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2008年12月24日 (水)

村上 1980/5/25

新発田-(833レ)→村上7:16着/8:23発-(811D「羽越1号」)→あつみ温泉

833レは新津5:38発の青森行きで、青森着は19:40です。ご苦労様です。
811Dは新潟発秋田行きで、坂町までは仙台行きの「あさひ2号」を併結しています。
833レはスハフ422188、811Dはキハ58490に乗車しました。

19800525

隣の間島駅との間に交直セクションがありますので、直流車が入れるのはここまでです。
本線関係はホームのある3本のほか、ホームのない下り1番線があり、合計4本です。
直流車の折り返しのためでしょうか、下り列車が上り本線にも進入できるようになっています。

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秋田方からです。

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右のクネクネした線路は日本化学の専用線?

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新津方です。

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新津方からです。
貨物扱い、がんばってますね。

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新津方からです。機区東線と機区西線の間には給炭台の残骸があります。

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機区西線にはなぜか朽ちかかったク5000が押し込められており、

19800525a01
その列は転車台まで続いています。

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朽ちかかったク5000に朽ちかかった転車台。妙な組み合わせですが、悲しい光景ですね。

19800525a04
転車台はほとんど全貌がつかめません。
ところでこんなところに登っていいの?

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コメント

種々雑多朽ちていく鉄道設備の写真を観てきましたが、これほどつらい感情を覚えたことはありません。涙が出てきそうです。たぶん転車台も貨車もどちらも動態をとりえる存在だからでしょう。端の引き込み線で錆び果てていく貨車とは違ういたたまれない印象を持ちました。

転車台を求めて各地を訪ね歩きましたが、村上駅の転車台は完全に忘れ去られた印象でした。
ク5000も颯爽と活躍した時期が過ぎるとその特殊な構造から転用もできず放置される姿が多々見受けられ、かわいそうな貨車でしたね。

転車台はキライじゃないけど、それほど特定の思いいれもないので(汗)
むしろ、こんな使い方もあるんだ、と感心してしまいます(笑)このままの姿を後世に伝えて欲しかったですぅ・・・

小生とすれば、多少なりとも動態で使えるものがあれば、という気持ちで、ともに動態のまま奪い朽ちていく様が心をえぐられた・・・ただそれだけで、経営上の思惑等々は、分からなくはなく、それなら特定の工場や車両基地で溶接機の青白い炎にかかった方が良いような気がする。動いていたものが、“ともに”放り出されたまま朽ちていくのがただ悔しくかなしいのです。

LUNさん、SYさん。
もし廃車となった蒸気機関車が放置されていたらおそらく注目を浴びたと思うのですが、転車台が放置されていても誰からも注目を浴びることがないのがかわいそうですね。

この村上駅の記事、地味ながら他項に劣らず、様々な想いを見出ださせてくれる記事です。
新津発青森行き833列車、何両編成で牽引機は EF81型だったのでしょうか。
転車台を求めて各地を訪ね歩いた方々は、f54560zgさんと私を含めて同時期に何人くらいの方々がいらっしゃったのでしょうか。
配線図を見ますと、転車台付近は簡素な配線なのですが、ブログ内でもお馴染みの羽越本線関係に精通されておられるkouznetsovさんのサイトによると大正期には機関庫が設置され、その後、早くも昭和初期には坂町駅へ機関区機能を禅譲したようですが、過去の航空写真を見ていたら転車台周りの造成地の形状が正しく扇形車庫の雰囲気なのですが、果たして地元の郷土資料や過去の趣味誌などに、村上機関庫の幻の扇形車庫の資料が存在するのか、非常に興味深いところです。
この村上駅の転車台も、遂に地上には降り立てずに車窓からの目撃だけで終わってしまったのですが、最初に目撃した86年か87年頃には、さすがに ク5000は有りませんでしたが、本屋反対側には記事写真のように樹木が鬱蒼と生い茂った雰囲気でした。
自身の経験上、ク5000の上段に登られた f54560zgさんの勇気には敬意を表したいです。
敷地の管理者が不在で周囲を見渡し誰もいなくても、やはり許可なく国鉄車両に乗り込むのは勇気の要ることでした。
ネット辞書にも村上の転車台と ク5000が記してあり、ネット上を隈なく精査したわけではありませんが、記事内の写真は歴史の証言写真として大変貴重なシーンではないでしょうか。

SYさんのコメント内での「…青白い炎にかかった…」
その後に金属リサイクルとして高層ビルの鉄骨やコンビニの建材などに生まれ変わり、自分達が気が付かないまま鉄道車両からカタチを変えて今は我々の身近で活躍を続けているのかも知れません…。

E10さん、昔の空中写真を見てビックリしました。おっしゃる通り、正しく扇形車庫の雰囲気ですね。
ク5000に上ったのはちょっと反省してます、ハイ(汗)。

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