氷見線のホームが移転するのは個人的には残念ですね。オハユニ61といい、いずれ遠い昔の話になってしまうんですね。

城端線側から1番線、2番線、・・・となっているのは、北陸本線よりも先に城端線(当時は私鉄)が開業していたからだと思われます。

GLAYTACEさん、コメントありがとうございます。
北陸線よりも城端線のほうが開業が先とは知りませんでした。ありがとうございます。
氷見線側に駅本屋が設けられた時点で、本屋側から順に1番線・・・というような番線名の変更をしなかった、ということですね。

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