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2009年1月15日 (木)

新湊 1979/9/30

能町-(徒歩)→新湊-(渡船)→伏木

197909302
広いです。一応これでひとつの駅らしいです。側線が好き勝手に広がっています。
構内は、西部・中部・東部の3つに分けられており、西部構内に着発線があります。つまり列車として入れるのは西部構内までで、そこから先は入換ということになります。
駅本屋があるのは中部構内ですが、これはその昔旅客営業が行なわれていた頃の名残でしょうか。実質的には西部構内が中心のようですね。
能町方の日本重化学専用線と、中部構内と東部構内の境界あたりの日本鋼管専用線が加越能線と平面交差しています。これだけすぐそばを走っていながら国鉄線と加越能線はつながってはいないようです。
他にもいろいろあるのですが、キリがないのでこの辺で。皆さんも配線図を良く見てくださいね。何か発見があるかも・・・。

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日本重化学専用線との平面交差です。正面が新湊方、左が越ノ潟方です。
車が邪魔っ!

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反対側です。
ここの平面交差にはしっかりした安全側線が設けられています。

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加越能線新吉久駅付近です。越ノ潟方です。
ちょっと変わった信号機です。

19790930e03
吉久付近です。高岡方です。

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加越能線中伏木駅です。左側の建屋が新湊駅本屋です。

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中部構内の駅本屋付近です。終端側です。

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能町方です。

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渡船場踏切付近です。能町方です。

19790930e09
同じく渡船場踏切付近で、終端側です。

以下は2002年8月13日撮影です。

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旧(?)本屋付近です。終端側です。
線路はありそうですが雑草だらけです。

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終端側からです。

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7枚目の写真とほぼ同じ場所です。建物も減ったみたいです。

20020813h6
6枚目の写真とほぼ同じ場所です。本屋はなくなってしまいました。

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中部構内の貯1、2番線付近です。能町方です。

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終端側です。

20020813h14
西部構内です。終端側からです。

20020813h17
西部構内です。能町方からです。
着発線群です。下り1番線は撤去されてしまっています。

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能町方です。

20020813h19
能町方です。建物はかつての信号扱所ですが、立派な「表札」がかかっており、この時点では本屋なんでしょうね。
高岡貨物駅は旧新湊駅の西部構内の着発線群を改良して設けられたのでしょう、きっと。

20020813h22
能町へ向かう途中にある荻布倉庫の専用線の分岐です。

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コメント


 おはようございます、奥野君です。
 去年の12月ですが、新湊を探索してきました。昨日からアップをはじめていますが、圧巻は明後日からアップ予定の富山県線ですね。まだ線路が残っていましたです。
 ではでは。

奥野君さん、新湊はスゴイところですよね。奥野君さんのブログにコメントさせていただきます。

かつては東部構内で現在の万葉線と繋がってました。射水線の各駅や東新湊駅に隣接する日本高周波の貨物を受け入れてました。最近万葉線を退職されたベテラン運転士さんが若い頃日本高周波の貨物列車を
運転してたと言っておられました。六渡寺駅と庄川鉄橋間の短い急勾配(33パーミル)
を上るのにかなり苦労したそうです。

越中高岡さん、ひょっとして富山地鉄時代のことでしょうか。昔は線路が繋がっていたんですね。

はい。繋がってました。富山新港建設による射水線分断後、新湊から越ノ潟までを加越能鉄道に譲渡後も1970年過ぎまで前述の東新湊駅に隣接する日本高周波への貨物輸送がありました。幼い頃走っていたのを覚えています。

越中高岡さん、加越能時代も輸送されていたんですか。ということは、加越能鉄道は貨物営業をしていた時期がある、ということですね。情報ありがとうございます。

そういうことですね。中新湊駅の貨物ホームにワムやトラがいたのを覚えています。

こんばんは。
興味深く拝見しました。
中伏木駅を訪ねたときに、荒地の広がる中、やけに中途半端な場所にあると感じたことを思い出しました。
真裏が新湊駅の本屋だったのですね。
跡形もなく撤去されており、残念ながら往時の面影を掴むこともできませんでしたが、あの場所の前後に広大な駅が広がっていたと思えば、イメージするのも楽しく感じられます。
万葉線の車窓に映る工業地帯の雰囲気も、路面電車のある町としては独特に思えました。
専用線との平面交差も、もし今に残っていたならばと悔やみたくなります。

風旅記さん
ここはスゴイ駅でした。まさに兵どもの・・・です。

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