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2009年1月23日 (金)

富山第二機関区 1979/10/1

富山-(徒歩)→富山第二機関区-(徒歩)→富山口

19791001r
富山~東富山間にある富山操車場に隣接した日本海縦貫線の電気機関車基地で、EF81とEF70が50両程度配置されていました。
富山操車場全体の配線はわかりませんが、上り本線の外側(山側)、米原方に設けられています。

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米原方からです。左は転削庫でしょうか。

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米原方からです。

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直江津方からです。庫1番線です。

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直江津方からです。庫1・2番線です。

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直江津方からです。

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直江津方からです。

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直江津方からです。

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直江津方です。
左側が富山操です。

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直江津方です。機留線です。

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直江津方です。入区・出区線です。

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直江津方からです。

2002081321
2002年8月13日撮影です。

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コメント

第一機関区・第二機関区という字面を見てときめきを覚えるのはきっと国鉄時代に生きた身の故なのでしょうな。蒸機と電機、または貨物と旅客担当の区別。ここがEF81の寝ぐらなんだ、という思いを持ちます。配線図は推測ですが、設置されて間もない時期の感じを受けます。まあヤードは整理され、富山貨タになり、旧ハンプ付近には富山運転所(現今の名称は不明)が設けられ、富山駅の北西にあった第一機関区が移っているようです。富山港線もライトレール化され・・・富山駅から第二区までは結構な距離で、その意味もこめて深く謝します。

確かにおっしゃるとおり、50両もの配置がある割りにはコンパクトな機関区という印象を受けますね。
昔は時間はあるけどお金がない時でしたから、けっこう歩きました。荷物を持っての歩きはなかなかしんどかったです。

【富二区】
富山第二機関区。
通称、トニクですね。
富山第一機関区を訪れた時に現場の方がトイチク・トニクと使い分けておられました。
かつては EF81の牙城と呼ぶのに相応しい機関区でしたが、開設当初は EF70のみの配置だったようです。

お二人のおっしゃるように、機関区構内の配線が短くて本数も少なく感じます。
EF81や EF70の体格なら窮屈さを感じていたかも知れませんが、機能的な配線と効率的な機関車運用で回していたのでしょうか。
EL50両規模の配置なら酒田機関区や敦賀第二機関区も同等の規模だったようですが、この富山第二機関区は一回り小さく感じてしまいます。
富山操車場の一部に機関車付換え用の待機線か機留線や、富山第二機関区の派出所のような機能を有していた場所でもあったのでしょうか、とても50両の電気機関車を収容仕切れる広さではなさそうに見えます。

どこかの機関区を訪問した時、もし国鉄の車両がすべて止まっても、本線部分以外に全車両が収容仕切れるように線路の有効長が取られていると聞いた事があります。
その時の私は、本線上からすべての列車や車両がいなくなり、駅の側線や機関区、ヤード構内に車両達が居並ぶ光景を想像したのですが、思いも寄らない話に想像を膨らますのは難しすぎました。

機関区横の北陸本線を何度か素通りしましたが、車窓から初めて見た富山第二機関区は活況を呈しており、かなりの規模だと見受けられ、ここが万能機 EF81の塒なんだと、その時はときめきを感じましたが、年を追うごとに構内が殺風景になっていたような気もしまします。(以前ひとやすみの項でお話したように富山第二機関区は未訪問になってしまいました。高崎第二機関区や長岡第二機関区も。)

EF81のトップナンバーや500番台がこの富山第二機関区にいたようですが、機関区までは富山駅から2.5Kmくらいの距離感だったのでしょうか、最近になって機関区構内の少し近くまで公共機関で行けることを知り、15年くらい前に持ち合わせていた私の気力と体力なら、北からの寝台特急を途中下車してでも転車台とトップナンバー目当てに訪れていたかも知れません。
でもその時の私の時の運は、構内立入禁止の言葉を聞いてすぐにボンネット特急の乗客となっていたかも知れませんね。(以前、構内の外れに転車台を見かけた覚えがあるのですが、記憶違いならすみません。)

5枚目かの写真に、構内を案内していただいた方だったのでしょうか、職員の方が写り込んだ写真がありますね。
よくあるんですよね、こうゆうこと。
「ちょっとそこどいて下さい」など、とても言えないし…。
私の場合、初めの頃は少し抵抗感がありましたが、慣れて来ると記念写真の感覚になり、案内の方も被写体になっていました。

記憶が薄れても記録が残っているのは嬉しいものですね。

富山第二機関区は自分の足で訪問はしているのですが、車窓から眺めた記憶が全くないんです。富山操車場も同様です。
実際には車窓から眺めているはずなのですが、記録がないので忘れ去ってしまったのだと思います。たとえどんな形でも、何かしら記録があれば思い出すきっかけになったと思うのですが。
さすがE10さん、5枚目の写真はピンと来ましたか。おっしゃる通り、案内(実態は見張り)していただいた方ですね。私はあまり気にしませんでしたので、弘前などでも写った写真があります。もっともたいていの場合はカメラを向けるとささっとよけてくれましたが。

富山操車場配線について 富士コンテム発行 太田幸夫著 鉄道による貨物輸送の変遷 と云う書物に富山操車場配線図が記載されておりました図には当然富山港線連絡線も操車場に繋がっておりました

yyoshikawaさん、その本、私も持ってます・・・。

北陸本線の電化は新幹線の試験目的で、敦賀までの交流電化されて、ED70に始まった。北部トンネル開業前に今庄~福井間が電化されて、13.87㎞の北部トンネルは、11.5‰の勾配で重量貨物に合わせて、EF70が敦賀第2機関区配置された。
金沢電化で、ED70を増備するかの様にED74が配置された。が、富山へは俱利伽羅峠を越えるのに、 EF70がに増備されたのか?EF70もED74
に合わせた様にヘッドライトも変わった。
富山電化は昭和39年の東京オリンピックよりも後で、大阪発の雷鳥、名古屋発のしらさぎと、特急電車が運行されて、翌年には急行立山も電車化された。
電気機関車は、3型式で100両超えて敦賀第2機関区だけでは賄え切れなくなったのか?
ヨンサントーのダイヤ改正で、ED74は、6両で終わりED74の7号機がED75になったみたいである。蒸気機関車では、C55をC57に引き続いだみたいに、日本海が20系客車になり、EF70の7両が高速用に改良されて、60Hzを使用された糸魚川まで運行していた。昭和44年に直流電化で、全線電化されて、EF81が配置されて金沢で、乗務員交代に合わせてかである。急行きたぐにも付け替えていた。
武生で、EF70の直江津行の列車が入り、EF70に付き合うかの様に乗り、富山でEF81に換わって下車した。翌日は金沢の普通列車がEF81で入り、そのまま行くのかと思ったらEF70に換わた。貨物列車はEF70で富山を通過していた。
EF81によって、富山第2機関区主になってEF70は、敦賀に65両に対して16両が配置されていた。湖西線開業によって、EF81が配置されて、日本海、つるぎは富山第2から敦賀第2機関区に代わって、ED70は廃車になった。EF70の急行は、米原回りで、車上切り替えになったいなかったことと、越前の場合は直江津からのEF81を車庫へ戻した後、EF70で福井まで行った。同様に金沢行の、能登も富山~金沢間を最初はEF70に換えていた。機関区に合わせて、同じ型の機関車の付替えは、どこでもあった。
因みにEF81の牽く列車は、北海道からの帰りに20系日本海の秋田~金沢間である。ED70の富山以北は、糸魚川までの普通列車と手前にある青海の貨物駅までだった。
敦賀は、JR西日本になり、富山はJR貨物となった。

毎回送信してから、誤字書き間違いが目立ち特に、北陸トンネルを北部トンネルと間違い、富山以北のEF70をED70とは、因みに富山以北のEF70の列車は、福井~泊までの普通列車に乗ったことが、最初で最後になった。
糸魚川始発の上りの普通列車が、EF70であった。頸城トンネル内の筒石駅の事で、直江津行のEF81の列車に乗って、名残を感じた。
今は糸魚川出て、セクションの下はレールバスになったという。電化は重量貨物のEF510のためかであり、今はEF510が主となった。
ヨンサントーのダイヤ改正で、ED74は大分機関区に移り、蒸気暖房で旧型客車に使えず貨物用になった。EF70は線路規格の合う所では、出力は必要なかった。D52をD62に改造した様に、因みにD62は、HOゲージのカタログで知った。
ED76を北陸本線では、蒸気暖房でEF70より車長が長くて、ボイラーが負担になったかも知れない同じ、交流の60Hzでも電気機関車は所々に合う様になっていて、関門トンネルのEF81で‟富士”を大分まで機関区に合わせて、運行した。が、付属編成を離すとED76に換わった。敦賀は521系電車の車庫になった。

ニッシーさん
懐かしいお話をありがとうございます。

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