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2009年1月19日 (月)

寺井 1979/10/1

武生-(327M)→寺井9:50頃発-(1223レ)→松任

氷見線訪問のあと、富山~立山6号~敦賀~立山5号~富山のパターンで夜を明かす予定だったのですが、集中豪雨で立山6号が鯖江で足止めを食らってしまいました。その後何とか武生まではたどりついたのですが、あとの計画がボロボロになりました。
所定では327Mは寺井着7:27、1223レは寺井発9:02でした。

19791001

北陸鉄道能美線が接続していますが、配線図には記載されていませんので線路はつながっていない、ということのようです。

1979100101
米原方です。

19791001a03
駅前の広場です。写真の左のほうに見落としてしまいそうな・・・

19791001a01
北陸鉄道ののりばがあります。

19791001a02
う~ん、本当に線路はつながっていないの?
昔はきっとつながっていたんでしょうね。

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コメント

寺井と聞いて、小松と共に九谷焼!と思ってしまうのは、きっと「さもしい」のでしょうな。さて、高規格線になった北陸線にあって、本線・副本線扱い以下は枕木の数や保守の度合いが少ないのが伺われ、この時期くらいから格差の明瞭化が強く始まっていたのだろうという印象を持ちました。末端が捨てられていくような・・・加賀温泉駅を中心に福井から金沢まで私鉄と多岐に連絡していて、現地を知らぬ身に故に未だ整理できていない始末。・・・あのオ、上記は一体どういうソフトで描かれているのか、そうお訊ねしたい気持ちを以前より持っていたのですが。

SYさん、ちっとも「さもしく」なんかないと思いますよ。
このあたりは小さな私鉄がいっぱい接続していましたね。基本的には私鉄は「対象外」なので、私もよく理解ができていないのですが・・・。
配線図は2次元CADで描いています。ちなみに、「脇道3」の記事の連動機の図は3次元CADです。

今月のレールマガジンライブラリー230は北陸鉄道能美線です記事の中に能美電気鐵道時代の寺井驛配線図が掲載されてます 国鉄との間に貨車授受と機廻しを兼ねた連絡線で結ばれてました
北陸本線寺井駅は戦前と戦後では少しだけ配線が違ってます 駅舎側の貨物退避線は戦前には無かった位で殆ど変わらないそういえば寺井駅は東海道本線東部タイプの配線ですね

yyoshikawaさん、寺井駅はちょっと毛色が違う配線ですね。粟津駅もそうですが。

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