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2009年1月31日 (土)

城端 1979/10/3

高岡-(321D)→城端7:22着/8:35発-(326レ)→高岡

321Dはキハ45519、326レはオハユニ61130に乗車しました。

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どこかで見た配線図ですね。
それはさておき、城端線の終点です。
本線は、何故かの「上り」本線のほか、下り1番線、上り1番線の3本がありますが、上り1番線は出発専用で到着はできません。
貨物扱いはすでに廃止されていましたが、どこで貨物の積卸をしていたのでしょうか。

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高岡方からです。
まず最初に転車台への側線が分岐しています。

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高岡方からです。
次に下り1番線が分岐します。普通は逆ですね。

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高岡方からです。

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上り1番線です。ここから出発する列車があるのでしょうか。
もともとは貨物側線のようにも見え、このホームから旅客が乗降するようには思えないのですが・・・・。単行機関車の出発用?

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高岡方です。

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高岡方です。

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高岡方からです。

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終端側からです。
白い屋根が信号扱所です。

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城端線の終端です。

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右側にホームらしき遺構があります。貨物ホームの跡でしょうか。

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お約束の転車台です。小さな車庫もあります。

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高岡方です。

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車庫の裏側です。

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323レが到着しました。

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すぐさま機関車が切り離されます。

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機回し中です。折り返し326レとなります。
この当時城端線には5往復の客車列車が設定されていました。

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コメント

私が巡礼たときも、ほとんどこの線路の状態でした。
線路配線が美しい終着駅のベスト3には入りますね。駅舎もキレイでした。

転車台と車庫があって、客車列車が運転されていて、これで貨物扱いが行なわれていたら文句なしですね。

はじめてカキコします
城端ではすでに貨物扱いは廃止になってた様ですが、二つ先の福光で貨物扱いがあったと思います
確か某ビールメーカーの問屋があった関係で鉄道貨物でビールを仕入れていたと思います。

南砺さん、いらっしゃいませ。コメントありがとうございます。
ということは、終点城端の2つ手前までは貨物列車が走っていたんですね。
だったらいっそのこと終点まで走らせてくれたらよかったのに・・・。

こんばんは、今年の7月に城端を訪れた際、転車台の遺構が残っていたので記事にしてみました
30年で変わったものと変わって無いものの比較も楽しいですね
またご覧いただければ幸いです
また懲りずにTB飛ばしてみましたが、fc2からココログは相性が悪いそうです

oomatipalkさん、コメントありがとうございます。
TBは届いてました。ただ、公開保留状態になっていました(気づきませんですみません)。普通はそのまま公開されるんですが(矢口真里とか、そんなのでさえスルーしてくるのに・・・)。

 写真から推測しますに上り1番は元々貨物扱い線であったのでは 然も脇の山田農協倉庫の位置が微妙な方向に向いてますひょっと以前は農協倉庫脇に側線が通じていたのではと思うのですが如何でしょう

yyoshikawaさん、そうですよね、貨物扱い設備はそのあたりに設けられるのが一般的ですね。

今年の深夜枠でサクラクエストと云うアニメが有りました最近のアニメは一応現地取材するので可也現実感が有ります
さてサクラクエストの第一話でとある終着駅が描かれていました其の画面を見てアレと思いました見た様な風景でした 線路の終端に民家が描かれ機廻し線も描かれてました
で貴下の城端駅の終端部の写真を思い出し改めて見ると略同じでした

本項の記事がアニメーターの素材になるとはビックリです。
我々の世代でのノスタルジーは1960年代辺りなのでしょうが、現今のクリエーターならバブル期か昭和50年代なのでしょうか。
子供の頃に、交通の図鑑という本を母から買い与えられ、食い入るように毎日見ていた時期がありました。
ページ内に機関区の風景ページがあり、その光景がどの場所なのか当時からがずっと気になっていて、学生時代から社会人になってからも、その光景を求めて全国を駆け巡りましたが、ついに巡り会うことはありませんでした。
今思えば、当時の作者の独創的な機関区風景だったのかかもしれません。

SL時代でなくとも城端駅の終着駅風景には独特なものを感じます。
f54560zgさんの行動力に感謝いたします。

yyoshikawaさんもアニメをご覧になるんですね。ちょっと意外でした(失礼しました)。
E10さん、私もしょっちゅう眺めていた鉄道風景の描かれた絵本がありました。作者さんはおそらく何かをモデルにしていたと思うのですが、やっぱりそれがどこだったのかはわからずじまいでした。まあ、絵本を読むぐらいの歳の子供がそれを言い当てたら、ちょっと恐ろしい気もしますが・・・。

先回コメント致しました深夜アニメサクラクエスト物語の舞台は富山県の架空の都市真野山市モデルになったのが富山県南砺市です御存知の様に南砺市の主な鉄道駅は城端駅です
アニメでヒロインが真野山市に初めて列車でやって来るシーンキハ46?が田園風景の中を走るシーン終着駅である真野山駅に到着するシーン等まあ良く描かれてますが終点真野山駅は相対式ホームであるのが城端駅とは少し違いますが機廻し線辺りの表現は城端駅を参考にしたのでしょう

yyoshikawaさんのおっしゃるアニメの画像検索をしてみました。城端駅の先端付近の民家が昭和の家屋から平成の家屋に変化していて、yyoshikawaさんのコメントに、なるほどなるほどです。
鉄道風景が印象的なアニメは、銀河鉄道999や以前他項でもお話した おもひでぽろぽろ なのですが、もぅ50年くらい前でしょうか、まだ幼い頃に姉が見ていてついでに見ていた、魔法使いサリー か ひみつのアッコちゃん だったでしょうか、蒸気機関車牽引の貨物列車が単線駅に停車中に嵐の中の信号トラブルか何かの理由で対向してきた急行旅客列車を避けるために、列車長より短い、トの字を上下逆さまにしたような引込線へ突っ込んで行き、(ただ、子供ながらに、なぜ貨物列車は直ぐに後退して、駅員さんが接近してきた急行列車に危険を知らせたらいいのに、と思いましたが)機関士さんは脱線転覆した蒸気機関車の下敷きになり殉職した場面があって、それがアニメで列車に纏わる光景としてはいちばん印象深く記憶に残っています。

yyoshikawaさん、E10さん
私も画像検索してみました。おっしゃる通り機回し線あたりの描写は城端駅のそれとそっくりですね。
おもひでぽろぽろもよく実物を観察されているなあと思いながら見ていました。
「魔法使いサリー か ひみつのアッコちゃん」は記憶にないのですが、殉職とは、子供向けとしては結構重たいですね。

城端駅は現在ホームを増設し相対式の終着駅になっており二列車が停車出来る様に配線変更があった模様です

yyoshikawaさん、ホーム増設とは珍しいですよね。交換設備が撤去された駅もいくつかあるようですので。

アニメサクラクエストを製作したアニメプロダクションは富山に本社を置くPAWORKSという会社ですので地元の置城端で取材したのです 京都アニメーションも良く地元京都の各地を取材したアニメを製作してます最近の作品では響けユーフォニアムと云うアニメでは京阪宇治線が登場してます 新海誠監督の彼の君の名はでは東京の各地がリアルに描いておりJR東日本も協賛してました
すいませんマニアックな話題を述べました鉄道関係の話しもアニメ関係の話しも関係無い人から見ればただのオタクなのでしょうかね

yyoshikawaさん、誰しもある特定の分野に関してはオタクなのではないでしょうか。

CS放送の旅チャンネルで駅ポスターの旅という番組で城端駅が紹介されてました 現在の城端駅は御存知の通り相対式ホーム化され尚且つ今も終端部で昔の儘機廻しが出来る状態です 唯空撮画像からターンテーブル駅舎脇の農協倉庫等は完全に消え去ってる模様です

googleマップで見てみました。
ターンテーブル自体はありませんが、痕跡がはっきり残っていますね。周囲の農地との境界線が、かつての線路配置の名残りを明瞭にとどめていて面白い形をしています。

yyoshikawaさん、クモイ103さん
転車台の跡、くっきりですね。機回し設備が残っていることがうれしいです。

こんにちは。いつもブログを楽しみながら読まさせていただいてます。先日たまたまこの沿線にある図書館にあった城端町史(昭和30年)で別件の調べものをしていたら、城端駅の説明がありました。終端部に並ぶ貨物ホームの遺構には私の子供の頃には年季の入った上屋が残っていました。実はこのホームの脇から10㎞を越える索道が、田圃、急峻な山を越え、庄川の流域まで伸びていたのです。目的は祖山ダムの建設工事(1927~1930)の建設資材の運搬のためでした。主に嵩張らない軽い貨物を運んでいました。重量物は、高岡や石動、福野経由で加越線の終点青島から陸送や水運で運搬されていました。索道は戦後しばらくも当時冬季は自由に往来ができなかった五箇山地区への生活物資の搬入にも役に立っていたらしいです。富山県の鉄道各線は河川流域開発のための重要な使命を担っていたことを改めて認識しました。

京葉帝都様 城端駅からの索道が伸びていたとは驚きものです貴重なお話有難う御座います 
嘗て荷物運搬用索道は各地に存在してましたが殆どが鉱山関係の機械扱いだった様で資料等残ってないのではと思います

最近城端線を旧富山港線同様ライトレール化しようという話が有りますね若しライトレール化すると結項長距離路線になるのでしょうね

城端駅をネット検索してたら、当HPに辿り着きました。
昭和な頃の駅舎、転車台等興味深く観させて戴きました。
折角なので、当HPを紹介したいと想い城端駅のGoogleMapコメントの一部に、以下記載をさせてください。

昭和の頃の駅の情景を知りたい方は、
yyoshikawaさんのブログ:
「懐かしい駅の風景~線路配線図とともに」に昭和な写真が掲載されていたので行ってみて!
(自分は、「城端駅 転車台」でググったら出てきた。)

はっさくさん
紹介コメントの記載は問題ありません、ありがとうございます。
ただ、管理人はyyoshikawaさんではなく、f54560zgでございます。わかりづらくて申し訳ありません(汗)。

はっさく様私はただのコメんンテーターです時々コメントしている次第です

f54560zgさん
yyoshikawaさん

御許可頂きありがとうございます。
又、勘違いしてしまって申し訳御座いませんでした。
早速、先程、城端駅と城端駅転車台跡のピンの口コミを上記訂正の上、追記させて頂きました。
なにぶん、純粋な鉄道ファンでは無い為、好き勝手口コミを投稿しておりますので、もし、間違っている事があっても御容赦下さい。🙇

はっさくさん
ご面倒をお掛けして申し訳ありませんでした。

城端線と氷見線は2024年4月を目途にあいの風とやま鉄道に移管との事です

新湊線はどうなるのでしょう・・・

こんばんは。
城端駅、今もお写真の頃の面影を多く残しているかと思います。
私は最近初めて訪ねましたが、こちらの記事の資料やお写真が、現在の記憶ときっちり重なり合いました。
転車台は近くまで見に行けるようになっており、往時の蒸気機関車での運行を想像させてくれるものでした。
小さな機関庫のあった辺りを通って見に行ったのだと思います。
対向式のホームに改められ、たまたま2列車の止まっているところを見ましたが、終着駅らしさ溢れる光景が印象に残っています。

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